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被災地石巻の今後と女川原発

Posted by Ikkey52 on 26.2014 原発   0 comments   0 trackback
 東日本大震災から3年と7ヶ月。宮城県石巻を訪ねる機会があった。津波の海岸部直撃に加えて、北上川逆流氾濫で被害を広げた県下第二の都市だ。3500人が犠牲になった。

 「津波の予兆は沖合に現れる波頭と思うでしょう。でも、最初は埃っぽい風が吹くんです」と語るのは、主婦のSさん。体験した者にしかわからない感覚だ。Sさんは幸い自宅に住み続けられたが、息子さんは家の二重ローンに苦しんでいるという。
 石巻という街の名は、街の中央を南北に隔てる大河、北上川の水中に烏帽子状の岩が顔を出しており、その周囲の水が渦を巻いていたことに由来するそうだが、その烏帽子岩があの日の川の逆流圧力によって流されてしまい、いまは見当たらない。
 古い歴史を刻む港だから街中の道路幅は狭い。そこにたくさんの車が一度に集中して巨大な駐車場状態になり、最後は津波に追いつかれて死者の数が増えた。地震と津波の一撃からはとりあえず助かったものの、救援の手はなかなか差し伸べられず、その後の吹雪交じりの寒さにやられ亡くなった人も多い。Sさんは、そこまで話して目を潤ませた。

 東北電力女川原発の敷地は、石巻市と隣接の女川町の両方にまたがっている。石巻中心部と原発の距離はわずか十数キロ。つまり、石巻は危うく、地震、津波に加えて「放射能」の三重苦をしょい込むところだった。すでに語り尽くされていることだが、女川では震災で環境放射線監視システムが壊れ、職員の多くも行方不明となったため、国も県も原発で何が起きているのかさえわからない状態がしばらく続いた。女川原発の標高は14.8メートル。原発に押し寄せた津波の高さは13メートルとされるが、敷地の地盤が1メートル沈下していたため、実際に津波の飛沫の痕跡が敷地の外縁に残っていた。そもそも、早稲田大学の調査によると、最寄の女川町で最大17.6メートルの津波を観測している。つまり、女川原発が福島第一化しなかったのは、単に運の問題でしかなかったわけだ。

 Sさんは、石巻漁港近くにうずたかく積み上げられた巨大ながれきの山を見るたびに、人手による分別作業は永遠に終わらないのではないか、と思ったそうだ。そうしたがれきも、あれから3年経って全て片づけられた。放射能に汚染されたがれきであれば、その処理はさらにやっかいになるところだった。

 芭蕉が弟子の曾良を伴って立ち寄り、海の向こうの金華山を遠望しようとしたと伝えられる景勝地の日和山は、大震災の際、学校にも近い格好の避難場所として多くの市民の命を救った。その眼下に広がっていた住宅密集地は、地震直後に家庭から漏れたプロパンガスに引火して、さながら地獄絵図だったという。ただし、そう教えられなければ、一面セイタカアワダチソウに覆われた荒野にしか見えない。その荒野の一角が小さく拓かれ、鎮魂の親子地蔵が置かれていた。元はコンビニの敷地だったという。

 Sさんによれば、再建が決まった市民病院の立地を巡って、いま市民の間から多様な意見が噴出しているそうだ。凶事の後片付けがようやく終わって、石巻はこれから、新しいマクロ的な街づくりが本格化する気配だ。そのなかには、隣接して立地する女川原発の危険性、具体的には廃炉についての論議も含まれるだろう。市民の判断を注目したい。
  

プロフィール

Ikkey52

Author:Ikkey52
ジャーナリスト 札幌生まれ
父方は、奈良十津川郷系+仙台伊達藩亘理系。母方は東三河豊橋系+肥前鍋島藩系+加賀藩系

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