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花を奉る ~スナイパーとしての石牟礼道子

Posted by Ikkey52 on 28.2012 テレビ   0 comments   0 trackback
 水俣病訴訟の第一次提訴(1969年)と時を同じくして始まった、作家石牟礼道子のシリーズ「苦界浄土」を押し立てた戦い。文学という武器で、高度成長期の企業社会の不正、国家の怠慢を撃とうとして、2012年の現在、未だ獲物を仕留めてはいない。狙撃手の石牟礼は84歳。パーキンソン病に冒され、ほぼ車椅子の生活ながら、旺盛な取材意欲、執筆意欲を保持し続けていることに感慨を禁じ得なかった。相変わらずスナイパーなのだ。

 NHK教育テレビETV特集「花を奉る ~石牟礼道子の世界」を妻と観た。投げられたものの重さに、見終わって二人とも口数が減った。私より「石牟礼」通の妻が、息苦しい、とぽろり言った。こっちは同意するのも億劫だった。
 大学入学当時の話。とりあえず自分の学部校舎を探検してみると、半地下室になっている部分に真っ暗な迷路が走り、まるで学生会館のようにサークル室がいくつも入っていた。もちろん、大学当局に配分されたというよりは、「主体的に勝ち取った」という風情だったが、そのひとつに水俣支援グループがあった。半地下室の出入り口には、黒字に白で「怨」と染め抜いた旗とともに胎児性水俣病患者の大きなポスターがおかれ、新緑のキャンパスを行き来する能天気な新入生の「無関心という罪」を無言で告発していた。

 国の誤った立法や不作為によって国民の一部が被害を受けたと声を上げた場合、国の選択は二つしかない。不承々々国民の声を聴き、救済や補償に乗り出すか、とりあえず責任に頬かむりして、司法の場で時間を稼ぐかだ。あらかじめ喧嘩両成敗的な落としどころを探そうとする民事訴訟や行政訴訟では、三審制がネックとなって確定判決が出るまで気の遠くなるような時間がかかる。被害者の多くは自然死し、国が和解案を受け入れるころには補償の総額もぐっと小さくなる。

 2009年に国は水俣病患者救済のための特別措置法を制定、最終解決を目指すかに見えたが、現在まで認定基準を巡る法廷での争いは続いている。裁判に勝って1800万円を支給された患者がいる一方、一時金210万円で、生活保護との併給を禁じられている患者もいる。「生活していけるのか」と石牟礼は気をもむ。
 一方で、石牟礼は苦界と化す以前からの水俣地方の語り部として、土地に紐づいた神話世界を紡ぎ続ける。子供のころに聞いた老人たちの会話は、民話と現実が地続きで、自分も狐になれると疑わなかったこと。精神を病んだ祖母と手をつなぐと祖母の気持ちが自分に「入って」くるように思えた霊的記憶。「花を奉る」に値する純朴な村落共同体が存在した事実。失われたものを丁寧に見つめることによって、告発は単なる怨み以上のものに増幅されていく。番組に強固なつっかえ棒を与えていた。

 公害企業の汚名を着た当時のチッソ社長江頭豊は雅子妃の母方の祖父。その江頭が、株主総会で白装束姿の被害者たち(一株株主)に追及される白黒フィルム…、丸の内のチッソ本社前に座り込む若き日の石牟礼の寝顔…。

 日本がいっときの繁栄を得るために、踏み台にした人々の存在と、不可逆的なその被害。
 半世紀後のいまも救済できないのでは、誰が中国を嗤えるのだろう。石牟礼の高みには、とうてい及びもつかない即物的な感情とはわかりながら、ただやり場のない怒りをかみしめるばかりだった。
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Ikkey52

Author:Ikkey52
ジャーナリスト 札幌生まれ
父方は、奈良十津川郷系+仙台伊達藩亘理系。母方は東三河豊橋系+肥前鍋島藩系+加賀藩系

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