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平成の阿片

Posted by Ikkey52 on 18.2016 文化   0 comments   0 trackback

 軽妙洒脱な批評眼に一目置く友人が、人ごみのなかで「平成の阿片」と吐き捨てた。「歩きスマホ」の群れだ。行き交う人の多くが視線を下げ、手元の端末を追いかけている。イヤフォンから流れてくる音楽に心酔しているのか、目を閉じ気味にして夢遊病者の徘徊を思わせる男女もいる。道を譲るのは、当たり前に顔を上げて歩く人たち。江戸の「お武家様」は、「道をあけいっ」と口にしなくても町人たちが次々に行く手を譲ってくれた。手元を見ながら歩く連中はそれと変わりない。スマホは印籠か。

 電車の乗客間にあった暗黙のルールもスマホのせいで反故になりかかっている。ドア付近に立つときは、駅に着いたら一旦車外に出て、降りる人を通すのが気持ちのいい日本人のマナーだったが、SNS、ネトゲに熱中したまま、ドアの真ん前に立ち続け、梃子でも動かない雰囲気を醸す輩がひどく多くなった。これでは、中国人観光客のマナー違反を笑えない。怖いのは、「ドア付近居座り族」の存在を、何とも思わない人が多数派を占めることだ。

 あえて調べるまでもなく、スマホ中毒は社会問題になっている。日本だけではない。世界的に、だ。英語圏ではSmartphone addictionとか、Nomophobiaなどと呼ばれる。
 BBC Newsによれば「Emojiや自撮り棒の発祥の地であるアジアでは、スマートフォン中毒者数の上昇が他の地域に比べ、目立って上昇傾向にあり…」というから恐ろしい。
http://news.livedoor.com/article/detail/10586059/
 症状は、意味なくスマホをチェックする。夜中も気になって起きる。手元にないとそわそわするなど。結果として、スマホ以外への関心や集中力が極端に低下することになる。

 わが身を振り返ると、スマホ普及以前だが、職業柄、ひっきりなしに新しい情報はないかチェックするのが習い性だった。それでも例外は作っていた。まれにありつけるプライベートな旅の時間だ。旅先ではテレビ、ラジオ、新聞等一切の外部情報を遮断した。誰に教わったわけではない。精神のバランスを取り戻そうと、いつのまにか自分自身に課していたルールだ。第一、最新ニュースであふれかえった頭で、陽光降り注ぐ眩しい海辺やマイナスイオンに満ちた静謐な森林に立っても、リラックス効果など望めないではないか。

 もちろん、バッテリーの重さが肩にずしりと食い込む海外通話用のモトローラを持たされた世代だ。携帯電話との付き合いは古く、ガラ携からスマホに持ちかえてすでに久しいが、幸い中毒とは無縁でいられた。心の深層には、自分の時間を第三者に何の脈絡もなく邪魔されたくない、という思いがある。他人に易々と捕まらないでいられるのは、自由の大切な要素だ。

 スマホ中毒者の年齢は低下する一方というのも気がかりだが、自分は60代半ばのスマホ中毒者を知っている。彼は会話で瞬時でも間があくとスマホに目をやってしまい、酒席を気まずくしていることに無自覚だ。だから、スマホ中毒問題を世代論で片づけるべきでない。かつてイギリスや日本は中国国内に阿片地獄を現出させたが、阿片の流入が遮断されると、中毒者は激減した。「平成の阿片」は、使い方さえ正しければネット社会の利器には違いなく、供給を止めるわけにはいかない。かといって、マナーや道徳を説いても、実(じつ)は上がりそうにない。ヒトの脳に対してシャブ同様に危険だ、という学者もおり、ギャンブル中毒のように精神障害に分類すべきという医師もいる。使用総量に制限をかけるアプリのインストールをスマホ販売時に義務付けては、という案もあるが、果たして効果はあるだろうか。
  

プロフィール

Ikkey52

Author:Ikkey52
ジャーナリスト 札幌生まれ
父方は、奈良十津川郷系+仙台伊達藩亘理系。母方は東三河豊橋系+肥前鍋島藩系+加賀藩系

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