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「チュニジアの夜」と「昼」

Posted by Ikkey52 on 23.2015 事件   0 comments   0 trackback
 観光目的の出国経験はあまりないが、仕事では海外をあちこち歩かせてもらった。そのせいか、エキゾエティズムに焦がれるような感覚にはさすがに縁遠くなった。有力なAの文化圏と有力なBの文化圏に挟まれたところに位置する国の文化は、程度の差こそあれA文化とB文化の折衷であって、AともBとも異質なC文化であることはない、とわかったこともある。それでも「チュニジア」という響きは十分蠱惑的だ。「洋の東西」というとき、どちらかといえば「東」に分類される文化圏の国に、こんなにもエキゾエティズムを掻き立てられるのは、自分たちの暮らしがあまりにも西欧化してしまったからだろうか。近年ではジャスミン革命震源地という好イメージが加わり、その後の政情が多少不安定と聞かされてはいても、まさかIS(イスラム国)、もしくはアルカイダかのテロの舞台となり、日本人観光客から死傷者が出るとは、想像もしなかった。

 チュニジアの名をジャズの名曲「チュニジアの夜」で頭に刻み込んだ人は多かろう。バップの大御所トランぺッター、ディジー・ガレスビーの手になるエバーグリーンだが、自分が覚えたのはアート・ブレーキー&ジャズメッセンジャーズの録音。ある洋楽全集に収められていたブルーノートのEP盤で、いっしょにバンドルされていた解説ムックにはたしかチュニジアであろうと思われるカラーの風景写真があしらわれていた。この曲がなぜ「チュニジアの夜」と命名されたのか、調べてみたがよくわからない。生前のディジーにインタビューしたジャーナリストなら間違いなくぶつけていそうな質問だが、それさえ残っていないのはなぜだろう。

ジャスミン革命以後に発表されたイギリス人作家チャールズ・カミングの小説『甦ったスパイ』には、30年前、働きながら学ぶ学生として暮らしたチュニジアを、生き別れになっていた息子との再会の地に選んだ50代英国人女性アメリアの感慨が以下のように綴られている。
 「見た目にはチュニスはほとんど変わっていなかった。夕方の蒼空を背景に空気を切って飛ぶアマツバメ。乾いた猛烈な熱気、絶え間ない人々の話し声。ラ・マルサの公園…。だが、もちろん変化はある。若い女たちは化粧し、ドルチェ&ガッバーナのジーンズをはいている…。1978年に埃とオイルに塗れて走り回っていた子ともたちは今や大人になり、アメリアをタクシーに乗せてバルドー博物館に連れて行き、あるいは高級レストラン〈ダール・エル・ジェルド〉でフランソワが昼食を取るとき、ナプキンを差し出してくれる」。
 フランソワはアメリアの息子。バルドー博物館は今回、テロに襲われた施設であることはいうまでもない。

 報道によればチュニジアは、IS(イスラム国)兵士の最大供給国との説がある。事実上、無政府状態に陥っている近隣国リビアの状況も反映しているのかもしれない。一方で、この国の立憲政治の歴史は、アフリカとしても、イスラム世界としても最も古く、驚くことに日本よりまだ古い。カルダゴ遺跡など観光資源に事欠かないこともあって、観光立国が実現されており、実際ヨーロッパの人たちの憧れの対象だったようだ。革命余波で観光客の入りこみは大きく落ち込み、それがようやく戻り始めていたなかでの今回の白昼テロ事件。観光客を遠ざけ、チュニジア経済に打撃を与えることが狙いだったのか。異教徒にもいたっておおらかに接していたとされる国民には実にはた迷惑な出来事に違いない。
  

プロフィール

Ikkey52

Author:Ikkey52
ジャーナリスト 札幌生まれ
父方は、奈良十津川郷系+仙台伊達藩亘理系。母方は東三河豊橋系+肥前鍋島藩系+加賀藩系

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