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脱税大国の長者番付から見えてくるもの

Posted by Ikkey52 on 24.2015 フィリピン   0 comments   0 trackback
 かつて過ごしたマニラの仕事場は、夕日で名高いマニラ湾に面したオールド・マニラ地区にあり、金融・経済の中心になっていたマカティ地区とは車で20分ほど離れていた。官庁や大学、テレビ局などが集中するケソン・シティ地区はさらに遠く、1時間は見ておく必要がある。何しろ首都圏の道路はどこまでも果てしない大渋滞だ。抜け道探しなど意味がない。慣れるにつれあきらめが先立つ様になった。

 ところが、そんなマニラ首都圏を、空から自家用ヘリで縦横に行き来する桁外れの金持ちビジネスマンが1人2人ではないのを知って、肝をつぶした。タイム・イズ・マネーということか。英語が公用語であるフィリピンでは、特に富裕層にとって旧宗主国のアメリカは感覚として地続きであり、ニューヨークのビジネス街でのやり方がストレートに持ち込まれる。立法も一般にアメリカのそれを後追いするケースが多く、都市部で下駄代わりにヘリコプターを利用することにも規制はなかった。今や休耕田に着陸することもできなくなった日本の事情とは大きく異なる。

 話がそれた。「フィリピンの2014年度の個人納税額ランキング」が発表されたと、フィリピン・インサイド・ニュースが伝えている。
http://www.ph-inside.com/news/board.php?board=news02&config=&command=body&no=284
 それによると、トップは製菓会社『レビスコ』の経営者で約2億8千万ペソ(約7億8千万円)だった。「レビスコ」といわれてもピンとこないうえ、桁外れの金持ちがいる国柄から考えて、トップとしては納税額もずいぶん少ない。

 もちろん、ランキングには常連の名前もある。ボクシングの元世界チャンピオンで、今は下院に議席を持つバッキャオは2億1千万ペソを納めて第2位。国民的飲料サンミゲルで知られたビール会社を巨大インフラ企業に変身させつつあるラモン・アンが5105万ペソで9位。サラリーマン社長だとすれば、まあそんなものか。
 ところが、一介の靴屋から身を起こした伝説の長者にして、経済誌フォーブスが2014年度世界億万長者番付でフィリピン一の大富豪にランクしたヘンリー・シーが53位の2567万ペソとは、どうもおかしい。シーと同じくやはりオーナー経営者で、政商と知られフィリピン航空や最大手のたばこ会社などを経営するルシオ・タンが129位(1621万ペソ)というのも信じがたい。
 
 サンミゲルをラモン・アンに引き継いだエドアルド・コファンコをはじめ、フィリピンでは財閥を率いる人物が自ら国会に議席を持つか、あるいは有力政治家を自分たちの利益代表として送り出すかしており、政財界の癒着構造が激しい。徴税額などネゴでどうにでもなる国情にあるのは事実だ。また、ヘンリー・シー、ルシオ・タンらは中国系経済人だが、中国系の商人は一般に国家を信用しない伝統があり、納税で国に報いるという意識は極端に低いといわれる。公平な徴税と透明な国家予算執行が実現すればフィリピンは見違える国になるはずなのだが…。

 フィリピンで実質GDPの最大の稼ぎ頭は、海外出稼ぎ労働者だが、国内賃金相場とはかけ離れた高額の現金送金に重い税が課されているという話は、少なくとも当時は聞いたことがなかった。フィリピン・インサイド・ニュースによれば、「フィリピンは密輸天国と共に脱税天国の評判を取り、密輸を取り締まる関税局と共に税務当局は徴税能力を高めていて、その中で脱税がはなはだしいといわれる弁護士、医師、会計士の高級専門職を重点的に捕捉調査強化を行っているが、徴税側の能力不足もあって効果を上げていない」という。なるほど、まだ道半ばか。
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カネと女と大統領選

