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富良野の「巨匠」が触発された福島反原発詩の炯眼

Posted by Ikkey52 on 24.2015 見世物・演劇   0 comments   0 trackback
 倉本聰(作・演出)の富良野GROUP公演2015冬「夜想曲~ノクターン~」を観る。信頼する放送作家兼ジャーナリストのKに会場でばったり出会う。調査報道でいい仕事を連発するKは、かつて富良野塾の塾生だった。
 「富良野塾って、倉本のサティアンじゃないか?」、「いや、そうでもなかったですよ」。Kとそんな酒飲み話を交わしたのももうひと昔前か。富良野GROUPは、富良野塾出身者でつくる俳優とライターによる集団らしい。

 個人が不特定多数に向けて、自由に意見を表明できるネットメディアの時代。だが、一皮むいてみると、付和雷同の大衆が、自分たちと異なる意見の持ち主〈個人・企業・団体〉を寄ってタカって袋叩きにするという、実に不寛容な社会を現出させてしまった。芸術は本来、自由闊達なものだが、小説や劇画を世に送る出版社も、ドラマを電波に乗せるテレビ局も、映画を各地のスクリーンに届ける配給会社も、つまり、マスを相手にするメディアのほぼすべてが、そんな付和雷同大衆の攻撃対象になるまいとして、コンテンツとしての芸術表現の去勢と無毒化に励んでいる。その点、演劇はどうなのか。

 「夜想曲~ノクターン~」の場面設定は、東日本大震災から数年後のフクイチ事故避難地域に打ち捨てられた一軒家。そこに津波で娘2人を失った中年の元原発孫請け労働者と、取材中の地元紙記者が入り込む。蜘蛛の巣に覆われているところを見ると、家の時間は原発事故直後に停まったらしいが、アトリエ風の部屋には、3体の壊れた等身大のピエロ像と古いグランドピアノが置かれていた。そこに家の主らしい彫刻家の女が現れ、自分も津波で父を亡くしたと語り始める…。 

 劇全体を貫くのは、一歩たりとも妥協しない堂々たる反原発基調。そして、フクイチ周辺地域にも当たり前のようにあった、かつての穏やかな暮らしが永遠に戻らないことへの強い悔悟と怒りだ。吉田調書をミスリードした朝日新聞も揶揄される。地元の居酒屋の馴染み客だった東電課長が、店の常連たちに事故後土下座したエピソードは、取材の賜物だったかもしれない。中間貯蔵施設がいつのまにか最終処分地にされるだろうという常識的予見が語られる。体力のない老いた入院患者たちが、移送先を求めて300キロの道のりをたらい回しされ、結局バスの座席で横死していった無念も告発される。様々な放射性物質の半減期が御詠歌のように吟じられ、聴く者に時間の観念を改めて考えさせる。原発とは直接関係ないが、地域共同体の大切な要素であった個人商店が大型店の進出で次々と消えて行った現実も苦々しく指摘されていた。
 誰からも非難されたくないからといって、奥歯にものの挟まったような言い方ばかりが横行し、互いに慮りの衣を分厚くする一方のこの国で、「譲れない線」を役者の口を借りて死守する倉本演出はいっそ清々しい。

 劇作家も取材に歩く。「夜想曲~ノクターン~」の取材日記(抄)が公開されている。
  http://www.kuramotoso.jp/ver02/img/news_nocturne_02-a.pdf
 倉本は原発被災地をチェーホフの『桜の園』に重ねたらしい。同時に若松丈太郎の予言的詩にも大いに触発されたようだ。劇中で若松の『神隠しされた街』が朗読される。「双葉町、大熊町、富岡町、楢葉町、浪江町、広野町…」と続く自治体名はいまや原発悲劇と同義語だ。この詩の初出が1994年だというから、これはもう絶句するしかない。チェルノブイリ事故被害を自分の眼で確かめに行く体験があったとはいえ、その衝撃をここまで故郷福島に引き付けて考えられる詩人の、しなやか極まりない感性に驚く。「巨匠」が創造意欲を掻き立てられるも無理はない。
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猛獣使いと白いライオン ~サーカス小屋の魔力について~

