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猛獣使いと白いライオン ~サーカス小屋の魔力について~

Posted by Ikkey52 on 03.2012 見世物・演劇   0 comments   0 trackback
 木下大サーカス札幌公演初日を観て、その鮮烈な印象がしばらく消えなかった。一歩足を踏み入れれば異空間、というサーカス小屋(大テント)の楽しさを、ぞんぶんに味わってきた。
 春先に札幌公演の地ならしにやってきた木下大サーカスの経営幹部と話す機会があった。札幌公演は実に89年ぶりだという。「木下」の名はあまりにも有名で、サーカス素人の自分にもわかる。俄然、興味が湧いた。どうしてそんなに間が開いたのか。それは札幌がキグレ・サーカスの本拠地だったからだそうだ。岡山をホームとする木下、札幌のキグレ、そして大阪が根城のポップを日本三大サーカスに数えたらしい。残念ながら札幌のキグレは、例のインフルエンザ騒動のさ中の公演が大赤字になり、経営を立て直すことが出来ずに一昨年、解散の憂き目にあった。地元ではそれなりの経済ニュースとして報じられたが、札幌にキグレの常設小屋があったわけではないので、地元公演は数年に一回あるかないか。若い人には特別な感情はないにしても、年配の人の間には惜しむ声が聞こえた。
 木下大サーカス公演では、呼び物の白いライオンをはじめ、シマウマ、ゾウ、キリンの動物たちが芸を披露していた。私くらいの年代の札幌っ子は、サーカスとゾウの組み合わせに、ある事故を連想する。毎年6月半ばの札幌神社(現北海道神宮)例大祭の期間、薄野の創成川に板を渡して、その上に単発の芸を見せる何張かのサーカス小屋が集まったが、昭和34年にそんな小屋のひとつ「八木猛獣サーカス」から出火、自分と同じ学齢期前後の子供を含む数十人が逃げ出したゾウに踏まれるなどして大惨事となった。作家の佐々木譲は実際にその場に居合わせたらしい。そんなことがあったので、当時の親や小学校の先生はサーカス小屋をことさら危険視していた印象がぬぐえない。事故を機に、札幌祭りの露店や見世物は、中島公園に移された。89年前に木下大サーカスが小屋掛けしたのが、その中島公園だったという。
 日本三大サーカスである木下は、一方でロシアのボリショイ、アメリカのリングリングとともに世界三大サーカスのひとつに数えられる。そのせいか、団員も国際色豊かだった。サーカス先進国、ロシアの美人が含まれていたから、人選は王道と観た。
友人のなかに、たった一人、サーカス・プロモーターという世にも珍しい職業の大島幹雄なる人物がいる。戦後復興期に「鉄のカーテン」をこじ開けて、ドンコサック合唱団やボリショイサーカスの日本招聘に成功した「赤い呼び屋」こと神彰(じんあきら)の孫弟子。大学でロシア語を学び、その世界に飛び込んだ。年がら年中、ロシア圏を中心に世界を飛び回り、これだ、と見定めた芸達者を日本に連れてくる。連れてくるだけでなく人脈を橋渡しし、面倒まで見ているのがすごい。自分とは同年代だが、氏の精力的な活動にはいつも脱帽するばかり。ノンフィクション作家、露文翻訳者、横浜野毛大道芸プロデューサー、江戸期漂流漁民研究家、人気webサイト「デラシネ通信」主宰者(http://homepage2.nifty.com/deracine/)、早稲田の日露比較文化論講師など様々な顔を持ち、いつ寝ているのかと心配になる。
 北朝鮮で撮影してきたサーカスの映像を大島氏に見てもらったことがある。力持ちが大きな鉄球を軽々ともてあそぶ芸は、強烈な印象だったからだ。専門家の彼も「見たことのない芸」だと興味を示し、日本に呼べるものなら呼びたいと言っていたがどうなったか。才人、大島幹雄が人生を賭けたサーカスの世界の魔力が、先日の体験であらためて確認できた気がした。
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