Posted by Ikkey52 on 05.2015 フィリピン   0 comments   0 trackback
 国民が政治家に求める倫理や道徳は、国柄や時代によって大きく異なる。妾を持つことは男の甲斐性、と開き直れた時期が日本にもあったが、戦後も高度成長期が終わると、宇野宗佑のように、過去の女性問題を持ち出され、選挙で大敗北を喫し首相の座を投げ出す政治家もあらわれる。

 ユーロ・コミュニズムがもてはやされた当時のこと、れっきとした既婚者であるイタリア共産党の書記長が愛人とヨットで戯れている現場をパパラッチに押さえられ、大きく報じられたが、政治的人気には少しの陰りも与えなかったという。ラテンの国民性を物語るエピソードとしてイタリア公使だった外交官から直接聞いた話だ。

 さて、本題にしたいのはアジアのラテン国、フィリピンだ。若いころから頭の上がらない女房に贅沢三昧、靴三昧をさせた独裁者マルコスを、民衆の無血革命で大統領の座から引きずりおろした過去の栄光はあるものの、政治家のカネと女におおらかな有権者気質は変わっていない。例えば1998年に就任した13代大統領エストラーダは、映画のアクションスター出身という異色の政治家だったが、多数の国民は彼の根深い汚職体質と複数の愛人の存在を十分承知したうえで、庶民性以外にこれといった訴求力を持たなかったエストラーダに一票を投じた。実際、自分は一流歌手のジャズボーカルが生で聴けるマニラのラウンジバーで、ステージのかぶりつきに陣取ったエストラーダとド派手な愛人との仲睦まじい御姿を目の当たりにしている。エストラーダの後を襲った女性大統領アヨロは、前任者とは打って変わって有力な閨閥の出だったが、彼女も選挙への公金不正流用疑惑などカネの噂が絶えなかった。童顔で清楚な見かけが空々しいと思う有権者もいただろう。

 反汚職と財政再建を大看板に掲げて登場した現大統領ベグニノ・アキノ三世には、自国領海への中国の事実上の侵略と巨大台風被害の対応に忙殺されたイメージがある。カネと女の問題で騒がれることはなかったようで、国債の格付けが上がるなど、やっと巡航高度に乗ってきたフィリピン経済にとって、来年に迫ったアキノの任期切れは最大の悪材料、と見る向きがある。

  フィリピンでは大統領の再選が禁じられている。来年の大統領選挙まで1年を切ってアキノが誰を後継指名するか、関心の的になっていたが、報道によれば、2010年の正副大統領選でアキノとコンビを組んだものの、副大統領になれなかったロハス内務・自治長官の指名に落ち着いた。財閥の御曹司である一方、祖父が第5代大統領、父が上院議員だったというロハスの政治的な毛並みの良さを措くとしても、前政権でも貿易・産業省のトップを無難にこなしており、行政手腕はありそうだ。

 フィリピン選挙はかならずしも政党本位、政策本位ではなく、日本的感覚からすればかなりの違和感がある。特に大統領選挙は人気投票の色彩が濃く、しかも、過去の行きがかりや節操などかなぐり捨てて、勝ち馬に乗るのが伝統だ。
 現役のマニラ駐在日本人特派員が執筆したと思しきニュースブログ「The Gucci Post」の関連記事によると、ロハスの対抗馬と目される現副大統領ジェジョマール・ビナイは、エストラーダ支持者らに推されているが、マカティ市長を務める息子に汚職容疑がかけられており、もうひとり出馬が取りざたされる女性上院議員グレース・ポーは、2004年の大統領選挙に立候補して敗れた国民的映画俳優であるフェルナンド・ポー・ジュニアの遺児であるという。
 http://guccipost.co.jp/blog/jd/?p=500
 うーん、何やら古い再放送ドラマをまたしても見せられている気分になってきた。

