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「報道の消費」に抗い続ける天才記者の戦闘記録…清水潔『殺人犯はそこにいる』

Posted by Ikkey52 on 13.2017 冤罪・ジャーナリズム   0 comments   0 trackback
 3月11日の金曜日、地上波テレビの夕方ニュース・ゾーンは、各局とも6年を迎えた東日本大震災関連特集でおおかた占められるはずだった。ところが、森友学園理事長の突然の記者会見を生中継せざるを得なくなり、発局側の予定調和はあっさり崩された。それだけではない。韓国憲法裁判所による大統領朴槿恵の弾劾決定と、南スーダンPKOからの自衛隊撤退を発表する安倍首相のぶらさがり会見まで飛び込んできたから、震災関連ニュースは相対的にすっかり霞んでしまった。「報道」は消費されるもの、ということが実感としてわかる。

 清水潔の『殺人犯はそこにいる~隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件』は、消費されるものとしての「報道」の有り方に、真っ向から抗い続けるベテラン記者の生々しい戦闘記録だ。清水といえば、桶川ストーカー殺人事件が、助けを求める被害者になんら手を差し伸べなかった警察の大失態であることを暴いた天才的取材者だ。無実の無期懲役囚を再審無罪に導いた足利事件報道もこの男の執念の取材の成果だった。

 指紋が出なければお手上げだった犯罪捜査に光明が差したのは20世紀も後半。DNA型鑑定の登場によってだ。判例をつくることで証拠能力にお墨付きを与えたのは、その足利事件の上告審だった。判例を得て日本の警察、司法当局はDNA型鑑定を無敵だと考えた。だが、科学の領域の話だ。だれが鑑定しても同じ結論にならなければいけない。また、科学である以上、鑑定方法も日々進化するはずで、導入初期にあっては古い鑑定結果が後世の新しい鑑定方法で否定されることもありうる。アメリカでは、200人もの服役囚が新しいDNA型鑑定でシロだとわかった。証拠のひとつかもしれないが、絶対的決め手と考えてはだめなのだ。

 日本の警察、司法の現場は、起訴後の有罪率が100%に近い。だから、恐ろしいまでの高打率に縛られ続ける。その結果どうなるか。ともすれば「筋読み」通りの証拠固めが優先され、真実の追求がおろそかになる。DNA型鑑定が「一致」と出たら即逮捕。後は勾留した「容疑者」を「筋読み」に矛盾しないように自白させればいい…。そこに自白強要の余地が生まれる。「一度固まった筋読みが揺らぐのは恥であり、まして証拠能力ありとして刑事裁判でいったん採用された鑑定が、再鑑定で結論が覆るなどということは『あってはならない』組織的屈辱」と見なす感覚が冤罪を生む。 

 清水にとって足利事件の菅家利和の無実を証明することは、ゴールではなくスタートだった。冤罪問題が自分の中心テーマではない、とまで清水は言う。逮捕当時、菅谷は栃木県警の調べに対して足利事件を含む3件の類似事件の犯行を「自供」している。その全てで起訴され有罪になっていたら、死刑判決は確実で、菅家はもうこの世の人でなかったかもしれない。不幸中の幸いだったのは、残りの2件が不起訴になっていたことだ。捜査不十分な他の類似事件まで菅家に「背負わせよう」としたところから見ても、警察にはすでに分っていたはずだ。栃木、群馬の県境にまたがる半径わずか10キロの範囲で1979年から96年にかけて、5件もの類似事件が起きていたことを。

 どんな大きなニュースが飛び込んできても、忘れてくれるなよ、と清水は言いたいのだろう。北関東連続幼女誘拐殺人事件の犯人が今も生きて、あたりをうろついている。犠牲者がまた出る可能性がある。報道の役割は、それを未然に防ぐこと。それ以上でもなく、それ以下でもないと。逃げ延びている真の容疑者にインタビューまでした「取材の鬼」の粘着力に圧倒される。
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白鳥事件…冤罪を装う悲しみ

Posted by Ikkey52 on 16.2016 冤罪・ジャーナリズム   0 comments   0 trackback
 商売柄、現職大臣のように功なり名をとげた著名人から、名前を取り上げられた塀の中の服役囚まで、様々な立場の人たちにインタビューを試みてきたが、白鳥事件の元被告、村上国治ほど鋭い眼力の人物は思い出せない。その眼力でもって訴えたのは冤罪主張だった。彼の言葉から、一貫して権力と対峙してきた者の矜持を嗅ぎ取ったはずだった。

