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山奥で働く象、村を襲う象

Posted by Ikkey52 on 13.2019 ジャーナリズム   0 comments   0 trackback
 日本で象といえば、動物園かサーカスで見るものだが、世界では飼いならして貴重な労働力として使うところが少なくない。仲間の中年ディレクターK君が某スポンサーから依頼を受けて、働く象の姿を映像に収めるべくミャンマーへ赴くことになった。

 道路が整備され重機が入れる土地なら、そもそも象に頼る必要はない。象がバリバリ働いているのは、踏みつけ道が辛うじて通じる程度の相当な山中に限られている。こういうときは、経験ある現地のカメラマンを見つけるに限る。外国には慣れているというK君も、さすがに外国の辺地取材経験はなかった。
 そこで余計なお世話とも思ったが、旧知のバンコク在住のカメラマン兼ジャーナリストA氏に久しぶりに連絡し、相談してみた。話を聞いたA氏は瞬時に相当厳しい取材行になると理解した。もう少し若ければ自分が付き合うのだが、いまは体力に自信が持てない。日程的に折り合わないこともある。ミャンマー奥地にはまだマラリア汚染地区があるので、取材者には十分気を付けるよう伝えて欲しい、とのことだった。

 結局、中年ディレクターK君は、マラソンが趣味という元気印の若手カメラマンを相棒に指名し、現地ではコーディネーターにも恵まれて、無事予定の取材を終えて帰国した。普段は能弁なK君だが、とにかく疲れたというだけで、いまだに多くを語らない。彼の人生で最もタフな取材だったことは確かだ。

 働く象の取材の一件をきっかけに、かつて某テレビ系列のバンコク特派員氏から聞かされた「悲惨な笑い話」がよみがえってきた。
 タイの奥地の村が野生の象に襲われ破壊された。東京のデスクから取材指示が出たが、とてつもない山奥であり、車で行けるところでない。特派員氏はそう返答したが、デスクは引き下がらない。前代未聞のニュースだというばかりだ。ところがアジアを歩いてきたジャーナリストなら、象が生息する国々で、この手のニュースがときおり報じられるのをたいていは知っている。特別珍しいわけではない。

 平行線の議論に根負けした特派員氏は現地に向かったが、案の定、徒歩でふた山越えるのに二日かかった。お縄になった“犯人”の象にカメラマンが満を持してカメラを向けたところ、気が立っている象が鼻水攻撃に出た。一瞬のことだったという。カメラは鼻水にまみれ、使い物にならなくなった。足取りも重く再び山を越え、東京に事の次第を連絡したところ、取材指示を出した当人のデスクの熱もすっかり冷めていたのだという。すでに彼の頭は、ほかのホットなニュースのことで埋まっていたに違いない。
 ニュースの生産ラインで仕上げに近い部分を担う役回りと、巨大な取材網のなかでは末端に過ぎない取材現場とは、往々にして考えが行き違うものだ。この鼻水話に大笑いしながら、身につまされていたことを思い出す。
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現代日本の社会的病理カタログとして読む小説『イノセント・デイズ』

Posted by Ikkey52 on 05.2017 ジャーナリズム   0 comments   0 trackback
 私企業の目的が利益の最大化にあることは当たり前。一方、「報道」の目的が真実の追求にあることも当たり前だ。とすると、報道機関がひとつの私企業として存続することのなかには、あらかじめ大きな矛盾が隠れていると言えないか。少数派になるのを恐れず、勇気を奮って正論を吐いても腹は膨れない。

 いや、腹が膨れないばかりか、声ばかり大きいネット住民たち(=パターン化された綺麗事を好む匿名大衆)を刺激して、もし視聴者、読者に見放されでもしたら、「メディア市場から弾き飛ばされる…」。そうした悪夢におののいているのが、残念ながらマスメディアの現状だ。ネット社会が始まる前まで、物言わぬ大衆の世論をリードしていると己惚れていたというのに。

