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ロシアのウクライナ侵略を再び論ず

Posted by Ikkey52 on 08.2019 世界   0 comments   0 trackback
 2014年3月に起きたロシアによるクリミア・セヴァストポリの編入は、ロシアの強面ぶりをあらためて思い起こさせた事件として記憶されている。簡単にいえば、ウクライナという主権国家の領土の一部を、ロシアが政変に乗じて分捕ったのだ。旧ソ連の崩壊に伴い、ウクライナは独立してロシアとは別の国家となり、その時点で20年以上が経過していた。国境を接するために二国間には懸案も多かったが、武力の応酬があったわけではない。にもかかわらず…、である。軍事力に物を言わせたロシアの前時代的な領土拡張に、アメリカ、EU、日本などは衝撃を受け、直ちにロシアに翻意を求めたが、プーチン政権は居直るばかり。国際社会の対ロシア制裁は今日まで続いている――。 

 以上は国際社会の認識のデファクトだが、まったく別の見方があることを紹介しよう。ロシアをはじめスラブ各国の事情に特に詳しい多国語通訳、永沼俊明の見解(http://lingvistika.blog.jp/archives/cat_906390.html)を軸にして述べる。

 ウクライナの歴史は古いが、独立を長く保ったことはなく、ロシア帝国の一部であった時代が続いた。人々はウクライナ語を話していたが、ソ連時代はロシア語が強制されたので、ウクライナ語は西部のごくごく一部を除き70年以上も死滅していた。
 独自の言語が奪われると、民族のアイデンティティは大きく削がれる。満洲の満族がそうだし、チベットやウイグルの民の一体性も、中国の強圧的同化政策の前に、いまや風前の灯火だ。
 ソ連崩壊前、ウクライナに強い独立の機運が内在していたわけではない。同郷人のフルシチョフを旧ソ連の最高指導者として送り出した記憶があったからだろうか。1991年の独立は、バルト三国のそれに引きずられた弾みのようなものだった。

 独立時からウクライナ人がロシアに対して余り良い感情を持っていなかったのは確かなようだ。独立後の国家は、とりあえずロシアとの差異が鮮明に見えるようなアイデンティティ構築を急いだ。それがあまりに強過ぎ、「完全に極右化した」と永沼は見た。分かるような気がする。 
 オレンジ革命によって、公の場所でのロシア語が禁じられ、テレビの字幕にウクライナ語が義務付けられた。しかし、「ウクライナ」という言葉は、ウクライナ語では「国」のことだが、ロシア語では「田舎」を指す。ロシア語を聞き慣れた耳に、新しい公用語のウクライナ語は、とんでもない田舎の方言にしか聞こえないので、話せる人もウクライナ語を躊躇う。だから、独立後の教育を受けた若者と高齢者の言葉ではあっても、全体としてはロシア語の話者がまだ多い。
 クリミアは、ソ連時代、ウクライナとロシアの国境のロシア側だったが、フルシチョフが勝手に故郷のウクライナ共和国に編入した。”国境“といっても同じソ連内だから、日本でいえば県境程度のニュアンス。当時は全く重要視されなかったという。だからなのか、クリミアにはロシア系住民が多く、極端なウクライナ化、極右化に反発もあったのだろう。2014年の住民投票ではウクライナからの分離独立が圧倒的多数で選択された――。

 ウクライナは元々、ロシアのルーツとなる「ルーシ」があった国だ。つまり人種的な根は同じだ。ある時期まで、ロシア人を「大ロシア人」、ウクライナ人を「小ロシア人」と呼んでいたが、後者を蔑称と捉える解釈もある。違いといえば中世の歴史だ。ロシアはモンゴルとアラブの混血であるタタール人に370年間支配され、ウクライナはモンゴルに破壊されたあとポーランド・リトアニアの版図に400年間置かれた。独立を勝ち取るのはロシアの方が早かった。ウクライナはポーランドからの独立にモスクワ公国の力を借りたのだが、それも束の間、結局はモスクワ側に吸収されてしまった。