民族英雄リサールに「会った」話

Posted by Ikkey52 on 09.2015 フィリピン   0 comments   0 trackback
 過去の取材の記憶を辿るとき、それが現実の体験だったのか、それとも夢だったのか、いまとなっては判然としないものがある。たとえば、フィリピンの新興宗教取材のケースがそうだ。その若い小柄な男を、自分はこの目で確かに見た。そこに居合わせた人々は、彼こそスペイン植民地時代に生きた民族の英雄、ホセ・ルサール(1861-96)の生まれ変わりと信じて熱狂していた。もし実体験であったなら、自分は呆然と立ち尽くしていたはずだ。

 マニラ首都圏、どの市であったか、それからしてはっきりしない。街角の古びたレストランのような建物のなかは、多くの人で埋まり立錐の余地もなかった。自分たちが到着したとき、太陽はすでに傾いていた。室内に窓らしいものはなく、ろうそくが点されていたが、それでも暗い。その暗がりの中で繰り広げられていたのはミサのようだった。それにしてもお目当ての人物はどこにいるのか。暗さのなかで人垣に潜りこんだがわからない。

 当時、マニラ首都圏では宗教に絡む異変が相次いだ。ナゾの宗教団体が何の目的なのか、高速道路内に侵入して座り込んだときのこと。取材車のドライバーは待ってましたとばかり、あらかじめ用意していた赤色灯を車のルーフに取りつけ、サイレンを鳴らして高速道路を逆走、現場を目指した。しかし、猛スピードで対抗してくる車には赤色灯もサイレンもほとんで効き目がないと、用意周到なドライバー氏もようやく気づく。ついには、窓を全開にして、汗拭きのタオルを振り回し「危険信号」を送る始末。同乗していて生きた心地がしなかった。いまだにその時の光景が悪夢となって甦ることがある。

 話が脇に逸れた。乱立するマニラ首都圏のラジオ局は、面白そうな街ダネならウラも取らずに何でも飛びつく。宗教絡みの異変も細かくマークしていたに違いなく、「ホセ・リサールが現れた!」との一報もラジオからだった。怪しげな与太話を真に受けたわけではないが、正体は見てみたい。そんな気分の赴くままモノ好きにも取材先まで来てしまった以上、「リサール」が現れるまで帰れない。とにかく待ってみることにした。  
 
 ミサのざわめきがひときわ高まると、吹き抜けの二階の手すりの向こうに、かつてのヨーロッパの船乗りを思わせる衣装の人物が現れた。マントを羽織っていたと思う。静かな声で説教を始めると人々は清聴し、やがて喝采となった。二階から降りてきて人垣に飲み込まれた若い小柄な男を間近に見た。しぐさは自然で、芝居がかってもいなかったが、想像していたカリスマ性は感じられなかった。

 「7割のカトリックと3割のイスラム」、そんなイメージのあるフィリピンの宗教地図だが、カトリックと土着的な精霊崇拝との混交からなる小さな宗教集団が多数存在する。そのうち「リサリスタ」と呼ばれるグループは、 「19 世紀末にスペイン当局によって銃殺された独立運動の闘士ホセ・リサール とキリストとを同一視したり、 あるいはキリストはリサールを通じてフィリピン人の前に出現したと信じる」(文化庁「海外の宗教事情に関する調査報告書」)。

 西欧宗主国の圧政にあえいでいた19世紀植民地下のアジアには、日本に明治の元勲たちがいたように、西欧の知識を咀嚼し早々と民族意識に目覚めた独立運動の闘士がいたが、医師、著作家、画家、そして学者でもあったホセ・リサールはそんな典型でもあった。日本にも短期間だが滞在し、自由民権運動の闘士との交流が伝えられている。
 フィリピンに暮らすうち、自分はホセ・リサールに自然に興味と敬意を抱くようになっていた。くだんの集団は、リサリスタのなかでも、ホセ・リサールの生まれ変わりを名乗る人物に率いられた新興少数カルトだったと考えれば合点が行く。ミサの会場で「ホセ・リサール」氏へのインタビューを申し込んだはずだが、その内容について覚えていないところをみると、拒否されたのだろう。かといって邪険にされたような記憶もない。ともあれ生きた「ホセ・リサール」に少しの間でも会えたとすれば、やはり僥倖と言うべきだろう。