 早見和真の小説『イノセント・デイズ』は、報道や報道機関を俎上にのせているわけではない。ただ、この作品から、大衆迎合した底の浅い報道と、それを無邪気に信じて疑わない人々とを除外してしまうと、物語の推進力とでもいうべきものが大きく減退することに、はたと気づいた。

 神奈川県下のアパートが放火され、母親と幼い双子が焼死する事件があり、父親の元交際相手で、ストーカー行為を繰り返してきた田中幸乃が逮捕される。幸乃には少女期に強盗事件を起こしたとして施設に収容されていた過去があり、事件直前に整形手術を受けていたことから、メディアからは「整形シンデレラ」なる綽名まで献上されて、興味本位で語られる。

 警察、検察から掛かった容疑一切を否認せず、一審判決に控訴せず、刑確定後の再審請求さえしないかわりに、反省の言葉も綴らない女性死刑囚、田中幸乃とはいったいどういう人間なのか、その探求に作品全体が費やされる。ビギナーの裁判フリークとして偶然、幸乃の公判を傍聴した女子大生。子供のころ別れて以来、会ってもいない幸乃の義姉。犯罪被害者となった父親と幸乃の同棲時代を、よく知るから黙っていられず、ブログまで立ち上げた商社マン。幸乃と小学校の幼馴染だった新進弁護士。同じく幼馴染ながら、一審判決の傍聴席にマスクで顔を隠して座りながら、幸乃に見破られて目が合ったフリーター…。

 それらの人々の回想する幸乃が、まるで多重人格のようにつかみどころがなく、読者の理解を大きく翻弄するという、よくあるパターンの話ではない。むしろ、幸薄い人生に生まれついた少女が幸薄い大人の女になるしかなかった、という納得や諦観で、回想者たちは一致している。

 未成年妊娠や堕胎、児童虐待、学校でのイジメ、男が女にするDV、子が親に向ける家庭内暴力、引きこもり、薬剤依存、宗教傾斜など、現代日本人を取り巻くあらゆる社会的病理が登場人物たちの原体験、追体験に仮託されて、てんこ盛りに提出される。読み進むのにある種の風圧さえ感じる。いずれも「ありそうな話」だからこそ息苦しい。

 いまの「報道」を著者はたぶん見限っているのだろう。取材の本職たちに花を少しも持たせなかった。のみならず、「元カレが掴んだ一見幸福な家族を、理不尽に嫉妬したストーカー女の暴走」という事件の見立てに、一向に竿をさすこともなく、「被害者に寄り添うこと」から逸脱できない現状をうっすらと背景に書き込み、さりげなく嗤う。実際、嗤われてもしかたがない。

 えぐい通り魔、無差別殺人が目立つ一方で、犯罪当事者双方に完全な悪も完璧な善もない場合も珍しくない。だから裁判があるのだが、審理が尽くされるケースばかりとは言い難い。三審制で控訴、上告をしない被告は、まずめったにいないし、いてもかなりの確率で自暴自棄に陥っているが、では、そうした被告は絶対有罪なのか、といえばそんな保証も全くない。本作を読みながら、妙な環境下で生きていることの危うさを、あらためて実感させられた。

北朝鮮認識を誤らせた大新聞の筆法…「過去の傾向記事」を読む

Posted by Ikkey52 on 06.2017 ジャーナリズム   0 comments   0 trackback
 かつて北朝鮮を地上の楽園として描いた罪は、日本のほぼすべての一般紙にあった。例えば、1959年、クリスマスの朝に配達された朝日新聞。「『ばく進する馬』北朝鮮 よくはたらく人々 飛行場変じてアパート」と題して以下のようにレポートした。

 「こんなに働いてみんな不満はないのかときくと、ある人はこういった。――『冗談じゃない。働けば働くほど生活が目に見えてよくなる。ボロボロの家から近代的アパートに移れた。家賃はタダみたいに安い。米もタダみたいだ。目に見えて生活がよくなって行くのでうれしくてみんな働きたくなる』」…。

