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瀬島龍三は「誓約抑留者」だった…佐々淳行『亡命スパイ秘録』

Posted by Ikkey52 on 19.2019 エスピオナージ・書評   0 comments   0 trackback
戦後日本初のスパイ・キャッチャーを自認した元警察官僚、佐々淳行が、波乱に満ちた来し方を振り返った回顧録。いくつもの暴露談で構成されていて、そのどれも読者の興を削ぐことはないが、もし一点を論じて書評に代えるとすれば瀬島龍三の件以外にないと思う。

 昨年没した佐々については、あえて説明する必要もない。連合赤軍あさま山荘事件の現場指揮官として一躍名を売った人物だ。退官後は、国家的な危機管理に特化したコメンテーターとして、テレビ、新聞、出版をフィールドに存在感を示した。一方、瀬島は旧大本営参謀で、終戦直前に東京から新京(現長春)の旧関東軍総司令部に赴任したままシベリアに抑留され、抑留中に東京裁判の喚問を経験した。生還後は伊藤忠商事の大幹部に上り詰め、中曽根政権のブレーンを務めるなど、戦後政界の「影のキーマン」といわれた。

 軍人としての瀬島には、ソ連軍と関東軍の停戦交渉のなかで、自らシベリア抑留を提案して戦友たちを売ったのではないか、との疑惑があったし、ビジネスマンとしての彼には、インドネシア、韓国に絡む戦後賠償ビジネスや、旧防衛庁への主力戦闘機売り込みを巡って、悪名がずっとついて回った。ただしそれらの真相は、ノンフィクション作家の魚住昭が社員記者時代に同僚とともに書き上げた『沈黙のファイル』(共同通信社社会部編)などによって、すでにあらかた語り尽くされている。

 対照的に、一向に白黒つかなかったのが、瀬島のソ連大物スリーパー説だ。そもそも11年の長期に渡って抑留されていたせいで、瀬島は最後までKGBに屈しなかった大本営参謀と見なされた。その民族的な思い込みは、社会復帰した瀬島に、政界、財界を自由に泳ぎ回るうえで、実に便利な御朱印札を与えた。抑留将兵のうち、共産主義者に宗旨替えした順に帰国を許されたのは紛れもない事実だからだ。

 1954年、在日ソ連代表部の一員で、スパイ活動をおこなってきたラストボロフがアメリカに亡命した。その関連で日本人協力者らが摘発されたが、当時、警視庁外事課や警察庁の外事担当部署であらかじめラストボロフの行動監視を指揮していた佐々は、伊藤忠商事のヒラ社員であった瀬島との接触を見逃していなかった。

 「誓約抑留者」。シベリア抑留から復員した将兵のうちでも、KGBに忠誠を誓った者を公安当局はそう呼んだ。瀬島はまさしく「誓約抑留者」に分類されていた。中曽根内閣の官房長官として政権の屋台骨を支えた後藤田正晴は、かつて警察組織を統括した内務官僚出身でありながら、佐々から意見具申されるまで、そのことを知らなかった。

 後藤田は、「ラストボロフ事件当時、佐々の上司が、なぜ徹底した捜査を命じなかったのか」と、疑問を口にするだけの度量を持ってはいたが、そのころ瀬島は総理の中曽根に深く取り入り、すでに全官庁は「瀬島を敵に回していいのか」という空気に支配されていた……。
  

プロフィール

Ikkey52

Author:Ikkey52
ジャーナリスト 札幌生まれ
父方は、奈良十津川郷系+仙台伊達藩亘理系。母方は東三河豊橋系+肥前鍋島藩系+加賀藩系

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