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ジャズは辺境から変わる…老批評家、相倉久人の長い旅

Posted by Ikkey52 on 14.2013 音楽   0 comments   0 trackback
 最近、けっこうな頻度でお世話になる集英社新書の一冊に「相倉久人」という懐かしい著者名を見つけて『至高の日本ジャズ全史』を手にした。戦後日本のジャズシーンで独特の立ち位置を占めた先鋭的批評家だ。終戦直前の陸軍幼年学校に通った体験を持つ1931年生まれの82歳だが、文章は相変わらず若い。かつて売った喧嘩、売られた喧嘩の話が多少多いのが玉に疵だが、「楽器を持たないジャズマン」と呼ぶにふさわしい相倉のプレイヤー感覚は、傍観者としての批評を断乎拒否することで成り立っており、評論家という厄介な荷物を背負い込んだ人間の生き方として、それがなんとも潔い。

 一読してわかるのは、相倉はプレイヤーたちをイノベーターかどうかでまず篩(ふるい)にかけていることだ。山下洋輔を一貫して買い支えてきたのもそうだし、アメリカ帰りの渡辺貞夫がボサノバへ、あるいはエレクトロニックなサウンドへと越境するのも好意的に見ていた。さらにさかのぼって、1955年に国鉄目黒駅構内で飛び込み自殺するビーバップ系のピアニスト、守安祥太郎を「天才」と表現するのもそのためだ。守安の自死に衝撃を受けた秋吉敏子は、寄る辺を失って渡米していった。ちなみに、ニューポート・ジャス・フェスティバルに日本人として初出演した秋吉に対して相倉は否定的で、「東洋人・女性・着物姿・ジャズの組み合わせからくる、あの国の興味がそうさせたのであって、日本のジャズが成功した例ではない」と突き放している。

 相倉久人の名を知らされたのは、平岡正明の文章が最初だった気がする。好きな人間は最大限持ち上げるのが平岡流だが、相倉へのリスペクトは並ではなかった。では相倉はいまどう感じているのか。最終章の菊地成孔との対談では、「50年代60年代のジャズには、学生運動がやろうとしている革命思想と共通した構造があると言いたかった。ただし、あっち〈平岡〉は政治的精神構造をしてるでしょ。こっちは幻想世界の話なんだから、それを勘違いしてはいけないんだけど、結局一緒くたにされちゃった。60年代終わりころには、それでずいぶんヒドイ目にあったんです」と迷惑気だ。たしかに平岡に祭り上げられ、敵を多く作ったことは、相倉に世間を歩きづらくさせたろうが、悔やみ事はそれ以上述べていない。

 天才ドラマー富樫雅彦が下半身不随になった原因を調べようとネットをあたると、たいてい「1969年の不慮の事故」にされているが、相倉は「1970年の事件」と書く。富樫の浮気が原因の刃傷沙汰で、背後から奥さんにナイフで刺され脊椎を損傷したのだ。ただし、相倉はあからさまには表現せず、「横でかいがいしく看病する奥方の顔をおそるおそる覗き見ながら、寝返りひとつ打てない富樫を無念の思いで見舞った」と遠回しに記す。

 自分のジャズ論を探して彷徨した老批評家は、内田樹の『日本辺境論』に希望を見出す。あらゆる文化はその辺境から変化する、と。〈伝統からのお墨付き=名詞としてのジャズ〉をいつまでたっても有難がる空気に辟易して、相倉は1970年以降、ジャズの小世界から飛び出した。そして、映画へ、ロックへ、歌謡曲へとアナーキーにウイングを伸ばし、桑田佳祐や爆風スランプの生みの親にもなってきた。「流れる水のように、自分でも自分が何者だかわからない」のは、変革者にとって必須の資質なのかもしれない。

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