Posted by Ikkey52 on 03.2012 見世物・演劇   0 comments   0 trackback
 木下大サーカス札幌公演初日を観て、その鮮烈な印象がしばらく消えなかった。一歩足を踏み入れれば異空間、というサーカス小屋(大テント)の楽しさを、ぞんぶんに味わってきた。
 春先に札幌公演の地ならしにやってきた木下大サーカスの経営幹部と話す機会があった。札幌公演は実に89年ぶりだという。「木下」の名はあまりにも有名で、サーカス素人の自分にもわかる。俄然、興味が湧いた。どうしてそんなに間が開いたのか。それは札幌がキグレ・サーカスの本拠地だったからだそうだ。岡山をホームとする木下、札幌のキグレ、そして大阪が根城のポップを日本三大サーカスに数えたらしい。残念ながら札幌のキグレは、例のインフルエンザ騒動のさ中の公演が大赤字になり、経営を立て直すことが出来ずに一昨年、解散の憂き目にあった。地元ではそれなりの経済ニュースとして報じられたが、札幌にキグレの常設小屋があったわけではないので、地元公演は数年に一回あるかないか。若い人には特別な感情はないにしても、年配の人の間には惜しむ声が聞こえた。
 木下大サーカス公演では、呼び物の白いライオンをはじめ、シマウマ、ゾウ、キリンの動物たちが芸を披露していた。私くらいの年代の札幌っ子は、サーカスとゾウの組み合わせに、ある事故を連想する。毎年6月半ばの札幌神社(現北海道神宮)例大祭の期間、薄野の創成川に板を渡して、その上に単発の芸を見せる何張かのサーカス小屋が集まったが、昭和34年にそんな小屋のひとつ「八木猛獣サーカス」から出火、自分と同じ学齢期前後の子供を含む数十人が逃げ出したゾウに踏まれるなどして大惨事となった。作家の佐々木譲は実際にその場に居合わせたらしい。そんなことがあったので、当時の親や小学校の先生はサーカス小屋をことさら危険視していた印象がぬぐえない。事故を機に、札幌祭りの露店や見世物は、中島公園に移された。89年前に木下大サーカスが小屋掛けしたのが、その中島公園だったという。
 日本三大サーカスである木下は、一方でロシアのボリショイ、アメリカのリングリングとともに世界三大サーカスのひとつに数えられる。そのせいか、団員も国際色豊かだった。サーカス先進国、ロシアの美人が含まれていたから、人選は王道と観た。
友人のなかに、たった一人、サーカス・プロモーターという世にも珍しい職業の大島幹雄なる人物がいる。戦後復興期に「鉄のカーテン」をこじ開けて、ドンコサック合唱団やボリショイサーカスの日本招聘に成功した「赤い呼び屋」こと神彰(じんあきら)の孫弟子。大学でロシア語を学び、その世界に飛び込んだ。年がら年中、ロシア圏を中心に世界を飛び回り、これだ、と見定めた芸達者を日本に連れてくる。連れてくるだけでなく人脈を橋渡しし、面倒まで見ているのがすごい。自分とは同年代だが、氏の精力的な活動にはいつも脱帽するばかり。ノンフィクション作家、露文翻訳者、横浜野毛大道芸プロデューサー、江戸期漂流漁民研究家、人気webサイト「デラシネ通信」主宰者(http://homepage2.nifty.com/deracine/)、早稲田の日露比較文化論講師など様々な顔を持ち、いつ寝ているのかと心配になる。
 北朝鮮で撮影してきたサーカスの映像を大島氏に見てもらったことがある。力持ちが大きな鉄球を軽々ともてあそぶ芸は、強烈な印象だったからだ。専門家の彼も「見たことのない芸」だと興味を示し、日本に呼べるものなら呼びたいと言っていたがどうなったか。才人、大島幹雄が人生を賭けたサーカスの世界の魔力が、先日の体験であらためて確認できた気がした。
  

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ジャーナリスト 札幌生まれ
父方は、奈良十津川郷系+仙台伊達藩亘理系。母方は東三河豊橋系+肥前鍋島藩系+加賀藩系

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