 漢字名を持つ国は、とりあえず大国だと、頑固に言い張っていたジャーナリストの友人がいた。彼の伝でゆくと、「鳥克蘭(うくらん)」という立派な漢字名を持つウクライナもそのひとつだ。勇敢なコサックも、我々日本人が「ロシア人」だと思い込んでいる小柄で美形の金髪娘たちも、その出自はウクライナだ。ロシアと全面的に対立してしまった以上、ウクライナはまだ普及率の低いウクライナ語の強化に努めるしかない、というのが、ちょっと突き放した永沼の見立てだった。
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ビザがあろうと、なかろうと

Posted by Ikkey52 on 07.2019 世界   0 comments   0 trackback
 ジャーナリストの常岡浩介が外務省から旅券返納命令を受けた。 (https://takase.hatenablog.jp/entry/2019/02/05/)
 内戦でたいへんなことになっている中東・イエメンの取材を計画し、隣国オマーン経由で現地に入ろうとした。事前準備としてイエメンはもちろん、トランジット先のオマーンのビザも取っていた。先月14日、オマーンの首都マスカットの空港に着いたのだが、なぜか入国を拒否され、日本に送還された。常岡は諦めず、今度はスーダン経由でイエメン入りを目指した。スーダンのビザを取得して今月2日夜、羽田から出国しようとパスポートを機械にかざしたら無効化されていた。その夜のうちに、羽田で外務省の旅券返納命令書のファックスを手渡されたという。旅券法第13条でいう「旅券の名義人の生命、身体又は財産の保護のために渡航を中止させる必要があると認められる場合」、パスポートは外務省に返納しなければならず、怠った場合の罰則はけっこう重い。
 
 常岡は長崎放送記者からフリーとなり、イスラム諸国の戦場で取材経験を重ねるうちイスラム教に改宗。ロシアのインターファックス通信から「チェチェン国際テロリスト」と名指しされたことがある。ロシア、パキスタンの秘密警察やクルド人自治機関に拘束されたほか、イラクからも強制送還を食らっている。日本でも北大生がISに志願したとされる私戦予備容疑事件に連座して警視庁にも身柄を取られるなど、「お騒がせジャーナリスト」として知られる。
 
 今度の旅券返納命令は、イエメンから国外退去処分を受けた「好ましくない人物」だから、パスポートを使えなくした、という風に見える。これで常岡は、事実上イエメンはおろか、日本から出ることができなくなった。
しかし、お騒がせ人物というだけで、パスポートを取り上げるのは乱暴だろう。ブラックリスト上の国際テロリストでないと確認が取れたから、イエメンもオマーンもスーダンも彼にビザを発給したのではないか。そもそもパスポートは所持人の自国政府による身元保証であり、個人の思想信条を問うものではない。外国渡航目的として取材が禁じられているわけでもない。トラブルの未然防止を図るため、日本政府が旅券法を都合よく使ったのなら、それは公権力の乱用というものだ。常岡は、経由地オマーンからの理不尽な強制送還の陰に、現地日本大使館関係者の容喙があったと疑っている。

 ビザがあっても入国を果たせなかったのが常岡なら、ビザを見せろという国の一角を「ビザなし」で歩き回ったのは金倉孝子だ。彼女はシベリアのクラスノヤルスク国立大学で日本語を教える勇気ある女性だ(http://deracine.fool.jp/russia/z_kanakura/kanakura05.htm)。旅行好きで、驚くような奥地までロシアを知っている。
 ある年の冬休み、モスクワからチェコのプラハまで国際列車の旅を計画し、地元の旅行会社に団体パック料金を払い込んだ。ベラルーシ、ポーランドを通ってプラハに入る行程だ。ロシア在住の外国人である金倉はロシアの出入国にいちいちビザがいるが、しっかり用意した。その代り、日本人パスポートの彼女は、チェコの滞在ビザもポーランドのトランジットビザもどちらも必要ないと喜んだ。ロシア人は逆で両国のビザがいる。ただ、ベラルーシは旧ソ連であり、ロシア人はビザなし入国が可能だ。ロシア人のつもりで普段暮らしている金倉はそれをうっかり見落としていた。旅行会社側からの念押しも全くなかった。
 