映画「On the job」が描くフィリピンの変わらぬ宿痾

Posted by Ikkey52 on 23.2014 フィリピン   0 comments   0 trackback
 刑務所というところは、その国の経済状態と人権意識、宗教観や政治的安定度などが濃密に反映される場所だと思う。自分が取材で踏み込んだのは、日本とフィリピンのみだが、BC級戦犯の処刑で知られたマニラ郊外、モンテンルパ刑務所には、家族同伴囚が構内の一隅に小屋を建てて何世帯も住んでいたし、真正拳銃を使った観光客相手の射撃場さえ営んでいた。ええっ、と思うかもしれないが事実だ。それほどの苦労もなく収監中の死刑囚にインタビューできたことを含め、カルチャーギャップに目が回った。日本の行刑施設の、取材が許されるまでの手続きの煩雑さや、針一本落ちてもわかる強圧的な沈黙が印象深い軍隊式管理を知っていた身には、なおのことだ。

 神出鬼没のヒットマン2人が実は、黒幕命じられるまま、腐った警察組織の手助けをうけて、つかの間、刑務所から娑婆に放たれる囚人だった、という設定のフィリピン映画『On the job』。ストーリーは実話に基づいて(based on)いないが、触発された(inspred)という。さもありなん。あの国ではありそうな話だ。ヒットマンは初老の男タタンと若者ダニエルのコンビ。釈放が近いタタンは、自分を慕うダニエルを後継とすることで、平穏な暮らしを夢見るが、「On the job〈実戦で)」で教えようとしたダニエルは大事な仕事をしくじり、自分が後始末に乗り出さざるを得ない。
 一方、執拗に謎のヒットマンを追う地元警察の刑事アコスタは、汚職上司を告発して、報復に降格させられたたたき上げの硬骨漢。ヒットマンの背後に政界の大物に繋がっているのではないかと疑うが、彼の捜査に国家警察捜査局(NBI)の若手エリート捜査官コロネルが唐突に割り込んできて対立する。コロネルは、政界の大物パチェコ将軍とつながる上院議員の娘婿だった。アコスタとコロネルが和解へと向かう過程は、なにやら韓流ドラマを思わせる。ちなみにタタンとダニエル、アコスタとコロネルは、それぞれ父と子の暗喩になっている。

 冒頭のカーニバル風景は、マニラ首都圏サンファンの水かけ祭りか。映画スターから大統領になったエストラーダは、政界への階段としてサンファン市長を務めている。こてこての下町を管轄するトンド警察の名前も出てきた。出稼ぎ先の中東から舞い戻ったふりをしてダニエルが恋人と再会する町は中華街から遠くない臭いがする。観光馬車カレッサが通り抜けて行った。英語が操れない刑務所の囚人たちがタガログ語オンリーだったのに対し、コントラストを見せるのは上流階級のタメ口。英語とタガログ語がチャンポンななかにスペイン語の単語も混じる。リアルで興趣を盛り上げた。

 フィリピンという国土はわずか数十の家族が支配するといわれてきた。日本でいえば荘園時代であり、諸悪の根源はそにあるのだが、荘園領主の息のかかった者以外は大統領になれないという虚しい現実がある。財閥とつるむ政治、行政。あからさまな不正選挙。警察官の腐敗と堕落。そして犯罪組織との癒着・・・。現代フィリピンの一側面を描く2013年公開の映画に、それらすべての要素がリアリティを担保する道具立てとして使われて、しかも効果を上げるという皮肉な状況は、真面目な国民にはある意味耐え難いだろう。それでも、このところのフィリピン映画の質的向上には感嘆を禁じ得ない。ちなみに、映画の邦題は「牢獄処刑人」。うーん、つけた阿呆の顔(ツラ)が見たい。

