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小型カメラ「ミノックス」とスパイたち

Posted by Ikkey52 on 10.2012 エスピオナージ   0 comments   0 trackback
 職業秘密諜報員には、二重スパイが少なくない。深く刺さり込めば込むほど、相手にも取り込まれやすい。そのうち、どっちのために働いているのかわからなくなる。
 
 世界最高の二重スパイといえば、キム・フィルビーの名が浮かぶ。なにしろ、英国国内防諜の最高責任者であるMI6の長官候補だった男がソ連に亡命し、鉄のカーテンのむこうで英雄になり、顔写真が切手さえなったのだから。スパイ先進国をもって任ずる英国のメンツは丸つぶれになった。
 フィルビーは、イギリス最高学府のひとつ、ケンブリッジ大に学び、同国情報機関に就職した「隠れ共産主義者たち」、いわゆるケンブリッジ5人組のひとりだ。フィルビーが所属したケンブリッジのトリニティ・カレッジは、16世紀に開学し、31人のノーベル賞学者を輩出した超名門。だが、というか、だからというか、ロシア革命のあとマルクス主義者の巣になった。さすがに日本の皇室関係者は、ケンブリッジには留学しない。ライバルのオックスフォード大に行く。

 前置きが長くなった。カメラ機材の話をしたかった。その名はミノックス。高級で著名なカメラ・ブランドのひとつだ。北海道新聞の橘井潤編集委員が3月9日夕刊で薀蓄を傾けている。
 当然、ドイツ製品だと信じ込んでいたが、実はバルト三国のひとつ、ラトビアが創業地。1937年のことだという。ソ連ではスターリンの大粛清がピークに達していた。日本のスパイマスター杉原千畝は、ユダヤ人に運命のビザを大量発給することになるリトアニア・カウナス駐在にはまだなっていない。カウナスの前任地、フィンランドのヘルシンキに通訳官として赴任した年だ。二度目の世界大戦に向けて、歴史の時計が秒読みになっっていく微妙な時代だ。そのころの話は、わけもなくぞくぞくする。ヒトラーとスターリンが交わした独ソ不可侵条約の秘密協定で、ラトビアが旧ソ連に併合されたあと、生産拠点はドイツに移された。

 スパイ、キム・フィルビーが愛用したのがミノックス。当時の技術水準から見ると、手の中にすっぽり隠れてしまうコンパクトぶりは、驚異といえた。愛用者がまた面白い。1962年のキューバ危機でソ連側の情報をアメリカに流し、結果的に核戦争を食い止めたとされるソ連参謀本部情報総局(GRU)大佐オレグ・ペンコフスキー。米海軍暗号システム情報をソ連に売って、100万ドル以上のスパイ報酬を得たとされるアメリカ海軍上級准尉ジョン・ウォーカー。またケネディ大統領暗殺犯でソ連スパイの疑惑のあったオズワルドも使ったらしい。写真誌「フォーカス」のスターカメラマン福田文昭が、ロッキード裁判判決で法廷の田中角栄をスクープしたときにもミノックスだった。

 カメラに疎い人でも、「女王陛下の007」や「スパイ大作戦」「死刑台のエレベーター」、邦画では「陸軍中野学校」シリーズなどを再度観賞すれば、ああ、あれか、とわかるはず。およそカメラとは思えない、小型のペンシルケースのような形状。深夜のオフィスに忍び込み、金庫からマル秘資料を持ち出してパチリ。そして、何事もなかったかのうように、金庫に資料を戻しておく。盗むのはブツではない。情報だ。幅9,5ミリのマガジン入りフィルム。ひとこまの大きさは8×11ミリ。超がつくミニサイズでありながら、第一号から1000分の1秒で作動する高速シャッターを装備するなど、高性能を誇っていた。
 
 いまは同じブランドでデジタルカメラが出ている。その名は、ずばりミノックスDSC。DSCはデジタル・スパイ・カメラの略だ。解像度も格段に上がったけれど、ずっとフィルム機に親しんできた古参スパイはボヤくかもしれない。
 「やっぱり、フィルムのテイストがよかった」と。
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