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米人記者に信奉者をつくった石原莞爾の凄味

Posted by Ikkey52 on 09.2016 現代史   0 comments   0 trackback
 第二次大戦の惨禍を引き起こした日本の軍部に関して、擁護すべき事情はこれっぽっちもないが、かといって当時の軍人の誰もが暗愚だったわけではない。ものごと単純化するのが流行だが、歴史解釈に善か悪かの二元論を持ち込むのは、若い世代にバトンを繋がねばならない大人としてはやり無責任だと思う。例えば東京裁判で異例の出張法廷まで用意させ、歯に衣着せず英米の非を鳴らしながら、全く罪に問われなかった石原莞爾の存在などは、単純な二元論の視野では影も形も捉えられない。

 石原について書かれた本は実に多い。かなり薄味ながら『地ひらく 石原莞爾と昭和の夢 上・下』(福田和也著)のような大部もあるが、石原の戦後の言動を中心に論じた早瀬利之の『石原莞爾 マッカーサーが一番恐れた日本人』は新鮮だった。あの時代を語らせたら滅法うるさいノンフィクション作家の礫川全次も、自分のブログに早瀬本から仕入れた石原の名言をふたつ挙げている。ひとつは、終戦わずか半月後の東亜連盟宇都宮支部大会での第一声「皆さん、敗戦は神意なり!」。もうひとつは、終戦翌年にアメリカ人のマーク・ゲイン記者の質問に答えた「日本の真の敗因は、民主主義でなかったことだ」。

 石原が満州事変を画策し、張学良軍を蹴散らして満洲国建国に道を開いたのは紛れもない事実だ。そんな人物が「民主主義云々」を言うことに、胡散臭さを覚える向きはあろう。しかし、満州事変のあとの石原は、二・二六事件には「断固鎮圧」で全くぶれず、中国本土侵略をはじめた盧溝橋事件以降の対中政策にも反対を貫いている。太平洋戦争開戦時はすでに私人だったが、「油が欲しいからと戦争を始める奴があるか」と絶対不可と説いた。

 シカゴ・サン紙特派員で日本語が解せたマーク・ゲインは、戦勝国民として日本に乗り込んできたあと、熱烈な石原信奉者となった。ゲインが石原に会ったのは、一説によると独自取材ではなく、東京裁判の検事による石原の臨床尋問に同席した機会だった。
 「日本の真の敗因は、民主主義でなかったことだ」に続けて石原は、「特高警察と憲兵隊のおかげで、国民はいつも怯えていた」と述べている。同趣旨の発言を別の場で石原から聞いたという元部下の証言もある。「東条個人に恩怨はない。ただし、彼が戦争中言論抑圧を極度にしたのを憎む。これが日本を亡ぼした」(金子定一)。

 東条英機を「東条上等兵」と呼んで小馬鹿にしてきた石原は、その東条から疎まれ予備役に編入されて、立命館大の教壇から追われただけでなく、郷里の鶴岡に引っ込んでからも365日、特高と憲兵の監視下に置かれた。「国民の怯え」は身を持って知っていたのだ。ゲイン記者は「マッカーサーのあとの指導者は石原莞爾」とまで入れ込んでいたらしい。 
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