 1952年(昭和27年)1月、札幌市警警部の白鳥一雄が自転車で帰宅途上、札幌市内の雪道で射殺されたのが白鳥事件。白鳥は共産党から弾圧者と見られており、併走する自転車から撃たれた形跡があった。警察は、地下に潜行して武装闘争に入っていた日本共産党札幌地区委員会の組織的な犯行と断定。同委員会の委員長・村上国治ら関係者を一斉検挙した。この事件は容疑者周辺の者が多数中国に逃亡し、凶器とされる拳銃も未発見に終わるなど物的証拠が乏しかったが、裁判では村上の無罪主張は退けられ、結局、事件の首謀者(共謀共同正犯)として裁かれて懲役20年の刑が確定した。服役後の村上は、日本共産党の後ろ盾を得た組織、国民救援会の副会長に迎えられ冤罪を訴えて全国行脚を続けた。

 占領軍施政下の昭和20年代には、下山事件、松川事件、三鷹事件など、組織的関与がなければ実行できそうもない不可解な大事件が相次いだ。多くは当時の日本共産党の関係者に嫌疑がかかり検挙されたが、長い裁判の末、起訴の構図が崩壊するものもあったほか、占領軍関係者の関与を疑う見方もジャーナリストたちの間から消えなかった。とりわけ白鳥事件は、作家の松本清張、佐野洋らが事件を占領軍関係者の謀略として読み解いた影響もあって、冤罪か否かの論議は熱を帯びた。

 裁判のなかで、捜査当局の下手な小細工が露呈したことも、白鳥事件冤罪説を補強する形にはたらいた。犯行まえに実行グループは札幌市郊外の山中で拳銃の試射を行ったとされたが、事件から2年後に警察が発見したという銃弾は、地中にあったにもかかわらず、ほとんど腐食していなかった。犯行声明と見なされたビラには複数の種類があり、そのひとつはおそらく当局の手になるものと思われた。

 長い論争にけりをつけたのは、皮肉なことに日共の活動家として村上と同時代を生きた渡部富哉の執念の追求だった。渡部は、勾留中の村上が面会に来た弁護士を通じて、自筆の指令メモを獄外の関係者宛てに送り、「証拠隠滅のために実行犯グループを国外に逃がせ」と指示していた事実を裁判資料から見つけ出した。指令メモの存在は、武装闘争路線を放棄したあとの共産党の大物国会議員志賀義雄が、時の法相賀屋興宣から密かに聞かされていた。志賀は党員たちから強く求められていた国会での白鳥事件に関する質問を見送ったという。

 村上は転居した埼玉で1984年に自転車泥棒で警察の厄介になっている。「酒に酔っていた」と言い訳したが、酒を飲まない男がいつしか酒におぼれていたらしい。村上は唯一のよりどころだった国民救援会の役職を失い、共産党からも排除された。1994年11月、村上の自宅が全焼、二階から村上が焼死体で発見された。新聞記事を見つけた日のショックは忘れない。失火で処理されたが、覚悟の自殺であったのなら、自分で自分をだまし続けることに耐えられなくなったのかもしれない。渡部によれば、かつての共産党委員長宮本顕治は「北の村上国治、南の瀬長亀次郎」と言葉を尽くし、村上の革命家魂を讃えたという。その共産党は70年代半ばまでに「白鳥事件は現在の共産党と関係がない」というようになった。

 今思い返せば、人を射すくめるような村上の三白眼のなかに、わずかながら悲しみの色があったかもしれない。そしてそれは、前衛党に人生を翻弄された個人にしかわからない悲しみだったかもしれない。もう取り返しのつかないことだが、それを見落としていたとしたら、なんとも悔しい。

表現の客観性はどう担保すべきか…佐村河内騒動に触発されて

Posted by Ikkey52 on 12.2014 冤罪・ジャーナリズム   0 comments   0 trackback
 誇れるものは体力のみ、という20代のころ、ある冤罪事件のドキュメンタリーを制作する機会に恵まれた。初めての大役だ。他局もそれぞれ力の入った番組をぶつけてくるはずだ。薄い内容では話にならない。おおいに力んだ。

