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「かくも長き不在」 ~北朝鮮ミサイル、北方領土、尖閣、竹島、森友、加計、放送法…

Posted by Ikkey52 on 23.2018 政治   0 comments   0 trackback
 極めて個人的理由から、ずいぶん長いこと(なんと昨年9月以来!)サボってしまいました。読んでいただいていた方々にはお詫びの言葉もありません。 sim_convert_20180428174634.jpg ヌーヴェル・ヴァーグの名作に「かくも長き不在」という映画がありました。スクリーンで出会って40年以上経ちますが、原題の直訳とはいえ、日本語としてここまで印象深いタイトルはめったにありません。「長い不在」を埋めるよう心がけます。

 考えてみれば、2017年を概観する余裕がなかった。そこであらためて2017年の重大ニュース(ただしネット読者選出分)を見てみた。芸能関係で安室奈美恵の引退発表が1位、スポーツ関係では浅田真央の引退発表が1位というのだが、正直に告白すれば「エーッ」という感じを抱いた。両者のファンには申し訳ないが。
 国際関係では、トランプの大統領就任がトップ。これは順当だろう。次いで金正男暗殺、北朝鮮ミサイルの日本上空通過、トランプの初来日、朴前大統領逮捕、ノーベル文学賞にカズオ・イシグロ、と続く。
 国内政治の1位は、豊田真由子議員騒動、いわゆる「このハゲーーーー!!!」だ。影響力の大きさからみれば、取るに足らないかもしれないが、超おもしろニュースではあったことは認める。2位は国際関係でもランクインした北朝鮮ミサイル発射でJアラートが発令された事態。これを、森友・加計問題よりも重要と捉える感覚は、極めて鋭い。以下、天皇退位法案可決、小池百合子都知事の「希望の党」大騒動、解散総選挙と自民圧勝などとなっていた。

神田川の_convert_20180428110144

 日本と日本人にとって2017年は、地球上で唯一国交を結んでいない国、しかも拉致という形で危害を加え続けてきた国から、出来損ないのミサイルが飛んできて、自国の上空を横切るという、黙示録的意味を持つ年になった。少なくとも、能天気に、偶然与えられているに過ぎない「平和」に酔っている場合ではない。
 アナキズム系の思想家に数えられることもあるジャン・ジャック・ルソーではないが、個人同士が社会契約を結んで国家を形成しているのは、個人の生命と財産を守る目的だとすれば、いま日本という国家そのものの存立が問われている、と言ってもいい。領土を侵されるという問題も突き詰めると、国民の生命、財産に関わる話で、その回復や危ういあり方に危機感を持つことは別段軍国主義でも何でもない。北方領土、尖閣、竹島のうち、北方領土は終戦の仕方の誤りが、米ソ冷戦の道具にされてしまった例だが、尖閣は主権を速やかに公使しなかったために拗らせ、竹島も李承晩ラインに手をこまねいていたために実効支配を許した。後二者の対応の不味さの根っこにあったのは、当時の政治家のアメリカに対する奴隷根性だ。

 森友・加計問題に見える政府高官らの過剰な忖度も、奴隷根性の所産だ。奴隷頭は平の奴隷には威張るものだ。野党連は、罪作りは安倍一強政治だというが、一連の官僚の不適切な言動と安倍の指導性との間に明確な因果関係は出てこない。しかし、競争入札にせず、随意にしたのは明らかに近畿財務局のミスだ。
 メディアの主流から隠されている事実も多い。例えば森友学園の小学校用地は、伊丹空港に隣接した騒音と水はけの悪さから、国が売ろうにも売れない物件だった。利用価値もなく、売れない土地を国が抱えていることは、国益に反する。税金の無駄遣いだ。持っているだけ損なのであれば、タックスペイヤーとしては叩き売って、損切して欲しいと思う。叩き売りに理屈が必要ならば、理屈を付ければいい、という話ではなかったか。籠池なる卑しい男が、それに目を付けたということだろう。なお、問題の土地と一体と見なされていた一部が、民主党政権時代に豊中市の公園に買い上げられるにあたって、当時国交副大臣だった辻元清美が関西生コンなる怪しげな団体を隠れ蓑にして暗躍した、との報道がある。掘り下げて欲しい。
 加計のほうは、半世紀にも渡って獣医学系の学部や大学の新設が許されていないという異常な情況が、すっぱり報道から切り捨てられている。自ら獣医師資格を持つ旧田中派元代議士の北村直人が、既得権者たちを代表する形で、新設を認めないよう、与党にロビー活動を展開してきたというのだからあきれてしまう。

 賢明なる野党諸氏よ。ミサイルの列島通過阻止や拉致被害者の奪還こそ、選良たる者の第一優先課題ではないか。モリカケの証人喚問ショーを呼び物にお祭り騒ぎをやっている場合か、よく考えて欲しい。
 蛇足になるがもう一言。モリカケを国会の焦点にしたのは、ひとえにメディアだ。もともと「メディア」というのは媒体という意味であり、持論をまき散らすためにあるものではない。それは新聞もテレビ、ラジオも同じだ。ただ、テレビとラジオの場合、国民の財産である電波を預かっているので、媒体としての役割、つまり、国民の間に議論のある問題を報じるときは、一方の側の肩を持つのではなく、逆の立論も紹介するよう法律で義務付けられている。それができていない現状があるのは確かで、だから放送法改正という論議を突き付けられる。そのことを例によって無視し、自分たちで危機を読んでおきながら、民放が切り捨てられる、などと被害者面をするのは、いい加減にして欲しい。

  

プロフィール

Ikkey52

Author:Ikkey52
ジャーナリスト 札幌生まれ
父方は、奈良十津川郷系+仙台伊達藩亘理系。母方は東三河豊橋系+肥前鍋島藩系+加賀藩系

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