 ロシアからベラルーシに入国するのにチェックすらなく、ベラルーシからポーランドに入る際にやっと検査がある。国境の街ブレストでビザの不備を指摘され、列車から一人降ろされても、金倉はしばらく何か起きたのか理解できなかった。拘束はされなかったが、あいにく日曜でトランジットのビザを発給してくれるという警察署の窓口も開いていないから一泊しなければならない。ブレストはトロツキーがドイツと単独講和交渉を行った場所として世界史に名を遺すが、かといって別段観るものもなさそうだ。それでも街をほっつき歩く。歩きながら、妙な思いにとらわれる。そもそもトランジットビザを持たずに、ぶらついているのは、合法的なんだろうか。「ロシアとベラルーシの国境を越えて、ベラルーシに入国し、ベラルーシ国内をずっと横切って、ベラルーシ国境からポーランド国境へ出るという時、ストップされて、そこで、こんなふうに自由に動き回れるなんて、良く分からない国です」。
 
 遅れてプラハ旅行の一行に合流し、無事クラスノヤルスクに戻った金倉は、旅行代理店に損害賠償を請求した。旅行代金にはビザ関係費用も含まれると旅行引き受け書に書いてあったからだ。同時に彼女は地元の複数の代理店にも問い合わせてみた。多かった答は、団体旅行のトランジットの場合は例え日本人でもベラルーシのビザを取る必要がない、というものだった。教え子の母親が弁護士で、無料で訴訟を起こしてやるというので、金倉は委任状を渡した。勝算は半々とのことだが、果たしてどうなったか…。
 

骨抜きにされる中国の対香港「一国二制度」方針

Posted by Ikkey52 on 30.2017 世界   0 comments   0 trackback
 香港が窒息しかけている。イギリスから中国に返還されてから7月1日で20年。記念式典出席のため、習近平が党主席として初めて香港の土を踏んだ。地元民主派が強く反発しているのは、習が本土の政権を掌握して以来、真綿で首を締めるように返還時の条件だった一国二制度をなし崩しにしてきたからだ。

 20年前、香港の制度は安泰だと考える市民が6割いたが、いまは2割に減っていると新聞報道が伝える。6月は中国政府にとってナーバスな月だ。天安門事件が思い起こされるからだ。香港では毎年6月に、民主派が大規模な集会を開いて、事件を再評価し、関係者の復権を要求するほか、中国本土の民主化を声高に求める。習近平にはそれが耐えられないほど不快だった。

 香港返還以来、人民解放軍は司令部こそ街中に置いたが、部隊は市民への刺激を避けて隣接する本土の深圳に配置してきた。しかし4年前、禁を破り、香港領土内での演習に踏み切った。民主化運動に対する露骨な恫喝だ。流血の天安門事件を再来させたいのか、と脅したわけだ。

 香港における中国政府の出先機関が、次期香港政府長官候補には「愛(中)国愛(香)港」の人物で、中国寄りの選挙委員会が認めた人物でなければならないと強調したのも4年前だった。翌年、親中派は、長官選挙候補に民主派の出馬を認めないとする法律を議会に提出したが、このときは民主派が巻き返し、反対多数で否決した。

 しかし、去年には中国本土の民主化を唱える市民のよりどころだった「天安門事件」記念館が閉鎖された。場所を貸していたビルの持ち主に圧力がかかったといわれる。今年3月の行政長官選挙では親中派の女性政治家、林鄭月娥が当選した。香港行政長官は、千人を超す選挙委員会委員による間接選挙であり、その委員会が親中派に多数を占められている以上、結果は開票前から見えていた。

 無力感も広がっているらしい。民主派集会の参加者は漸減がいわれており、若い人たちの間では、中国本土の民主化に関心を持つ者の割合も低下しているようだ。行政長官選挙が形骸化してしまったことに加え、議会に議席を持つ民主派への締め付けも、日に日に強まっているらしい。

 民主と自由を希求する人たちが、ひとつまたひとつと、独裁者とその忠臣たちに足場を奪われていく情景は、大正デモクラシーの闊達さが軍国主義者とその茶坊主らによって蹂躙されていったかつての日本の姿とダブる。いまの世界には国際的な発言力、影響力を持ち、かつ民主主義を誇る国も多いが、それらの国々が揃いも揃ってスーパー・パワーの中国の主張する「内政干渉」という拒絶の前に、何ひとつできないのか。台湾は大丈夫か。

