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「日本の首領(ドン)」を腑分けしてみれば…工藤美代子『悪名の棺 笹川良一伝』

Posted by Ikkey52 on 22.2016 文芸批評   0 comments   0 trackback
 ジャーナリストは気弱では務まらない。99%の人がワルだと決めつけている人物を、「事実に基づけば善人だ」、と擁護しなければならないからだ。『悪名の棺』を著して、笹川良一という毀誉褒貶の激しい人物の素顔に迫った工藤美代子には、ジャーナリストに相応しい胆力が備わっていたと思う。提灯記事も書くのか、と思われてはノンフィクション・ライターたる者、表現者生命を断たれかねない。

 恥を晒せば、自分の笹川理解は実に凡庸なもので、戦前に右翼政党を率いた超国家主義者、ムッソリーニとの会見、A級戦犯容疑者、児玉誉士夫との繋がり、戦後はモーターボート利権の独占、などをキーワードとして、単純なマイナス・イメージを作り上げていたにすぎない。

 工藤が筆を起こしたのは、良一の生地から。大阪と京都、ふたつの人口密集地からそう遠くない村の造酒屋の長男として育った。年下の幼馴染にはノーベル賞作家の川端康成がいた。康成が東京帝大に進学し、世話する者がいなくなった川端家の墓を、誰に頼まれるでもなく良一が守ったというから、長じても二人が絆を保ったのもうなずける。

 高等教育不要と父に言い渡された良一は航空機への憧れを募らせ、民間飛行家のもとで二年間も修行している。経歴を買われ、兵役でも陸軍の航空大隊に配属された。戦後は海と船の元締めと見なされてきた男の意外な過去だ。昭和14年、良一は冒険飛行を目的に欧州を目指した。ローマではムッソリーニと会っているが、ムッソリーニもまた自ら操縦桿を握る男だった。だから会見といっても、飛行機愛好者同士の表敬訪問程度ではなかったか、と工藤はいう。まして良一は、強硬な三国同盟反対論者の山本五十六と肝胆相照らす仲だった。
 
 良一の父は財産家だったが、質素を貫いて死亡したため、惣領の良一の手に、身分不相応な遺産が遺される。これを大事に守るどころか、堂島の米相場に気前よくつぎ込み、勝ってしまったのがツキのツキ初め。利殖の道は、小豆、株、鉱山、土地へと広がり、良一は父の遺産を瞬く間に大きく増やす。良一に悪名がついて回る原因の大半は、巨額資金の出どころの分り難さからきているが、若いころから類いまれな利殖の才に恵まれていたと考えれば、あれこれ合点が行く。

 飛行場を私費で造成し、陸軍に献納した。国粋大衆党を結成し、多くの部下を養ったなかに、児玉誉士夫もいた。東条内閣当時の翼賛選挙に非推薦ながら出馬し、官憲にポスターを破られながらも当選を果たした。社会主義者の西尾末広と非推薦組のよしみでウマがあった。国会デビューは、翼賛会推薦制度の廃止を求めての東条首相への質問だった。敗戦後は、巣鴨でひと暴れしてやろうと戦犯容疑者指名を待ち焦がれていた。出所後は私財を使って巣鴨に繋がれた人たちの家族に仕送りし、処刑された人々の遺族会を組織した等々…。小説より奇なる良一のエピソードをあげればきりがない。

 もうひとつふたつ記すとすれば、良一と同じく巣鴨に入っていた児玉誉士夫は、GHQの取り調べに対し、良一が飛行場献納に見せかけて陸軍から金銭を取ったと、根も葉もない証言をしたこと。良一の死後、児玉が世話になったと夫人に持ってきたキャッツアイの宝石が偽物であったこと。艶福家で鳴った良一は、東洋のマタハリこと川島芳子ともベッドを共にしたことなどだ。笹川良一伝が超大作として映画化されれば大ヒットするかもしれないが、果たして工藤並みの胆力を持つプロデューサーがいるかどうか。
  

プロフィール

Ikkey52

Author:Ikkey52
ジャーナリスト 札幌生まれ
父方は、奈良十津川郷系+仙台伊達藩亘理系。母方は東三河豊橋系+肥前鍋島藩系+加賀藩系

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