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プノンペンの浦島太郎~モスクワ孤児の悲哀

Posted by Ikkey52 on 31.2012 現代史   0 comments   0 trackback
 カンボジア・ポチェントン空港に迎えにきてくれた現地人コーディネーターS氏とお互い自己紹介を終えて、最初にした質問は、熱帯の国の空港ロビーになぜリンゴが山積みされているのか、ということだった。「ロシアのリンゴです。ここはモスクワへの直行便があるんです」。S氏の答に意表をつかれた。

 社会主義国ではよくあることだが、外国メディアに付き添うコーディネーターはその国の情報省から派遣されてくる。監視と外貨稼ぎを兼ねてのことだ。S氏は、混乱期で開店休業状態の外務省に籍があったが、英語力を買われてコーディネーター不足を補っていた。そんなS氏の都合がどうしてもつかない日があって、代役として痩せた青年が送り込まれてきた。彼の様子がどうもおかしい。

 情報省から車をドライバー付きで借り受けていた。それまでトラブルらしいトラブルはなかったが、その日に限ってよく道に迷う。そのせいか代役君は、年長のドライバーに対して当たり方がずいぶんきつい。温厚で忍耐強いこの国の人らしからぬ態度だ。そのうちに、代役君がそもそも我々の意図をほとんど理解していないことに気が付いた。こっちの英語もお世辞にも流暢とはいえないが、代役君のそれはおよそ仕事で使えるレベルではない。しかも土地勘がなく、地図が読めなかった。

 看板に偽りありだ、と問い詰めると、代役君は打ち明け話をはじめた。コミュニケーションが難しかったが、それは驚くべきものだった。ポルポトらの共産主義勢力クメール・ルージュが長いカンボジア内戦のけりをつける形でプノンペンになだれ込んだのは1975年のこと。それまでカンボジアではある時期を除き、シハヌーク殿下のもとで基本的には穏健な社会主義の政治が続いた。外国といえば、旧ソ連、中国、北朝鮮だったのだ。ただクメール・ルージュの台頭はプノンペンの有産階級に強い恐怖をもたらした。プノンペン陥落を控えて、資金のある家庭では子供たちをモスクワ行き直行便に乗せて、クメール・ルージュの手が伸びる前に旧ソ連に逃した。まだ少年だった代役君もそのなかのひとりだった。ポルポトらの極端な農本社会主義政策で何が起きたか、あえて説明するまでもない。代役君も祖国に残した親兄弟親戚を一人残らず殺された。やがて、旧ソ連は崩壊して大混乱がおき、祖国カンボジアは国連主導で再建の途に就いた。帰国資金をどうしたのかはともかく、代役君は十数年ぶりに祖国の土を踏んだ。新しい国づくりに貢献しようとはりきってもいただろう。ところが、代役君の最大の武器であるはずのロシア語がさっぱり必要とされない。かつては大学の工学部でもロシア語が大手を振っていたのに。ニーズがあるのは圧倒的に英語で、次いでカンボジアの旧宗主国の言葉、フランス語くらいなものだ。まるで浦島太郎譚だ。

 ことわっておくが、代役君の身の上話を、その場で我々が完全に理解できたわけではない。カンボジアから逃げ出してそのまま祖国に帰るよすがを失った「モスクワ孤児の悲劇」は事実だと、あとからS氏に確認した。代役君は当分、英語が話せるコーディネーターとして、ウソの看板をあげるしかない。彼の境遇を知って、騙されたことへの怒りは消えたが、その日限りで、彼は二度と私たちの前に姿を見せなかった。
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