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憲法が導く人格権と大飯原発差し止めの論理

Posted by Ikkey52 on 26.2014 原発・社会   0 comments   0 trackback
 9条ばかりが注目されがちな日本国憲法だが、13条の幸福追求権、25条の生存権あたりは、実際なかなか光が当てられてこなかった。
 25条の生存権で思い起こすのは朝日訴訟。朝日といっても新聞社のことではない。朝日茂という重い結核患者が、岡山国立療養所に長期入院しながらたった一人で1957年に国を相手取って起こした訴えで、生活保護給付金水準の低さを問う内容だった。原告の朝日が依拠したのは憲法25条の「すべて国民は、健康で文化的な最低限の生活を営む権利を有する」といういわゆる生存権条項。25条は単に目指すべき国の目標を定めている(プログラム規定)にすぎないのか、それとも具体的な権利を保障するものなのか、論議を呼んだ。かつては中学、高校で誰もが教えられたし、法学部の大学生なら憲法学や法社会学でもっと深く学んだはずだが、いまはどうなのだろう。審理経過を読むと、パンツは年1枚で足りるか、チリ紙は月何枚でよいかなど、当時の生活保護水準の低さを偲ばせる話が頻出しやりきれなくなる。

 13条の幸福追求権、25条の生存権などから導かれるのが「人格権」であり、この人格権は「公法、私法を問わず、すべての法分野において、最高の価値を持つとされている」から、「本件訴訟(関西電力・大飯原発3,4号機差し止め請求)においてもよって立つべき解釈上の指針である」と判示したのは福井地裁だ。先月21日の住民勝訴の画期的な判決は、すでに多くのメディアやSNSで語り尽くされた感があるが、あえてもう一度なぞっておきたい。

 「原子力発電技術においては、いったん大事故が起これば、その事故現場に立ち入ることができないため、事後原因を確定できないままになってしまう可能性が高く、福島事故においてもその原因を将来確定できる保証はない」。
 問われているのは、大飯原発の再稼働ばかりではなく、福島第一もまた被告席から退去を許されていないのだ。なぜなら、いまだに福島の原子炉内で何が起きているか調べられないではないか…。この明快な認識がすごい。
 「多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題を並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断するのは許されない」。
 原発は電力需要者の懐具合や特定地域の金回りの問題ではなく、周辺住民の生存に関わる問題であるということ。
 「原発の稼働は法的には電気を生み出すための一手段たる経済活動の自由に属するものなので、憲法上は人格権の中枢より劣位に置かれる」。
 原発はたかだか発電の一手段ではないか。その程度のものが、同時代を生きる人の生命・財産・健康を脅かし、土地や海、大気を汚染して生産手段を奪い、生活基盤となっていた先祖代々からの地域共同体を解体させ、さらには次世代へ廃棄物処理費用などの巨額のツケを残す…。フクシマ事故の授業料がどれほど高くついたことか。憲法が保障する人格権の前では、電力会社の「経済活動の自由」など徹底的に制限されるべきだ。

 おりから原発を持たない沖縄電力を除く全国電力9社は26日、一斉に株主総会を開いたが、過去に一度も株主提案がなかった北陸電力を含め、全社で脱原発を求める事前の株主提案があった。各社はいずれの提案も否決し、判で押したように再稼働を目指す方針を説明したという。電力会社の経営者たちはリーガル・マインドという重要な企業理念をご存じないらしい。
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Author:Ikkey52
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