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「マゼラン」学んで、なぜ「ラプラプ」を学ばない? ~西欧至上主義史観を排す

Posted by Ikkey52 on 09.2014 フィリピン   0 comments   0 trackback
 フィリピンで魚料理といえば、まっさきにラプラプを思い出す。魚種でいうと、ハタやクエの仲間にあたる。もっぱら親しんだ食べ方は、蒸して香草を振り、少し酸味の利いた醤油ベースのソースをかける中華風だった。鯛が入手できないマニラの名の知れた日本料理店では、それに代わる白身の寿司ネタとして淡泊で癖のない味が重宝されていた。フィリピンでは「魚の王様」といった位置づけだが、それもそのはず、ラプラプの名は、現地の歴史上最も知名度の高い王様に由来する。

 ラプラプが王座にあったのは16世紀のこと。フィリピン中部、いまは観光地になっているセブ島の東に浮かぶマクタン島を治めていた。そこに招かれざる客が闖入してくる。ポルトガル人のマゼランだった。世界史に名を刻むマゼランは、初の地球周航体験者のリーダーであり、それによって地球が丸いことを実証したわけだが、この点だけが強調されると、まるで学術探検隊の隊長だったように見えなくもない。だが、事実は違う。

 マゼランの航海の本来の目的は、学術的興味とはおよそ縁遠いものだった。
 「第一に当時ヨーロッパで人気商品だったスパイスを手に入れることだった。そうでなければアントワープの銀行家が資金を提供するはずがない。第二に行く先々の土地や島に十字架とスペイン王室の標識を立て、スペイン領たることを宣言することだった。そうでなければスペイン国王がスポンサーになるはずがない」(大澤正道『ヨーロッパ・帝国支配の「原罪」と謎 ~白人帝国の興亡と弱肉強食の論理』)

 マクタン島の先住民たちにマゼランが見せた貌もまた、侵略者そのものだった。藪から棒に、スペイン王への朝貢と服従、住民のキリスト教への改宗を要求し、従わなければ討つと脅したが、ラプラプはマゼランの要求を拒否した。島の向かいのセブ港は、当時のフィリピンの中心で、中国、インド、アラブ諸国との交易で栄えていたが、マゼラン船隊に大砲の威嚇でやすやすと制圧されていた。ラプラプに二度拒まれ、マゼランは切れた。自ら49人の兵士を率いて、先住民懲罰に上陸した。大砲の援護射撃があればその人数で十分と見たのだろう。ラプラプも作戦を練る。着弾距離以遠で戦えば、断然有利だ。潮汐の動きを知り尽くした遠浅の海岸から、敵を内陸部におびき寄せ白兵戦に持ち込んだ。マゼランは戦死し、残兵はほうほうの体で退散した。

 マゼラン船隊の航海では、どの寄港地も概して友好的だったというが、争い好きなところはそう多くない。そうでなかったのは、略奪者の側だったわけだ。ラプラプによる要求拒否は、マゼランがスペインを出航して以来初めて出会った抵抗らしいから、ラプラプという男の株は大いに上がる。ヨーロッパ帝国主義のアジア侵略に対して「日露戦争以前に行われた最大の戦捷」と記しているのは本多勝一だ。自虐史観論者、本多の取材、記事には一片の信をおくこともできないが(たかが50人を撃破したことに「日露戦争」を持ち出すのも本多ならではのセンス)、それにしても我らはアジア人。マゼランの名を教えるのであれば、英雄・ラプラプの名も学ばせてどこが損なのか。

 現地に建立されている銅像からもラプラプは典型的な先住民とわかるが、イスラム教に帰依していたという。15世紀まで マクタン島があるビサヤ地方にはヒンドゥー教や仏教が入り込んでいた。日本が信長、秀吉の時代の16世紀に、アラブ諸国から伝わったイスラム教が東南アジア東南端のマクタン島を制覇していた事実にあらためて驚くととともに、その布教スピードが、キリスト教よりはるかに速かったことも若い人に伝えておきたい。
 
 
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