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零下15度のハーフ・ムーン

Posted by Ikkey52 on 05.2014 旅の記憶   0 comments   0 trackback
 友がひとり、星になった。身体は9回もの手術でぼろぼろだった。それでも節分の日の朝まで生きながらえた。死因は肝硬変。発症は9年前だから、よくもまあ頑張った。新しい星の戒名は「随流院」だが、俗名は和哉といった。

 私が東京ではじめて出会ったころの和哉は、フォークギターを片時も離さない小兵の大学生だった。専攻は写真学だったが、彼がカメラを構えていた記憶はない。雑誌の投稿で音楽仲間を募ったら1人しか手があらず、結局その1人とフォークデュオをつくった。宮崎出身で某音大声楽科に通うJ子ののびやかなソプラノと、表現力豊かな和哉の歌唱の取り合わせは天の配剤を思わるものがあり、練習を耳にした誰もが絶賛していったが、思い返せばデュオの活動期間はそれほど長くなかった。解散の原因はひとえに、和哉がリーダーとしての立場を忘れ、相方に一方的に思いを寄せたこと。よくある話だが、J子の拒否感の強さに自分も含め周囲は面食らった記憶がある。和哉のほうが2歳年下だったから子供っぽくみえたのか、それとも彼女が晩熟(おくて)だったのか。

 和哉は、国内4番目の大河、天塩川に沿った北海道北部の酷寒の町で、老舗の酒屋を営む家に生まれた。男三人兄弟の真ん中で、兄は大企業のエンジニア。弟が医大に進学した時点で、それほどの葛藤もなく、家業を継ぐという運命を受け入れた。単位を確実に取って大学を卒業し、都内で就職先も決めたまでは根の真面目な彼らしいが、意外にも、気ままなバイト生活を選んだのは、家業を継ぐなら慌てる必要はないし、大都会の勤め人は自分に合いそうもない、と悟っていたからだろう。モラトリアムにも飽きて故郷に帰ると、やはり家業の関係で地元に残らざるを得なかった中高の同級生たちが、待ち構えていたかのように和哉を暖かく迎えてくれた。過疎のすすむ地元を何とかしようという町おこし運動に彼も遅まきながら加わり、新しい居場所を得た。

 故郷の仲間たちの結婚式に和哉の歌とギターは欠かせなかった。なのに自分の結婚となると和哉はシャイな一面を見せる。傍(はた)からはもどかしかった。友人同士のネットワークでもたらされる今風の縁談ならいくらでもあったが、なぜか踏み込まない。和哉が生来持っていた異性のストライクゾーンはかなり狭かったかもしれない。気がつけば時が経ち、地元仲間には仕事以外に家族の比重が大きくなった。和哉は孤独感を深めた。大物のイトウを狙う川釣りに目覚めたのもそのころか。父親が倒れ、店の男手が彼しかいなくなると、次第に出不精になり、隣町境の橋さえ渡らなくなった。時折私にかかってくる夜中の電話のむこうには、正体不明になるまで酒に呑まれた和哉がいた。彼が独身を通したことについて、まさかJ子に心を残し続けていたのでは、という者もいたが、そこまで純でも馬鹿でもなかったはずだ。

 10年ほど前、J子が一人息子の大学進学を機に上京してきた。聞けば郷里の宮崎で食品加工会社を経営する男の妻に納まっているとのこと。その夜は昔馴染みが数人集まってカラオケに興じた。もちろん和哉はいない。どちらかといえば少女趣味に見えたJ子は、田舎のおばさんらしい押しの強さを身に着けていたが、美声は健在だった。以来、カラオケで再会した連中には、J子から年に一、二回、気まぐれに近況を伝えるメールが入った。それだけのことなのに、自分はなんとなく気がとがめ、和哉にあえて伝えなかった。

 「息子が慢性の脳疾患に苦しみ、全うな就職ができそうもない…」。珍しく本音を吐露する深刻な連絡をしてきて以降、J子から私へのメールはピタリと途絶えた。故郷でJ子は、必ずしも幸せではないと直感した。いまさら彼女に和哉の死を知らせることに、何の意味もなく、躊躇はしたが、思い直し、あえてそっけないメールを打った。

 通夜の禅寺に集まったのは、60人、いやもっといただろう。花輪がぐるりと周囲の壁を埋め、しかも御義理らしき花がほとんど見当たらなかった。妻も子もなく逝った五十男への別れとしては、恥ずかしいものではなかった。「枯木も山」のつもりで、はるばる出かけたが、和哉が周囲に愛されていたとわかっただけでも、報われるものがあった。列車の時間が迫っていたので、式次第終了まで居られない。葬儀委員長を買って出た和哉の親友の、嗚咽混じりの挨拶に心残して寺を後にした。

 戸外では足元の雪がキュッと鳴き、鼻毛が凍る感覚があったので、零下15度前後とわかる。息弾ませて駅に着き振り返ると、街灯に浮かぶ駅前商店街は、和也が主(あるじ)だった酒屋を含めてまるで昭和のままだ。30度に設定されている待合室のエアコンの実温度表示は12度を指したまま動かない。JR職員の対応時間は午後4時でとっくに終わり、文句を言う先もない。それでも、居合わせた男女の地元高校生たちは慣れたもので燥(はしゃ)いでいる。ふと、つげ義春の『やなぎや主人』のラストのように、老いた和哉とJ子の夫婦が北国の古びた酒屋を背景に寄り添う、セピア色のスナップ写真が脳裏をよぎって消えた。
 入線時間が迫り、吹きさらしのホームに立つが、さっぱり列車は現れなかった。見上げた空には半月が冷え冷えと輝く。寒さ凌ぎにポケットからスマホを何度か取り出し、J子からの反応を期待したが、手ごたえはない。それでいい、とあらためて思いながら、列車の来る方向の闇に目を凝らした。
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父方は、奈良十津川郷系+仙台伊達藩亘理系。母方は東三河豊橋系+肥前鍋島藩系+加賀藩系

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