 こうした臨時特派員電に煽られて、日本から約10万もの人が北朝鮮の帰国船に乗り込んだ。彼らの人生はその後、どう暗転したのか。上記の記事から四半世紀近く経った1985年05月23日の同じ朝日朝刊。現地入りした記者による「サービス革命 消費多様化めざす」という記事を掲げた。

  「…平壌市中心部の『直売店』に行った。…カウンターの向こうに、戸棚、鏡台といった家具、ノートをはじめとする文房具、毛糸で編んだセーターや手袋、ベビー用品、靴などが並んでいる。…にぎわっているのはこれだけではない。『清涼飲料店』の看板を掲げたビアホールも、平壌第一百貨店も同じだった。どうやらこの国の人々は、衣食住の最低水準を満たし、より多様で質の高い暮らしを求め出したのではないか」。

 肉親から北への帰国者を出し、それが態のいい人質だと気づいた人々が重い口を開いていたので、1980年代半ばにはもう、新たな帰国希望者は出なかった。帰国者のなかには、日本からの仕送り品で売り食い生活を送る者もいた。同時に「平壌は金王朝に選ばれたエリートしか住めない特殊都市」だとも広く知られていた。記事を書いた記者がそれさえ知らなかったとは思えず、ここまで肩入れするのはやはり不可解というしかない。

 日朝国交正常化交渉の再開を受けて、朝日が掲げた社説(「ここから広げたい日朝関係」・1997年8月24日)も綺麗事だ。

  「これによって、日朝関係は本格的な改善に歩み出すのだろうか。…容易な前途ではあるまい。しかし、だからといって、合意の意義は損なわれない。これを手がかりに日朝間の接触をひろげ、朝鮮半島の平和に寄与しうる対話の場を、維持できるからだ。それにはまず両国が、来月をめどに始まる日本人妻の里帰り事業を、人道的な立場から円滑に進めることである」。

  里帰りした日本人妻たちは金王朝に忠誠を誓い、思想堅固な、いわゆる「おりこうさん妻」ばかりで、もちろん生活困窮者などは皆無。色あせた《北=地上の楽園》論を壊れた録音機さながらに繰り返して帰っていった。

 そしてついに、首相の小泉純一郎が平壌に乗り込み、拉致問題が弾ける。2002年09月18日の朝日に政治部長として執筆したのは、のちに社長となり、やがてダブル吉田問題の隠蔽を追及されてその座を降りる木村伊量だ。

  「痛ましい。やりきれない。…かすかな望みは打ち砕かれた。無残な結末に言葉を失う。…いかなる意味でも拉致は正当化できないが、そもそも日朝の不正常な関係は、北朝鮮ができる前、戦前、戦中の35年間にわたる日本による朝鮮半島の植民地支配に始まる。…冷静さを失っては歴史は後戻りするだけである」。

 報道はファナティックに流れてはいけないが、かといって過度に大人(たいじん)ぶれば偽善に堕する。木村は厳しい国民世論を踏まえつつ、ぎりぎりのところで北にも逃げ道を用意するかたちで、朝日の伝統的立場を死守しようとしたのだろう。当然、社内には、もっと踏み込んで書くべきだ、との批判的な声もあったはずだ。

 拉致謝罪ショックの翌年の記事(2003年5月1日)を探すと、朝日の論調がすっかり旧に復しているのがわかる。 「これを好機に動かせ 北朝鮮提案」と題した社説だ。
 
 「北京での米朝中3者協議で北朝鮮が『新しい寛大な解決方法』として示した提案の輪郭が、明らかになってきた。…北朝鮮の提案には、イラク戦争や中国の圧力があってのこととはいえ、いまのまま孤立を深めれば、それこそ体制の危機につながるという切迫感もうかがわれる。いまを好機と見て、北朝鮮の変化を促すために大胆に知恵を絞りたい」。 