ドイツ駐留英国軍…見えにくいその現状

Posted by Ikkey52 on 11.2017 世界   0 comments   0 trackback
 自分の傾向だが、創作の世界をとば口して、現実世界に迷い込むことが少なくない。最近「ザ・ミッシング~囚われた少女~」という歯ごたえのあるテレビ映画シリーズを観終えて、その舞台となったドイツ駐留英国軍の街を探してみた。「エッグハウゼン」という街の名はどうやら架空とわかったが、確かに英国軍隊は今もドイツに駐留を続けている。

 第二次大戦後、敗戦国ドイツを米英仏ソの連合国で分割占領した時期があり、当時「ライン軍団」と呼ばれた英国軍がその後何度も編制を変えながら残っていたのだ。テレビ映画で英国軍将校が着ていたカーキ色のTシャツに「BAOR」の文字があった。そのときは、自分のお寒い英語語彙力では理解できず、何のことだろうと引っ掛かった。BAORとは、
British Army of the Rhineの略なのだ。

 もちろん現在のドイツは独立国だから、駐留英国軍の存在意義は、かつての占領秩序の維持目的から、ドイツが加盟するNATO北大西洋条約機構軍の一翼を担うものへと変化している。ここまで書いてきて、あたらめて気づくのは、ドイツ駐留英国軍について、日本語の情報があまりに少ないことだ。英語版ウィキペディアで駐留英国軍の司令部が置かれているとされる北ドイツの街、ビーレフェルトに関して、日本語版で検索しても軍事基地の気配すらない。

 テレビ映画に出てくる架空の街「エッグハウゼン」では、街の象徴である巨大なダムに見下ろされながら、若いイギリス兵士の一団が持久走訓練で走りぬける。街での犯罪には軍と地元警察がいつも協力して対処する。基地関係者の子が英語で学ぶ学校があり、退役した軍人が現地市民と結婚し地元に住みつくケースもある。土地の病院を軍人も気軽に利用し、レストランは毎夜兵士で賑わう。基地と街は一体だ。

 ドイツ駐留英国軍について、2013年のロンドン特派員電を見つけた。「70年近くもドイツに駐留してきた英国軍について、英国のハモンド国防相が先月、完全撤退させる方針を打ち出して議論を呼んでいる」。「英国では『戦後期の終焉』『歴史的な撤退』などといわれているが、駐留英軍に経済的に依存してきたドイツの地元では、『戦後最大の激震』と深刻に受け止める声も出ている」。
http://blog.goo.ne.jp/monjunokai/e/ed2e47a620c2b0e392b777865ce16df1
 なるほど、そういう流れか。

 この記事によると、英軍が駐留するのはドイツ北部のベルゲンということになっている。ハノーバーの北50キロに位置するというから、ビーレフェルトにも近い。ベルゲンでは地域経済の3分の1を英国兵やその家族らの消費に依存しており、ベルゲンの首長は、「英国軍は今や私たちの一部になっている」と困惑しているそうだ。つい、沖縄のことを考えてしまう。

 「ベルゲン」で改めて検索すると、ノルウェーの観光都市「ベルゲン」しか出てこない。「ドイツのベルゲン」で調べると、アンネ・フランクがチフスで死亡したベルゲン・ベルゼン収容所関連しか並ばない。これは、はて、誰かが意図してドイツ駐留英国軍の情報を、日本人から遮断しているのではないか…。そんな妄想に耽ってしまった。

国民情緒法という病魔…韓国民主化30年の決算

Posted by Ikkey52 on 22.2016 世界   0 comments   0 trackback
 法律の専門家でなくても、罪刑法定主義が「法の支配」の核心であることくらいは知っている。何びとも、それまで合法であった行為を、事後に作られた法律よって裁かれることはない。権力者の恣意で罪が突然つくられるような国家は闇だ。だから罪刑法定主義というのは民主主義の絶対条件のひとつと言っていい。いわば近代法の前提だ。

