FC2ブログ
Loading…

狂歌人 黒部猿田彦を想う

Posted by Ikkey52 on 12.2011 文芸批評   0 comments   0 trackback
 今年も盆が巡ってきた。忘れ得ぬ故人に思いを馳せる季節だ。
 現代狂歌舎(埼玉県越谷市)を主宰した黒部猿田彦は私の古い友人だった、と威張ったところで、ほとんどの人は「猿田彦who?」に違いない。秀作「狂歌宣言~先千住狂歌集」(論創社・1999年)の帯に、「現代狂歌の鼻祖」と大風呂敷を広げたまま、風雲児は逝った。  
 ある時期まで、日本にも職業革命家は多かったが、猿田彦もその類いで、へたをすると警察官立寄所となっているカプセル・ホテルの宿帳に「職業=無政府主義者」と書いて、なに恥じることもなく高いびき、といった風の危険な男であった。
 長歌、短歌、旋頭歌、俳句、川柳…、数ある日本の伝統的定型詩のなかに「狂歌」というスタイルがあったが、猿田彦によれば、明治末、あるいは大正にはすでに衰退し、その形式を継承する系譜は途切れた。
 狂歌界の大スターは江戸期の大田蜀山人で、かれの歌集には、和製レオナルド・ダ・ビンチの平賀源内が序文を寄せたという。五・七・五・七・七のリズムは短歌と同じ。ただし、狂歌の香辛料は、諷刺、滑稽、皮肉と決まっている。しかも「本歌取り」が命だから、古歌をくまなく知り尽くし、かつ自由自在にしゃれのめせなければ話にならない。盛り場のホステス募集と違って、少なくとも、「素人歓迎」の世界ではなかった。
 ならば俺が、ということで、猿田彦が狂歌の再興を志したのはいつだったのか。人知れぬ修行時代を経たはずだが、確かめるのをすっかり失念した。後悔は先に立たない。鬼籍に入ったのは2005年夏だった。その年の節分の日、自宅で療養中のところを見舞ったのが最後になった。腹水がたまっている病人に酒を飲もう、と誘われたが、、まさか、と断った。いっそ、「呑」むべきだったと悔やまれてならない。 いくつものメジャーな活字媒体が、「狂歌宣言」の出版を日本文学史の小さな事件として取り上げた。日経新聞に至っては、猿田彦が蜀山人の墓に手を合わせるシーンまで演出し、その写真をでかでかと文芸欄に掲載したほどだ。
 猿田彦がバクーニンの生まれ変わりであることは、誰も疑う者はなかった。いうまでもないが、バクーニンとは、流刑地シベリアから、開港間もない箱舘、横濱、サンフランシスコ、マゼラン海峡、ニューヨークを経てロンドンに至る世界最長の逃避行に成功し、マルクス一派と覇権を争ったロシア貴族の革命家だ。
だが、なにも扇動家としての三流ぶりまで似ることはなかった。その三流ぶりについては、猿田彦自ら関わった争議の記録「モップとダイヤルの反乱」に詳しい(http://www2.plala.or.jp/kokyomnkn/mop/index.htm)。
  第一作を物したあとの猿田彦は、先鋭的日記ブロガーの一面を見せた。そこに挿入される歌は、「寸鉄人を刺す」の切れ味と、ペーソス豊かな滋味を併せ持ち、没後、更新されなくなっても、長く生き残っていた。故人と酒飲み話をするような感覚で、ときどき覗いては楽しんでいたものを、無粋なことに11年6月いっぱいで閉鎖されたことを知った。
 したがって、いまやウェブ上で黒部猿田彦をしのぶよすがは多くないが、「将門web」の名でブログを張る周さんなる御仁が、哀惜の念たっぷりに生前の猿田彦を活写している(http://shomon.livedoor.biz/archives/50057646.html)。
周さんはプロジェクト猪の仲間であったらしい。新宿ゴールデン街の酒場「T」にて半端酒に酔い、「表に出ろ!」と突っ張っている猿田彦が登場し思わずニヤリとさせられた。
スポンサーサイト




  • password
  • 管理者にだけ表示を許可する

trackbackURL:http://ikkey52.blog27.fc2.com/tb.php/23-d40ec734

プロフィール

Ikkey52

Author:Ikkey52
ジャーナリスト 札幌生まれ
父方は、奈良十津川郷系+仙台伊達藩亘理系。母方は東三河豊橋系+肥前鍋島藩系+加賀藩系

ショッピング

トラベル

オークション

最新トラックバック

ラビリンス

デラシネ通信

ブログランキング

ブログランキング

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR