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スプートニク打ち上げと日本社会党の変節

Posted by Ikkey52 on 27.2015 現代史   0 comments   0 trackback
 こんなことを書くと年齢がばれてしまうが、中学1年生のとき、友人と2人して日本でも人気の高かったスウェーデンのインストルメンタル・グループ「ザ・スプートニクス」の公演を聴きに行った。リード・ギター担当のリーダーは元電気工で、アンプのフレームにいくつもの小さな電球を埋め込み、ギター音の強弱が電球の明暗と連動するような細工を施していた。深くリバーブを効かせた独特のサウンドと、暗いステージ上でアンプの箱が強く弱く輝く様(さま)はいまでも忘れない。

 「ザ・スプートニクス」のバンド名は、もちろん旧ソ連がアメリカに先駆けて打ち上げに成功した史上初の人工衛星スプートニクにちなんでいる。このスプートニクが、自民党とともに日本の55年体制を形成した日本社会党の安全保障政策を大転換させた。どういうことなのか。

 1960年の日米安全保障条約改定に強く反対し、反安保国民運動をリードした日本社会党が、実は当初、条約の改定に賛成だった―。
 そんな馬鹿な、と驚く声が聞こえる。自分がまさにそうだった。しかし、公党の政策変遷は、国会論戦の形で正確に記録されていて、隠し立てできず、真偽を争うまでもない。

 「8千万民族は、われわれの同胞は、他民族の軍政下にあることは忘れてはなりません。不平等条約の改正をやることが現在日本外交に与えられた大きな使命なり、と私は断ぜざるを得ないのであります」(浅沼稲次郎・衆院本会議・1957年2月)
 「不平等条約を平等なものにしたいという国民の熱願」(石橋正嗣・衆院内閣委・1957年11月)

 浅沼発言は当時の社会党書記長としてのもの。のちに委員長となり、右翼少年の凶刃に倒れた。浅沼と同じく社会党の書記長、委員長を歴任する石橋の発言も、その後「ミスター非武装中立」として鳴らした人のものとは到底思えない。日米安保改定に、結果として政治生命をかけることになる時の首相岸信介は社会党の方針を受け、「米軍の占領状態が事実上続く旧安保条約をより対等に改定するのだから、与野党はもとより、大多数の国民が支持してくれると考えていた」(産経ニュース【安保改定の真実(6)】・2015年5月)。

 「社会党が安保条約『廃止』に転向するきっかけとなったのは、昭和32年10月のソ連の人工衛星スプートニクの打ち上げ成功だった。これが米ソの軍事的パワーバランスを逆転させ、11月には中国国家主席の毛沢東が『東風が西風を圧した』と宣言した」(産経ニュース・同)。
 
 人工衛星は容易に大陸間弾道弾ICBMに転じ得る。つまり、スプートニクの打ち上げ成功は、即アメリカがソ連の核兵器の射程内に入ったことを意味する。日本社会党の振り子はあわただしくソ連に振れた。党内左派が勢いづき、中ソは表沙汰にならない形でその流れを物心両面からサポートした…。中ソによる典型的な対外政治工作に最大野党はまんまと乗せられたわけだ。岸の実弟佐藤栄作が首相として敵役となった70年安保の前後でさえ、反基地闘争の現場で毛派の連中の近くに陣取っていればふんだんに中国製缶詰にありつけた。あれは中国による対日工作の末端風景だった。
 
 社会党の方針転換を間違っても「覚醒」とは受け取れない。少なくとも今、自分が抱いていたいわゆる60年安保闘争観は音を立てて瓦解しつつある。
  

プロフィール

Ikkey52

Author:Ikkey52
ジャーナリスト 札幌生まれ
父方は、奈良十津川郷系+仙台伊達藩亘理系。母方は東三河豊橋系+肥前鍋島藩系+加賀藩系

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