 朝日がとんだ楽観記事を掲げてから14年になる。事態はどう動いたか。「体制の危機につながるという切迫感もうかがえる」と診断した北朝鮮は今、金王朝トップこそ代替わりしたものの、ミサイル試射は乱れ打ち状態。異母兄、叔父、軍の重鎮らを非情に次々と粛清し、権力の純化に余念がなく、たとえ関係国間の外交交渉の場が与えられようとも、ゴネ得を狙う腹は以前と全く変わらないだろう。朝日に限った話ではないが、日本の多くの新聞(テレビも含め)は、過去60年の報道姿勢を今度こそ見直すべきではなかろうか。

どこまでも「恵泉女学園」的な…日本ノンフィクションの「通史」

Posted by Ikkey52 on 14.2017 ジャーナリズム   0 comments   0 trackback
 こともあろうに日本のノンフィクションの通史を語ろうなどと、よくもまあ武田徹という人は野心的テーマを引き受けたものだ。しかも『日本ノンフィクション史』は新書版だ。とことん深く論じる紙数はない。したがって、概観にととまり、駆け足に終わるのはやむを得ないにしても、その分、ずっとアカデミズムの世界(恵泉女学園大・メディア論)に身を置いてきた著者自身の体臭が、過剰に醸されてしまったように思える。

 論述の通底音を成すのは、やはり大宅壮一の仕事と発言だ。ルポルタージュ文学か、文学的ルポルタージュかの分水嶺を考えさせながら、林芙美子と石川達三の従軍記を比較し、戦後サークル誌運動や生活綴り方運動を横目に見て、梶山季之、草柳大蔵というトップ屋二大巨頭の台頭に至る。その上で、戦後出版界の金字塔でもある筑摩の『世界ノンフィクション全集』の採録傾向から、当時の編集者らがノンフィクションをどう捉えていたのか探ろうとし、一方では、新しいノンフィクションの担い手として登場したテレビ・ドキュメンタリーの諸挑戦まで視野に入れる。実に欲張りな通史といっていい。

 田中康夫のベストセラー小説『なんとなく、クリスタル』にも一定の紙幅を割き、小説に脚注として挿入されたバブル期を象徴する442個の商品ブランド名、店名などは、仮構された物語の中身とは別に、「東京の都市空間が崩壊し、単なる記号の集積と化し」ている現実を示した、との武田の指摘は鋭い。

 同じく携帯電話の普及とともに登場するケータイ小説も、稚拙な表現や文体とは別に、頻繁に描写されるケータイ操作の選択や判断のシーンに注目すれば、小説自体ある種の「操作ログ」の集積とみることができる。それはケータイ時代の現実であり、その限りにおいてケータイ小説もジャーナリズム機能を果たしているといえる。フィクションの領域にここまで目配りしてノンフィクションを論じる武田の丁寧さは大いに買える。

 一方、武田は「アカデミック・ジャーナリズム」なる概念を持ち込み、書き手として、宮台真司、佐藤俊樹、古市憲寿らの学者の名をあげる。そのうち、佐藤は『不平等社会日本』のなかで、「一般マスメディア・ジャーナリストには望みようもない強力な調査力と分析力を駆使して」、この国で嚆矢となる格差社会論を著した、とする。要は、社会学系のアカデミックな統計を使えたから、という趣旨らしいが、それなら一般マスメディア・ジャーナリストも利用する手はいくらでもあり、あえて区別する意味が分からない。

 沢木耕太郎にはそれなりのエネルギーを費やしているが、本田靖春や魚住昭のような企業ジャーナリスト出身者の仕事は顧みられないし、スポーツ系の山際淳司、芸能系の竹中労、取材チームで仕事をする立花隆や佐野眞一、猪瀬直樹にもほぼ光は当たっていない。のみならず澤地久枝、鎌田慧、関川夏央の名も見えない。アカデミック・ジャーナリズムというならば、当然取り上げられてしかるべき有馬哲夫の仕事も無視されている。

 調べてみると、著者の武田には、シカゴ大学を中心にしたアカデミック・ジャーナリズムなるものの勃興を、あくまで学者として研究した論文もある。本作はどうやら、そこでの考察を大幅に使いまわしたものとみて良さそうだ。 