 事件はまだ戦後の混乱が残る時代に起きた。ある町で営林署職員が公金を持ったまま失踪、翌年、隣接する町でやはり営林署員が公金と共に消えた。当初、別個の横領事件と見られたが、第二事件の「容疑者」が白骨死体で見つかったことで、警察の見立ては、計画的な連続強盗殺人事件へと変わった。犯人一味はまもなく逮捕されたが、主犯格のAが、第一事件の殺害実行犯として、顔見知りで同じ町に住むBさんの名を挙げた。身に覚えのないBさんは逮捕され、必死に否認したが、特高警察出身の刑事から激しい拷問を加えられて「自供」。公判で、警察での自供は苦し紛れのウソだった、と一転否認に転じたが、無期懲役の有罪が確定した。Bさんは仮釈放後に2度目の再審請求を起こしていた。

 故郷の古びた公営住宅の一角を借り、廃品回収で生計を立てていたBさん宅に何度通っただろう。公判の全記録や当時の新聞報道にすべてあたり、事件現場にも立ち、当時の捜査の正当性を疑わない元拷問刑事、Bさんの刑務所での服役仲間などにも取材した。その結果、絶対シロと確信していた。ただその確信を、客観的映像に定着できなければ、思い込みによる偏向番組ができるだけだ。不安にさいなまれた。主犯の死刑が執行されている以上、真相を知るのはBさんただ一人。そのBさんとの信頼関係だけが自分の拠り所だったのかもしれない。

 この再審請求の動きに長い尺を費やし、まとめて伝えたのは東京Nテレビの報道情報番組枠が最初だった。ディレクターは地元局のY。しのぎを削って取材してきたライバルであり、Bさんの無実を信じるという意味では同志でもあった。Yの番組構成は緻密で、特に番組のラストに衝撃を受けた。ある夜、Yはカメラマンを連れて、アポを取らずにBさん宅のドアをノックする。戸口を開けて旧知のYがいることに驚くBさん。間髪入れずYが聴く。「Bさん、ほんとうにやってないんですか?」。Bさんはこの愚直な問いにさらに驚いたはずだが、戸惑ったのはごくわずかの間で、すぐに「うん。やってないよ」と返答し、番組は終わる。いまだに忘れられないシーンだ。

 不躾な質問ひとつが、長年積み上げた取材対象との信頼関係を壊すことがあるのを承知で、Yは挑んだ。いまでこそ、このラストシーンは、映像表現の客観性を補強するために、あえて挿入された重要パートとわかるが、当時の自分は、恥ずかしい話、客観性の担保のためにはここまでやらねばならないのか、と受止めていた。

 古い記憶をわざわざ引っ張り出したのは、佐村河内のペテンの増幅に、大きな責任があるマスメディア側からぼちぼち言い訳が出はじめ、それがいかにも情けないからだ。AERAは、本人へのロングインタビューと識者の取材で疑念を抱いて、記事にしなかった、と「後出しジャンケン」だ。疑念を知りながら沈黙したとすればペテン師の立派な共犯だ。障害者を名乗る相手だから思考停止したわけか。新聞本紙と系列週刊誌に提灯原稿を執筆したという朝日の記者は、「偽りの物語、感動生む装置に 佐村河内氏問題への自戒」と題して検証記事を掲げたが、佐村河内の計算高さや音楽業界の商業主義をあげつらうばかりで、彼女の自省の中身は何なのか、さっぱり見えなかった。

 日々ニュースに追われるジャーナリストたちは、取材する相手の身元をあらかじめ洗うようなことはしない。だから感動小噺「一杯のかけそば」の作者に犯罪歴があったなどということはたまに起きる。しかし、佐村河内にある種の畏敬の念をもって向き合ったとしても、彼が全聾の障害者であるかどうか、オーケストラ譜を本人自身が書いているのかどうかの2点は、例え不躾であっても、取材者として最低限確認すべきだったろう。ゴーストライター問題については、また別の論点もあろうが、この2点の確認がなされていれば、ペテン師の虚言がここまで膨らむことはなかったと思う。
  

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Author:Ikkey52
ジャーナリスト 札幌生まれ
父方は、奈良十津川郷系+仙台伊達藩亘理系。母方は東三河豊橋系+肥前鍋島藩系+加賀藩系

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