「マゼラン」学んで、なぜ「ラプラプ」を学ばない? ~西欧至上主義史観を排す

Posted by Ikkey52 on 09.2014 フィリピン   0 comments   0 trackback
 フィリピンで魚料理といえば、まっさきにラプラプを思い出す。魚種でいうと、ハタやクエの仲間にあたる。もっぱら親しんだ食べ方は、蒸して香草を振り、少し酸味の利いた醤油ベースのソースをかける中華風だった。鯛が入手できないマニラの名の知れた日本料理店では、それに代わる白身の寿司ネタとして淡泊で癖のない味が重宝されていた。フィリピンでは「魚の王様」といった位置づけだが、それもそのはず、ラプラプの名は、現地の歴史上最も知名度の高い王様に由来する。

 ラプラプが王座にあったのは16世紀のこと。フィリピン中部、いまは観光地になっているセブ島の東に浮かぶマクタン島を治めていた。そこに招かれざる客が闖入してくる。ポルトガル人のマゼランだった。世界史に名を刻むマゼランは、初の地球周航体験者のリーダーであり、それによって地球が丸いことを実証したわけだが、この点だけが強調されると、まるで学術探検隊の隊長だったように見えなくもない。だが、事実は違う。

 マゼランの航海の本来の目的は、学術的興味とはおよそ縁遠いものだった。
 「第一に当時ヨーロッパで人気商品だったスパイスを手に入れることだった。そうでなければアントワープの銀行家が資金を提供するはずがない。第二に行く先々の土地や島に十字架とスペイン王室の標識を立て、スペイン領たることを宣言することだった。そうでなければスペイン国王がスポンサーになるはずがない」(大澤正道『ヨーロッパ・帝国支配の「原罪」と謎 ~白人帝国の興亡と弱肉強食の論理』)

 マクタン島の先住民たちにマゼランが見せた貌もまた、侵略者そのものだった。藪から棒に、スペイン王への朝貢と服従、住民のキリスト教への改宗を要求し、従わなければ討つと脅したが、ラプラプはマゼランの要求を拒否した。島の向かいのセブ港は、当時のフィリピンの中心で、中国、インド、アラブ諸国との交易で栄えていたが、マゼラン船隊に大砲の威嚇でやすやすと制圧されていた。ラプラプに二度拒まれ、マゼランは切れた。自ら49人の兵士を率いて、先住民懲罰に上陸した。大砲の援護射撃があればその人数で十分と見たのだろう。ラプラプも作戦を練る。着弾距離以遠で戦えば、断然有利だ。潮汐の動きを知り尽くした遠浅の海岸から、敵を内陸部におびき寄せ白兵戦に持ち込んだ。マゼランは戦死し、残兵はほうほうの体で退散した。

 マゼラン船隊の航海では、どの寄港地も概して友好的だったというが、争い好きなところはそう多くない。そうでなかったのは、略奪者の側だったわけだ。ラプラプによる要求拒否は、マゼランがスペインを出航して以来初めて出会った抵抗らしいから、ラプラプという男の株は大いに上がる。ヨーロッパ帝国主義のアジア侵略に対して「日露戦争以前に行われた最大の戦捷」と記しているのは本多勝一だ。自虐史観論者、本多の取材、記事には一片の信をおくこともできないが(たかが50人を撃破したことに「日露戦争」を持ち出すのも本多ならではのセンス)、それにしても我らはアジア人。マゼランの名を教えるのであれば、英雄・ラプラプの名も学ばせてどこが損なのか。

 現地に建立されている銅像からもラプラプは典型的な先住民とわかるが、イスラム教に帰依していたという。15世紀まで マクタン島があるビサヤ地方にはヒンドゥー教や仏教が入り込んでいた。日本が信長、秀吉の時代の16世紀に、アラブ諸国から伝わったイスラム教が東南アジア東南端のマクタン島を制覇していた事実にあらためて驚くととともに、その布教スピードが、キリスト教よりはるかに速かったことも若い人に伝えておきたい。
 
 
  

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Author:Ikkey52
ジャーナリスト 札幌生まれ
父方は、奈良十津川郷系+仙台伊達藩亘理系。母方は東三河豊橋系+肥前鍋島藩系+加賀藩系

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