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コールド・ケース~札幌男児誘拐とDNA鑑定

Posted by Ikkey52 on 06.2017 事件   0 comments   0 trackback
 1987年の冬の夜、雪深い北海道・新十津川町で、一軒の米農家から火が出た。火元の主婦が隣家に駆け込んで通報した。あたりは北海道でも屈指の米どころで、広大な田んぼの中に農家の住宅がぽつぽつと点在する。隣家といってもかなりの距離があった。幼い娘の手を引きながら、歩きにくい雪の夜道をたどって、主婦が助けを求めるまで、かなりの時間があったとみていい。

 結局、農家は全焼、焼跡から主人が焼死体で見つかった。片足が不自由な人で、周囲は逃げ遅れたのだろうと気の毒がった。ただ、不審を抱く者もいた。隣家に駆け込んだとき、深夜にもかかわらず、主婦は毛皮のコート姿で預金通帳などを持ち出していた。娘も外出着だった。のちに、焼死した主人に2億円近い生命保険が掛けられていたこともわかる。

 主婦は火災の前年に自営農の主人のもとに嫁いできたばかり。水商売出身で多額の借金があり子連れの再婚。主人は初婚だった。結婚相手にはじめから不信感を抱いていた主人の親戚たちは、悪い予感が的中したと思ったようだが、保険金は出火原因不明を理由に支払われなかった。翌年の夏、主人の弟が燃え残った納屋を整理していて、ポリ袋入りの骨片のようなものを見つけ通報した。これを警察は人間の子供の火葬骨と断定する。誰の骨なのか、結びつきそうな未解決事件がひとつだけあった。

 火事の3年前、札幌市豊平区で小学4年の男児が行方不明になっていた。父親は会社社長で某代議士の地元事務所長を兼ねており、家構えも立派だった。冬休みの午前中、男児はたまたま自宅にかかってきた電話を取ったことで誘い出され外に出た。自宅から100mしか離れていない賃貸アパートに男児が入っていったという目撃情報があり、警察が2階に住む女性に尋ねると、「ワタナベさんの家ではないか」と男児が訪ねて来たが、間違いだというとすぐ出て行ったと説明した。実はその女性こそ、新十津川火災で生き残った主婦その人だった。

 警察は俄然色めきだったが、主婦は任意の調べに「3年前の男児の件は以前の説明通り」、納屋の骨についても「知らない」の一点張り。火災原因についても供述はとれず、捜査は壁に当たってしまった。当時の刑訴法で事件容疑の時効が最も長かったのは殺人の15年。その時効さえ迫った1998年11月、捜査本部は賭けに出る。DNA鑑定で新十津川の火葬骨を札幌の行方不明男児のものと判定し、その一点だけを頼りに主婦を殺人容疑のみで逮捕した。

 そもそも、男児行方不明の最後の目撃者が、その男児の火葬骨のある遠い農家に嫁ぐという恐ろしい偶然があるだろうか。心証は限りなく真っ黒だ。傍証もあったが、調べに主婦は完全黙秘を貫き、死因、動機、殺意の三点セットで決定的証拠のない異例の起訴となった。裁判所も甘くない。DNA鑑定は認められたが、検察は有罪を勝ち取れず、二審まで争ったものの上告断念に追い込まれた。

 日本で、DNA鑑定を犯罪捜査に利用する本格研究は、1986年に警視庁科学捜査研究所で緒に就いたとされる。納屋で火葬骨が見つかった88年の段階では、まだ司法に捜査手法として完全に信用されるところまでいっていなかった。もし、その時点で主婦と行方不明男児の骨が確実な線として結ばれていたなら、捜査には別の展開があったのではないか。

 バブル期を経た都市部の変貌は著しい。男児が行方不明となってから、主婦逮捕に至る15年近い時の流れの中で、男児が足取りを絶った賃貸アパートはとうに取り壊され、あたりの風景は一変した。現在では当時をしのぶよすがさえ見当たらない。
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