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オキナワ2013…基地、冤罪、豚の首

Posted by Ikkey52 on 28.2013 旅の記憶   0 comments   0 trackback
 沖縄自動車道を那覇から北上する。土砂降りの雨。その日は快晴の東京から飛んできたものの、前日、札幌から新千歳までの移動は大雪で、高速バスもJRも大幅遅れ。ようやくの思いで脱出してきた身としては、雨さえ妙にうれしい。
 「沖縄の高速道路のアスファルトには、貝殻が混ぜ込んであるので滑りやすい。雨の日は事故に注意しろ」。以前、そんな忠告を受けたことがあった。疑わしい話ではあるが、一応、レンタカーの運転に集中する。前後と対向車は、「軽」や1000㏄前後の小型車が大半を占める。沖縄の特色だろう。心の中の記憶が、少しずつ解凍し始める…。

 人生初の沖縄行きは、20代のころの取材。本土復帰からまだ10年を経ていない那覇には、モノレールも高速道路も、むろんない。バス以外の公共交通機関を持たない街だったから、幹線道路の渋滞は、想像を絶した。
学生時代の一時期、横田基地の街、福生に暮らしたことがあって、米軍ベース周辺特有の雰囲気には臆さなかったが、横田と那覇では意味が異なる。そうした環境にウチナンチュー(琉球人民)を置いたのは誰か。北海道外を「内地」と呼ぶ大人たちを見て育った自分も、彼らからすれば、単なるヤマトンチューでしかない。内側にヒリつくようなものが滞在中ずっとあった。あちこちに、ステーキ・ハウスの看板が目立ち、なぜか、そーきそばやゴーヤチャンプルー、やぎ汁の記憶はない。以来、こんなに沖縄に来る機会が多いとは全く予想しなかった。

 ノモンハンで、ガダルカナル島で、アッツ島で、激戦を続けた日本陸軍最強部隊のひとつ、旭川師団の兵士たちが、沖縄戦でも多く命を落としたことはあまり知られていない。戦後の混乱期、北見で起きた2件の強盗殺人事件で有罪判決を受け、無期懲役刑に服したものの、獄中から冤罪を訴え、仮釈放中に再審無罪を勝ち取った梅田義光さんは沖縄戦の生き残りだ。後継者を戦争に奪われた家族の多い中で、奇跡的に生還した梅田青年に対する家族、近隣の期待はいかほどだったか。ずさんな事実認定が、朴訥そのものの若者の人生を狂わせた。梅田さんにむごい拷問を加えた刑事Aに当たったことがある。「ひかれ者の小唄を聞いた」などと、元特高のAは、当時でも梅田犯行説を微塵も疑っていなかった。その思い込みの強さに、ぞっとした記憶がある。生きて郷里に戻れなかった梅田さんの戦友たちの名は、糸満市の摩文仁の丘に設けられた「平和の礎(いしじ)」にくっきりと彫り込まれている。冤罪で思い出すのは、沖縄出身の作家、伊佐千尋の大宅ノンフィクション賞受賞作『逆転』。伊佐本人がアメリカ施政権下で陪審員を務めた稀有な経験を綴った。

 嘉手納の展望台から見たB‐52爆撃機の巨大な機影。海兵隊の拠点、普天間基地内を案内してくれた金髪の美人軍曹。那覇の第一牧志公設市場の精肉店に並ぶ豚の首から、強烈なアジア臭を感じたことなど、こもごも思い出される。気づくと雨は小降りに変わっていた。高速道路が尽き、視界が開けたと思うと、穏やかに凪ぐ名護の湾が迫ってきた。
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Author:Ikkey52
ジャーナリスト 札幌生まれ
父方は、奈良十津川郷系+仙台伊達藩亘理系。母方は東三河豊橋系+肥前鍋島藩系+加賀藩系

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