マスメディアと長時間労働規制…杓子定規の受け入れに潜む罠

Posted by Ikkey52 on 12.2017 ジャーナリズム   0 comments   0 trackback
 外食産業などの長時間労働問題がテレビや新聞を賑わすたびに、なんともいえない居心地に悪さを覚えてきた。およそ速報性を求められるマスメディアの表現は、内容の硬い柔らかいに拘わらず、そこで働く人たちの恒常的な長時間労働に支えられてきたことを、身をもって知っているからだ。ろくに休日さえとれない劣悪な職場環境を舞台裏に抱えながら、どのツラ下げて偉そうに、他社、他業種の長時間労働を叩けるのか、という思いがいまも自分には強い。 

 一昨年暮れに自殺した電通の女性新人社員の事件が、昨年秋に労災と認定された。電通本社には、厚労省の通称「カトク」と呼ばれる過重労働撲滅特別対策班が強制捜査に入り、トップが引責辞任する事態に発展した。業界内には、この女性社員の自殺を巡って、世上伝えられているものとは別の引き金があったのではないか、との見方が依然くすぶっているが、ここでは措く。鬼十則の社訓が示すとおり、電通という会社には、古くから「がむしゃら」な働き方を称揚する風土があったのは事実だからだ。

 この四半世紀に表沙汰になった電通社員の過労死は3件目だが、闇に葬られた過労死もどれだけあったか。昨年暮れには、市民団体が選ぶ「ブラック企業大賞2016」に電通が決まり、晒し者にされた。恥ずかしい話だが、日本では電通の実態に触れること自体、一種のマスコミタブーになっていた。その気にさえなれば、自社に不利益な報道を力づくで捻り潰すこともできる強面企業が、長時間労働是正を巡る一罰百戒の対象として、スケープゴートに供されようとはだれが予想したろう。厚労省の本気度がうかがい知れる。

 電通本社の摘発という落雷を、かつてない深刻さで受け止めたマスメディア各社は、いま一斉に長時間労働解消に奔走し始めた。特にテレビ局内部の締め付けは極端だという。しかし、そこには考えなければならない問題がいくつも横たわる。例えば報道機能は、市民の知る権利に奉仕するものだ。報道部門に夜討ち朝駆け禁止令が出た社もあると聞くが、それで報道機関の使命が従来と変わらず全うできるのか。市民の付託に応えるに足る権力監視ができるのか。

 そもそも取材というのは、膨大な無駄打ちの積み重ねだ。効率的取材を考えない取材者はいないが、効率だけを優先すると取材は勢い粗くなるものだ。緻密な取材は、どうしても一定の時間を費やすことで担保される。ドキュメンタリーの現場など無駄の山で、大の大人がチームを組んで、日がな一日取材対象に張り付いても、1秒のOKカットさえ得られない場合が珍しくない。今後のドキュメンタリー制作は鬼っ子扱いされなねない。

 テレビニュースは、自ら企画し、放送日を決めて、それに間に合うように取材するものと、突発事態を待ち構えて、追いかけるものとがある。後者の場合、待機部隊を厚くすることは不経済だから最小限しかいない。そのマンパワーで間に合わなければ、非番のスタッフを呼び出すことになるが、呼び出しは原則として代休付与とセット。躊躇する心理がニュースデスクに働かないとはいえない。その結果、人手不足による不完全な取材を見せられて、知る権利を十全に行使できなくなるのは視聴者(市民)の側だ。

 長時間労働の是正それ自体は正論だ。しかし、労働法制上の規制を杓子定規にマスメディアにまで適用するのは、かなり危ないことだ。もともとマスコミ嫌いといわれる安倍総理が働き方改革に強い姿勢を見せているのは、まさかマスコミ苛めの搦め手か、と勘繰りたくもなる。ともあれ、マスメディアの側に相当の腹の括り方が求められる時代であることは確かだ。
  

プロフィール

Ikkey52

Author:Ikkey52
ジャーナリスト 札幌生まれ
父方は、奈良十津川郷系+仙台伊達藩亘理系。母方は東三河豊橋系+肥前鍋島藩系+加賀藩系

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