 お隣の韓国でも当然ながら、憲法では「法の支配」、「法の不遡及」がしっかりと謳われているのだが、最近、「罪刑法定主義を否定する国民情緒法なるものが存在する」としきりに指摘されるようになった。ただし、国民情緒法という実定法があるわけでなく、長年に渡り蓄積されてきた慣習法というわけでもない。だいたい、立法府を通っていない、あいまいな法律モドキが、憲法の上位法になるというのはどう考えても不思議だ。

 調べてみると国民情緒法は、盧武鉉政権時代にできた「親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法」あたりに源流が求められる。21世紀になってからの法律で、意外に新しい。新しいからこそ大問題なのだが…。内容は、日本占領時代に親日派だったと認定された人物、およびその子孫が所有する財産を没収する、というもの。半世紀以上も前に遡及させようというバリバリの事後法だが、実際に公職を追われた者もいた。この特別法、まだ憲法裁判所による違憲立法審査に付されたことがなく、したがっていまだに実効があると考えていい。

 国民情緒法がなんとなくあるとされてから、韓国の行政や司法当局は、国際感覚を疑われる判断を出すわ出すわ…。日本はアメリカと韓国だけ犯罪者引き渡し条約を結んでいるが、韓国政府は靖国放火犯を政治犯扱いして日本の引き渡し要請を拒否した。どういう理屈だったのか、いずれにせよ理解しがたい。と思えば、在外公館の安寧・威厳の侵害を禁じたウィーン条約に反して日本大使館の鼻先に建てられた慰安婦像を放置する。

 どう考えても業務上過失致死傷罪にしかならないセウォル号船長に無理やり殺人罪を適用し無期懲役とし、日本国内の読者に向けてネット上で韓国国内報道を引用して伝えた産経新聞ソウル支局長を、名誉棄損の疑いで一時拘束し出国さえ制限した。自国の国会で批准した国際法(=条約)は国内法に優先するのが自明だが、日本占領期の韓国側請求権すべてを放棄した日韓条約を無視して、日本企業による韓国人徴用賠償を認定してきたのも国民情緒法のなせる業だろう。

 国民情緒法がもたらすのは、ポピュリズムに引きずられた政権運営だ。他国に比べても大統領の権力が極めて大きいとされる韓国だが、民主化後30年の歩みを見ていると、大統領にさっぱり自信がなさそうだ。政権担当者たる者、場合によっては国民に耳の痛いことも言わねばならない。昨今の国際情勢からみて、国民性にマイナス要素があれば、抵抗を押しても指摘すべきは指摘するのが大統領の責任というものだ。にも拘わらず、いつも国の内外に国民との共通の敵を見つけて、特に強く拳を振り上げる不特定多数の世論の尻馬に乗ってきたのが軍事政権終焉以降の韓国大統領像だった。

 政権運営が怪しくなるたびに韓国は、旧宗主国である隣国日本への憎悪を意図的に煽っては、真の問題の在り処から国民の目を逸らそうとしてきた。国民統合の象徴は反日以外にないのか。誰か、もしくは何かに対する恨みつらみのような、負のエネルギーがなければ立ちゆかない国というのは、やはり悲しい。そこには、まともな外交もないし、国としての未来もなかろう。歴史教育でも、中国の属国であったことさえ充分に教えていないと聞く。祖先の国が強国でなかったとしてももいいではないか。今や立派な先進国として世界に認められているのだから。あえて虚勢を張る必要など何もない。

 もちろん、韓国にもポピュリズム政治を苦々しい思いで見ている人たちは少なくない。だが、一向に彼らの声は多数派を形成するところまで到達しない。マスメディアのポピュリズム傾斜自体がひどいからだ。軍事政権に果敢に立ち向かった骨っぽいコリアン・ジャーナリズムは何処へいったのか。、繰り返しになるが、国民情緒法の呼び水となった反日特別法の制定が21世紀に入ってからだったことに、あらためて索漠とした思いを抱いている。
  

プロフィール

Ikkey52

Author:Ikkey52
ジャーナリスト 札幌生まれ
父方は、奈良十津川郷系+仙台伊達藩亘理系。母方は東三河豊橋系+肥前鍋島藩系+加賀藩系

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