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流行り歌の街 ヨコハマで

Posted by Ikkey52 on 30.2012 文化   0 comments   0 trackback
 珍しいことに横浜市内で仕事があり、馬車道のホテルに連泊しながら考えたことがある。それは横浜と歌謡曲との特殊な関係について。「馬車道」という地域通称にしても、全国区にしてくれたのは、中村雅俊が歌った『恋人も濡れた街角』の一節、「あああ、ときより雨の降る、馬車道あたりで待っている…」というあれだ。
 
 とにかく、横浜は流行り歌になじみ深い。思いつくまま、歌詞を集めても、「よこはま たそがれ ホテルの小部屋」(五木ひろし:『よこはま・たそがれ』)、「本牧で死んだ娘は カモメになったよ」(ゴールデンカップス:『本牧ブルース』)、「伊勢佐木あたりに 灯りがともる」(青江三奈:『伊勢佐木町ブルース』)、「街の灯りが とてもきれいね ヨコハマ」(石田あゆみ:『ブルーライトヨコハマ』)、「山手のドルフィンは 静かなレストラン 晴れた午後には 遠く三浦岬も見える」(荒井由実:『海を見ていた午後』)、「待ち合わせ場所 いつもの桜木町に 君はもう来ない」(ゆず:『桜木町』)、「あれが あなたの好きな場所 港が見下ろせる 小高い公園」(オフコース:『秋の気配』)、ずっと古いところでは「窓をあければ 港が見える メリケン波止場の 灯がみえる」(淡屋のり子:『別れのブルース』)という具合。
 
 上記は横浜を詠んだ歌のほんの一部にすぎない。多くの人が横浜にこれだけ詩情をそそられるのは、江戸幕府が鎖国政策を見直して、世界に開いた窓(開港地)のひとつとしたことから、この国で最初にエキゾチックに染まった街になったせいもあるだろう。終戦後は終戦後で、進駐軍の影がとりわけ色濃かったことと無関係でないかもしれない。そういえば、日活無国籍アクションとしてのちに括られる一連の邦画群には、ほとんどお約束のように横浜繁華街の大箱キャバレーが登場した。ステージ上には本格的なビッグバンドが控えていたが、彼らの音はあまりあか抜けて聞こえなかった。国際港の連想で、たいていの犯罪組織は麻薬や武器の密輸がお好き。白人や中国人が黒幕として出てくるのも横浜が舞台ゆえだったか。

 横浜の魅力のひとつは、地区ごとに違った顔をもっていることかもしれない。例えば、大桟橋や山下公園あたりの「日本資本主義」を感じさせるオーセンティックな落ち着きと、みなとみらい地区の人工的な落ち着き、そしてまた、野毛飲食街のように開発に軽々しく尻尾を振らなかったことによる場末っぽい落ち着きとはまるで違う。横浜スタジアム-中華街-元町という不連続もユニークだ。
 
 ホテル道楽の趣味はないが、横浜ニューグランドにはずっと憧憬を持っていた。長く、そこがバクーニンの滞在先だとの思い込んでいたことも大きい。実際にシベリアから逃れてアメリカ大陸に渡るチャンスを窺っていたバクーニンは、外人居留地内にあった日本最初の西洋スタイルの宿の客になっていたらしい。経営者のオランダ人ハフナーゲルの名をとってハフナーゲル・ホテルと呼ばれたそうだ。横浜滞在中のバクーニンはどんな音楽を耳にしたのだろう。ハフナーゲル・ホテルは当時、攘夷派の脱藩浪人らから西洋人の一時滞在者の身を守る砦のような役割を果たしていた。だとすれば、おそらく列強のどこかの国の音楽隊の吹奏楽程度は聞くチャンスがあったのではないか、と勝手に推測している。
  

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Ikkey52

Author:Ikkey52
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