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にじむ高邁な精神…クロポトキン『ある革命家の思い出』

Posted by Ikkey52 on 16.2012 評論   0 comments   0 trackback
 ピョートル・クロポトキンという人は、日本では、でっちあげの大逆事件で刑死した幸徳秋水の有力師匠筋として名を知られた。
 不思議な立ち位置の思想家で、マルクス主義に反対することそれ自体が、ある種の「党派性」であったアナキストの系譜にあって、ソビエト革命政府から愛された。亡命先から革命途上の祖国に戻って永眠したが、生前のレーニンに、著作の『フランス革命史』を「フランス革命について書かれたすべての歴史のなかで最上のものだ」と言わしめた。自叙伝である『ある革命家の思い出』ロシア語版が出たのは1933年と遅いが、すでにスターリンの治世になっていたことを思えばやはり驚きを禁じ得ない。
 その『ある革命家の思い出』を読了。ルソー、ゲーテなどと並んで自叙伝文学の最高傑作と言われるそうだ。モスクワの名門公爵家に生まれた。サンクトペテルブルク近習学校という、陸軍士官学校と宮廷学校をいっしょにしたようなエリート校に学んだあと、自ら望んでシベリア部隊の士官に任官して、未踏の大地を駆け巡ってのちの地理学者としての基礎体力をつけたというが、それらの記述を包み込むように、農奴解放前後のロシア社会の不穏な空気が重く漂う。その後、流刑者たちの反抗とツァーリの軍隊の野蛮な弾圧を目の当たりにして兄とともに軍籍を離れることを決意。首都に戻り大学の数学・物理科で学び始めるが、気づくと、ナロードニキ運動弾圧後に組織された秘密結社「チャイコフスキー団」の真っただ中で活動していた。逃げ切れずに逮捕され、悪名高いサンクトペテルブルクの要塞監獄に収監されたが、よく練り上げられた組織的支援によって脱走に成功する。この辺の活劇もどきの面白さは息もつかせないが、後半のスイス、イギリス、フランスなどでの亡命生活のくだりは、聖職者に聖人君子列伝を語られているようで、鼻白むところもなくはない…。
 非人間的な農奴制の描写がリアルだ。男の農奴は「魂」という単位で勘定されるが、クロポトキン家には1200の魂があったという。農奴身分の女は勘定にさえ入れてもらえない。領主が自己所有の「魂」に対して握る私的裁判権が、文字通り反抗を封じる鞭として使われた。また、農奴にとっては領主から兵隊に行けと命じられるのが恐怖だった。兵役期間はなんと25年。常にどこかで戦争をしていたロシアでの25年兵役は、家族と二度と会えないことを意味した。こうした過酷な農奴制への疑問がおそらくはクロポトキンという人の生涯の土台になったのだろう。かといって、農奴制と表裏の関係にあるロマノフ王家を批判するときでも、露骨な表現はまず使っていない。近習学校時代、皇帝家の人間たちに直接触れる経験をしてきたとはいえ、この人が持ち合わせたノーブルな精神を感じる。

 ロシア研究の碩学、中村喜和によると、『ある革命家の思い出』の最初の日本人読者の1人は、有島武郎だったという。1907年にロンドンで読んで感動し、郊外にクロポトキンを訪ねている。妻ソフィアや娘アレクサンドラを交えて歓談し、昼食をふるまわれたそうだ。
 クロポトキンは、『麺麭の略取』を訳出したいという幸徳秋水の申し出を受けて、幸徳に書簡を送り、「一身の自由を賭して、我らの理想を宣伝する人々に対して、かえって自分のほうこそ、深く感謝しなければならない」と書いた。「日本語版が出るのは、小生にとって無上の喜び」などと格好をつけないところが、いかにもこの人らしい。
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