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風山房主人・山田風太郎の若き日の手紙

Posted by Ikkey52 on 27.2016 文芸批評   0 comments   0 trackback
 色紙といえば、野心家の主人が営むラーメン屋の壁いっぱいに掛かっているアレ。著名なスポーツ選手やタレントにサインをねだるときペンと一緒に突き出すアレのこと。ではあるが、およそ色紙と縁がない自分は、表が純白、裏が金粉入りになっている厚い台紙を思い浮かべる。普通はもちろん白い側に署名や短文を書くが、自分より身分が高い人に対しては、金粉入りの面が表になる、と教えてくれたのは山田風太郎のエッセイ集『風山房 風呂焚き唄』。山田自身、書き慣れない色紙を押し付けられて、断りきれずに引き受けたところ、表裏がわからず、両面に書く羽目になった、とユーモラスに紹介する。

 wikiの山田風太郎の項には、「伝奇小説、推理小説、時代小説の三方で名を馳せた、戦後日本を代表する娯楽小説家の一人である。東京医科大学卒業、医学士号取得」とある。その一方、「パーキンソン病にかかった自分自身を見つめたエッセイ『あと千回の晩飯』は出色の出来」とあるように、ケレン味の名さを信条とする名エッセイストでもあった。『風山房 風呂焚き唄』は過去の雑誌掲載作の寄せ集めエッセイ集だが、全体として、えらく力が抜けていて、生前の人柄が偲ばれる。「風山房」は山田が蓼科に建てた山荘の名。薪で風呂を焚くのだが、水が冷たく沸くのに半日かかった、と不便の楽しみを記す。

 日記巧者としても知られる山田の一面が面白い。日記を書き始めたのは昭和17年から。本屋に寄ったら、すでに戦争で物資が不足し、ろくなものがなかったのに、日記帳だけは立派だったので、それを買って書き始めたのが嚆矢だという。ただ、後から振り返ると、日記をつけ始める前の時代のほうが、もっと諸々あり、面白かったはず、と悔やむ気持ちがあった。ところが、江田島海軍兵学校へ進んだ中学当時の友人が、若き日の山田からもらったという手紙を保存していて、見せてもらう機会があった。

 山田は、よくもまあこんな手紙を書いたものだ、と感慨にとらわれる。戦時中、他言してはならないと厳しく戒められていた秘密が平然と書き連ねられていたからだ。開戦のための大動員が、昭和16年夏の段階で始まっている、という状況証拠。一度出征した凱旋兵も40以上の老年兵も駆り出される。しかも、盛大な見送りはご法度で、夜半の汽車で逃げるように入営地に向かってゆく。

 いうまでもなく、日本が英米に宣戦布告するのは昭和16年12月8日。「とにかく、全国的秘密裡の大動員である」、「ここ三か月か二ヵ月か、或いは一ヶ月か、北進或いは南進の驚天動地の決戦が日本の切先に起こるだろう」と山田青年がいままさに軍人となるべく精励中の友人に書いた事実。これはやはり恐ろしく冷めている。

 「とにかく十二月八日、突然軍閥が戦争を始めて、全国民はビックリ仰天した、などという戦後の記述が嘘っぱちなことはこれでわかる」と、すでに大作家となっていた山田は綴る。よけいな理屈はこねずとも、たった一本の矢で、百万語の言い訳を論破してしまっている。 
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