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隣りの大国の「忘れられたシベリア抑留」

Posted by Ikkey52 on 28.2016 現代史   0 comments   0 trackback
 終戦以降、旧満州で武装解除された日本兵や満州国官吏らを中心に、60万~70万人の日本人が旧ソ連軍によってシベリア各地の収容所に連行され、国際法上の根拠のない厳しい奴隷労働を強いられた。シベリア抑留である。敗戦したドイツの兵隊にも同様の運命が待っていたが、ドイツ人のシベリア抑留者は日本人の4倍にものぼった。知る人ぞ知るの話だが、本稿の主題は日独のシベリア抑留ではない。中華人民共和国成立後まもなく、北京政府がソ連との密約によって、罪もない国民100万人を労働力としてシベリアに送っていたというのだ。

 この極秘の動きを証明するのは、アメリカ国務省とアメリカ極東軍司令部(東京)の間で交わされた1950年1月24日の電報だ。有馬哲夫の『歴史問題の正解』から引用する。
「…30万人の中国人労働者がすでに満州からシベリアに送られており、さらに70万人が6ヶ月のうちに華北から送られることになっている。中国のあらゆる施設と炭鉱にソ連の技術者が受け入れられることになっている。ソ連式の集団的・機械的農業を夢見る熱烈な親ソ派は、農民がいなくなった耕作地と残された人々の飢餓を平然と眺めている…」。

 建国まもない時期の北京政府は、朝鮮戦争にかかりきりだと思っていた、という有馬は、この電報が交わされた前の年にすでにチベット侵略が緒についていたことにあらためて気づく。チベットばかりではない。当時の北京政府は、ベトナム、ミャンマー、タイ、ラオスの各国境にも激しい軍事的圧力を加え、版図拡大に狂奔していたのだ。中国の朝鮮戦争への加担を、広義の自衛目的と見ずに、こうした文脈から見直すとどうなるか。参戦を通じて中国は、北朝鮮の事実上の宗主国になれたのだから、これもまた露骨な拡張主義の一環と読める。

 もちろん、北京政府の貪欲な対外膨張を可能にしたのはソ連の裏書があればこそだ。満洲、華北から駆り出され、シベリア送りになった100万人はそのための人柱ということになる。「満州と華北の人民といえば、軍閥同士の覇権争い、日中戦争、ソ連軍の侵攻、国共内戦によって多大の被害を被った人々だ。新生中国は、よりによって、もっとも戦禍に苦しんだ同胞をシベリア送りにし、その代わりとして、ソ連の技術者を派遣してもらい、隣国を侵略する権利をソ連から得たのだ」。

 それにしても、他国(大日本帝国)の侵略を受ける痛みを十二分に知りながら、建国宣言から間髪を入れず近隣諸国の侵略に乗り出していく北京政府のメンタリティは、いまとなってはなかなか理解できるものではない。朝鮮半島で火を噴いたように、冷戦に伴う東西のオセロゲームの過熱ぶりと関連付けて考えるしかないが、その冷戦も終わって久しい。にもかかわらず、冷戦末期に開始した反日教育を継続し、反日モニュメントを各地につくって日本に対する被害者意識を再燃させている。他国政府(日本)の歴史認識にくちばしを挟み、南沙、西沙両群島はいうにおよばず、戦後、沖縄の一部としてアメリカの委託統治下にあったことが明白な尖閣諸島にまで、理不尽な領有権を主張するなど、中国の領土拡張主義はその後も全く変わっていない。
 人柱としてシベリア送りになった100万人の子孫が声を上げ、厳しく国の責任を問えるような開かれた国なら、とっくに独裁政権は倒れ、チベットもウイグルも圧政から逃れられるところなのだが…。
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Author:Ikkey52
ジャーナリスト 札幌生まれ
父方は、奈良十津川郷系+仙台伊達藩亘理系。母方は東三河豊橋系+肥前鍋島藩系+加賀藩系

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