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筋金入りリベラリストが説く憲法第9条不要論

Posted by Ikkey52 on 26.2015 政策   0 comments   0 trackback
 相反するAとB、あるいは右と左、どちらもダメだ、という論法にはよくお目にかかるが、金丸信の得意技だった「足して2で割る」グロテスクな結論に行きつきがちで、得心がいったためしは少ない。法哲学を研究してきたという東大教授、井上達夫の小論を最近読んで、珍しく「なるほど感」に浸ることが出来た。憲法第9条の話だ。

 筋金入りのリベラルを自認する井上は、集団的自衛権には基本的に反対だという。米国への従属を深めると考えるからだ。だからといって、国の安全保障論議に憲法がブレーキをかけるようなことがあっていいのか、というのが井上の論旨。法律はなんのためにあるのか、それを追求するのが法哲学の目的だが、戦後ずっと繰り返されてきた不毛な憲法論議を巨視的にとらえ直すにはもっともふさわしい視座だろう。『文藝春秋SPECIAL2015秋 知性で戦え 昭和史大論争』所収の「憲法学者たちはいつまでごまかしをつづけるのか 憲法から九条を削除せよ」から引用する。

 改憲派、護憲派双方に欺瞞がある。
① 改憲派へ。押し付け憲法はだめだというが、押し付けられた農地改革をなぜ批判しない。不完全であればフィリピン並みになっていたところだ。徹底した農地改革が保守派の票田になってきたことも直視せよ。しかも、改正したければ独立後いつでも発議できたのにしようともしてこなかった。改正できなかった責任まで「押し付け」るな。
② 原理主義的護憲派へ。9条2項を字義通りとらえ、自衛隊も日米安保も違憲だという。違憲だと主張しつづけることは、専守防衛の枠内に抑え込むのに政治的に有効だと。これは自衛隊員の存在を欠落させている。「おまえらは違憲の存在だが、一朝事あれば命を張れ」というのは最も欺瞞的。
③ 修正主義的護憲派へ。専守防衛であれば、自衛隊も日米安保も合憲だという。内閣法制局の立場だ。しかし、1946年の帝国議会憲法改正委で野坂参三の質問に答えた首相吉田茂は、自衛のための戦力も放棄したという趣旨だ、と答弁している。つまり、「専守防衛の範囲内であれば」という考え自体、解釈改憲だ。安倍政権の解釈改憲を許さない、というのはダブル・スタンダードだ。国会証人となった長谷部恭男の論理もこれだ。

 国際状況はますます予測不可能。専守防衛がいいのか、集団的安全保障まで認めるのか、さらに集団的自衛権にまで踏み出すか、今後の日本にとって何が最適か、誰も確言できない。そんななかで、ある特定の安全保障観を憲法で固定化することのほうがよほど問題。「現実には死文化しているにも関わらず、実質的な安全保障論議を妨げるという呪縛力だけもっている、それが第9条ではないか」。民主的議論で安全保障問題を決められるのか、素人である国民有権者にそんな力があるのか、という問いに関しては、「専門家」である帝国陸海軍が決めた結末を見てみろ、といえばいい。素人の判断のほうがよほど的確で健全だ。

 では9条を削って何を憲法に加えるか。「もしも、戦力を保有するならば徴兵制とする。良心的兵役拒否は保障する」と書けばいい。「徴兵制!」と驚くなかれ。井上は安全保障について、消極的正戦論、即ち正当な戦争原因を自衛に限るという考え方をとる。それでも歯止めは必要だ。だから、絶対に無差別公平な徴兵制をつくり、それを歯止めにする。政策決定に関与するエリートにも「血を流すコスト」を負わせれば、馬鹿な戦争はしにくくなる。一方、良心的徴兵拒否は認めるが、非武装での危険な看護業務に当たらせたり、消防隊や被災地域救援など、実質的に兵役に等しいリスクを引き受けさせる。

井上は、こうした考え方を20年言い続けてきたのだそうだ。法哲学と聞くと、無味乾燥なローマ法講義くらいしか連想できない浅学菲才の身として、その先見性には首を垂れるばかりだ。
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