FC2ブログ
Loading…

この目で見た欧州原子力施設のズサンさ

Posted by Ikkey52 on 26.2011 原発   0 comments   0 trackback
 かつて、イギリスのウインズケール原子力施設を取材した。1950年代、そこは英国核兵器開発の拠点で、そもそもが秘密主義の体質だった。やがて大火災を起こし、主にヨウ素131が工場周辺を汚染した。放射能の量は2万キュリーだったとされる。1キュリーは3.7×10の10乗ベクレルであり想像を絶する。水蒸気爆発をおそれて、注水に手間取ったといわれている。
 たが、放射能漏れの恐ろしさは、被爆地である日本ほど認識されなかった。放射能汚染水の垂れ流しも常態化し、アイリッシュ海を挟んで対岸のアイルランドから猛抗議を受けたが、対策らしい対策は取られなかった。海水の汚染は、海藻、プランクトンを汚し、食物連鎖を経るたびにヒトの食料となる魚に高濃度の放射性物質が蓄積した。のちに地元の小児科医が、ウインズケール周辺地域の小児白血病罹患率の異常な高さを告発、それがテレビで取り上げられ、やっと世界に報道された。

 屋根もない、壁もないプールが海岸沿いにあり、中に使用済み核燃料が保管されていた。プールでカモメが羽を休めている光景に、私は戦慄を覚えた。青森県六ヶ所村の核燃料再処理施設が日本国内の原発から出る使用済み燃料を受け入れるまで、日本はヨーロッパ2か所の原子力施設に保管を委託しており、ウインズケールはそのひとつだった。キャニスターと呼ばれる使用済み燃料の格納容器が、やはり海岸沿いに無造作に放置されており、そこに日本語表記を発見したときの衝撃も忘れられない。

 もう一か所、日本から使用済み燃料を受け入れていたのは、フランスのラ・アーグ再処理工場。ここにも取材を申し入れたが、拒否された。ドーバー海峡に面したラ・アーグはフランス海軍の潜水艦基地と隣接しており、非常にナーバスなエリアだった。施設の動きを地元に住み込んで監視するフランス緑の党関係者からは詳しく話を聞くことができた。汚染水をドーバー海峡に垂れ流してきた話に言葉を失った。名作映画「シェルブールの雨傘」で知られるノルマンディー半島に突き出した港町シェルブールが指呼の間だ。取材に入った日は雨模様で肌寒く、風邪ぎみで熱があった私は、港に近い小さな宿に入るなり、そのままベッドに倒れこんでしまったが、その取材行以来シェルブールの印象がすっかり悪くなったのは、もちろん体調不良の記憶のせいではない。
 ラ・アーグも破滅的な火災事故に見舞われている。1980年、大規模停電のため、使用済み燃料を硝酸で溶かしてできる高レベル廃液の冷却が止まった。軍事施設の発電装置を持ちこめて、辛くも大事故を免れた、というが、再処理工場の事故の深刻さは、原発何十基分の事故にも相当する。

 欧州の2つの原子力施設について触れた。すでにこれらに批判的なアプローチをした本や映画がつくられて久しい。しかし、その間にも日本では原子炉が次々と増設された。なぜ目立った議論すらないままだったのか。政治は何をしていたのか。我々有権者は何をしてきたのか。福島の現実を前にして、悔やまれることは多い。
スポンサーサイト




  • password
  • 管理者にだけ表示を許可する

trackbackURL:http://ikkey52.blog27.fc2.com/tb.php/7-b841da79

プロフィール

Ikkey52

Author:Ikkey52
ジャーナリスト 札幌生まれ
父方は、奈良十津川郷系+仙台伊達藩亘理系。母方は東三河豊橋系+肥前鍋島藩系+加賀藩系

ショッピング

トラベル

オークション

最新トラックバック

ラビリンス

デラシネ通信

ブログランキング

ブログランキング

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR