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ソ連機に追われた記

Posted by Ikkey52 on 29.2013 アジア・冒険   0 comments   0 trackback
 今思い返しても冷や汗が流れる「若気の至り」は数多い。ヘリで取材に向かう途中、ソ連軍用機に脅されて逃げ帰った経験がある。1983年9月1日に発生した大韓航空機撃墜事件の取材。ソ連の空対空ミサイルを撃ち込まれたジャンボ機の墜落現場はサハリン南西端海上に浮かぶモネロン島沖と伝えられていた。我々の取材ヘリは稚内空港を飛び立って北北西に進路を取った。モネロン島まで120キロほど、といっても、モネロン島はサハリンの一部としてソ連が実効支配している。もろに上空を飛べるわけではないが、できる限り現場に近づくのは取材者の鉄則だ。行けるところまで行ってみよう。パイロットとカメラマンと自分の3人は、そんなゆるい合意を持って飛び立ったのだが…。

 防空識別圏のことはもちろん知っていた。ごく単純に言えば国防上の理由で設定された空の国境である。それを越えれば誰も守ってくれない。操縦桿を握るパイロットには我々取材クルー以上にその意識はあったはずだが、三者三様に海上の漂流物探しに集中していたためか、いつしか防空識別圏への注意が希薄になっていたらしい。その間、レーダー監視している稚内管制から航空無線で警告を受けるようなことは一切なかった。

 モヤがかかって視界はベストとはいえず、島影は見えてこなかったが、時間経過からしてモネロン島に接近していた。最初に米粒大の黒い点を雲間に見つけたのはパイロットのAさんだった。Aさんは民間航空会社に就職して間もなかったが、自衛隊を定年まで勤めたたたき上げの大ベテランで、その飛行時間の長さと技量の確かさからパイロット仲間で知らぬ者はいなかった。黒い点はみるみる大きくなり、機影であることが判別できるまでになった。我々の念頭には、やっと捜索現場に達したという安ど感があるだけで、その感覚からは、機影は日本もしくは米軍の捜索機、という答しか導けない。ところが、まっすぐ我々の乗ったヘリに近づいてくる双発機の翼にはソ連軍であることを示す赤い星が描かれているではないか。

 ヘリやセスナの機内では、轟音で肉声は伝わらず、搭乗者同士はヘッドフォンとそれに取り付けられたマイクで会話する。「ロスケの野郎ッ」というAさんの声が聞こえた直後、機体が大きく揺れた。ソ連軍機が我々のヘリの真上を通過したのだ。ヘリは回転翼の上の気流を乱されると、簡単にバランスを失い、墜落することもある。故意の威嚇であることは明らかだ。Aさんは必死で操縦桿を南へ切っていたが、ソ連軍機は大回りしてまた我々のヘリに向かってきた。
 「ロスケの野郎ッ」の差別用語は、自衛隊入隊以来、ソ連=仮想敵の教育を受けてきたAさんが戦闘モードに入るにあたって、理解できない反応ではなかったし、日本人28人を含む269人の無辜の人々の人生を理不尽に一瞬のうちに奪ったソ連軍に対する世界市民のリアクションとして当然だった、と思えたのは後のこと。こちらは、恥ずかしながらただビビりまくっていただけだった。
 
 当時のソ連は元KGB議長出身の強硬派アンドロポフ書記長が政権を担っていた冷戦後期。一時まことしやかに、全員生存説が流布されたこと、コースを外れて飛んでいたことをアメリカは知っていてソ連のスクランブル能力を試したのではないか等々、10年後に自動操縦装置の故障だった、といわれても、到底わりきれるものではない。ともあれ、あれから30年の月日が流れた。
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