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ホロノベ…だまし討ちの構図

Posted by Ikkey52 on 28.2011 原発   0 comments   0 trackback
 やはり騙しの手口だったか―。
 北海道新聞12月26日朝刊のスクープにあらためて納得させられた。原子力行政に関して、産学官が寄ってタカって底意を隠し、過疎地を欺くやり方は、福島第一原発事故以来、少しずつ暴露されているが、あの幌延問題も同じ構図だったわけだ。

 「幌延問題」といっても、なにしろ四半世紀前に遡る話。多少のおさらいがいるだろう。1980年代、北海道北部にある幌延町が、高レベル放射性廃棄物の「中間貯蔵研究施設」を誘致した。冷涼な土地は農業に向かず、観光資源もない。基幹産業は酪農だが、開拓の歴史が浅いため零細規模の酪農家が大半で国内競争力がない。旧国鉄羽幌線が宗谷本線と連絡する交通の要所としての地位も赤字線廃止で奪われ、過疎に拍車がかかっていた。役場には、税収不足の危機が迫る…。
 施設が来れば、潤沢な原子力マネーが入る。安定した地元雇用先が確保できる…。全国、どこの過疎地も一度は駆られる誘惑。気持ちは、わかりすぎるほどわかる。
 しかし、副作用の大きさを考えたとき、「いや、待てよ」と立ち止まる。それが大人の判断というものなのに、当時の幌延のお歴々たちの目には、すでに「夢」以外は見えなくなっていた。地域の未来、子孫の未来、境界を接する自治体の未来への想像力が、これっぽっちもない。「心の過疎」という病だ。

 幌延町のオファーは、国策に従う原子力ムラから大いに喜ばれた。「危険な核のゴミを一定期間預かってもらうだけ。最終的なゴミ捨て場はあとから探すから」ということだった。
 ところが道新によると、元原子力委員会委員らが90年代はじめごろ、「(建設する施設は)廃棄が目的なのに研究施設というのは、地元を騙すようなものだ」などと発言していたことが、文科省の行政参考資料(08年)からわかった。「(国会で最終処分地かと聞かれたら)そうですと言う」発言さえあった。当時、直接の建設主体だった動力炉・核燃料開発事業団(現日本原子力研究開発機構)は「最終処分地をお願いしたことも、計画もない」としていた。いかにも空々しい。

 日本政府がこれまで描いてきた核燃料サイクルによれば、原発の使用済み燃料を硝酸などにくぐらせ、再び原子炉で燃やせるウランやプルトニウムを取り出す。この再処理の過程で、核分裂生成物(死の灰)を含む高い放射能レベルの廃液が出てくる。それを耐熱ガラスに混ぜ込んでステンレス容器(ガラス固化体)内に封じ込め、最終的に地中深くに処分するまでの30年から50年の間、保管しようというのが幌延施設の表向きの計画全容だった。

 ガラス固化体から出る放射線は当然すさまじく、人が30秒近くに立つだけで死に至るとされていた。中間貯蔵にもリスクが伴う。また、なにより、清浄な自然に恵まれた食糧基地という道北のイメージ、ひいては北海道のイメージが大きく毀損されるおそれがある。当時は耳慣れない風評被害という言葉が、マスコミ報道を通じて、次第に市民権を得たのはこの幌延問題だった。結局、計画は道民の反対にあい、核抜きの基礎研究施設に切り替えられて現在に至っている。

 取材の渦中にいたころは感じなかったが、いま振り返ると、反対派の怒号のなかを、機動隊まで導入して予備調査用資材搬入を強行するという、三里塚闘争もどきのところまでいったのだから、確かに危うい状況だった。横路孝弘現衆院議長は、3期12年務めた北海道知事時代、「食の祭典」の失敗や戦略プロジェクトを巡る汚職など、その行政手腕をネガティブに語られることが多いが、幌延の施設計画に流されなかったというその一点で、北海道の未来にとって大きな功績を遺したとはいえないか。あのとき、中央政府直結を売りにする知事だったらば、状況は暗転していただろうと思うからだ。
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Author:Ikkey52
ジャーナリスト 札幌生まれ
父方は、奈良十津川郷系+仙台伊達藩亘理系。母方は東三河豊橋系+肥前鍋島藩系+加賀藩系

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