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米比新軍事協定の背景を探る

Posted by Ikkey52 on 05.2014 フィリピン   0 comments   0 trackback
 同業者のジャーナリストとの付き合いは、つねに「全方位外交」を心掛けろ、と教わってきた。思想信条は棚に上げろ、とも。付き合いのあった記者仲間には特定政党の党員として党機関紙づくりに携わる人たちもいた。それぞれに強い分野をもっていて、ツボにはまったときの取材力には、一般紙の記者たちもよく脱帽させられていた。今度のオバマ大統領のアジア四ヵ国歴訪のニュースに触れて、かつて「赤旗」マニラ駐在だったM支局長の冴えた仕事ぶりを思い出した。フィリピンがどうやって平和裏に米軍基地撤去にこぎつけたか、その詳細はM支局長自身の著書『こうして米軍基地は撤去された!フィリピンの選択』に詳しいが、以下簡単にまとめてみる。

 フィリピンは、アメリカの同盟国という立場を変えずに、外交交渉によって駐留米軍基地を撤去させた稀有な歴史を持っている。「歴史」といっても冷戦後の出来事でそう古い話ではない。当時アメリカ側交渉団の代表は、いまでもホワイトハウスのアジア政策、対日政策に隠然たる影響力を持つあのアーミデージが務めていたのだから。プロレスラーを思わせるいかつい風貌のアーミテージは一筋縄ではいかないタフ・ネゴシエーターとして知られる。アフガン戦争で日本に「Show the flag」と迫り、イラク戦争に際しては「Boots on the ground」と圧力をかけて、いずれも自衛隊の海外派兵に消極的だった日本政府からPKO部隊の派遣を引き出した。そのアーミテージが、米比交渉では、どうして駐留継続を望む本国政府の方針を貫けなかったのか。

 ひとつには、フィリピン側交渉団代表だった外相マングラプスが、マルコス独裁の反省から誕生した1987年新憲法を徹底して擁護し、「米軍の駐留自体が新憲法の下では例外として容認されていたにすぎず、例外容認の根拠となる米比基地協定も1991年9月で失効する」と主張して一歩も譲らなかったこと。また、基地協定失効直前の1991年6月に世界最大級のピナツボ山大噴火が発生し、代表的な駐留地のクラーク空軍基地が壊滅的な被害を受けたほか、スービック海軍基地もおひざ元の自治体が被災したことなど、複合的な要因があった。

 赤旗のM支局長はフィリピンの上下両院議員や外交筋に深く食い込み、米比の交渉経過を克明に取材、日米安保体制の下で米軍基地が集中する沖縄の負担軽減に何ら解決の糸口を見いだせない日本政府と引き比べる形で、フィリピン外交のしたたかさを浮き彫りにした。

 ところが、時代はめぐる。フィリピンにとっての最大の脅威はいま、中国の海洋覇権主義になった。中国はフィリピンが排他的経済水域を主張する南沙列島(スプラトリー諸島)のミスチーフ礁に小屋を建て、それを足掛かりにさらに南下する気配を見せて久しい。南沙列島については、はちゃめちゃな取材体験記を以前このブログで綴らせてもらった。万が一中国側と軍事衝突の事態になれば、装備、人員、訓練のすべてに劣るフィリピン側に勝ち目はない。だから、一触即発の船舶同士のにらみ合いも、あえてフィリピン側から解かざるを得なかった。歯噛みする思いだったことは想像に難くない。

 そこにウクライナがロシアに一方的に蹂躙される事態が起きたが、アメリカの対応はいかにもアリバイ的でそっけなかった。現大統領ベグニノ・アキノ3世は、危機感を深めたに違いない。中国を牽制するにはアメリカの関与をもっと深くする必要がある。母親のコラソン・アキノ政権時代に実現させた「駐留なき安保」状態から一歩踏み出し、アメリカの軍事支援強化の道を選んだ。だから、今回のオバマ来訪の機会に米比両首脳間で結ばれたフィリピンへの米軍派遣拡大を図る新軍事協定は、フィリピン政府にとっては満額回答だったろう。

映画「メトロマニラ」…魔性の街で食べていくということ

Posted by Ikkey52 on 19.2014 フィリピン   0 comments   0 trackback
 マニラで懇意にしていた邦人ビデオカメラマンUさんが狙撃されたのは、人々が不潔この上ないゴミの山で、金目のものを漁りながら生計をたてる、アジアの貧しさの象徴、「スモーキーマウンテン」だった。地元フィリピンはもとより、アフリカ、日本、香港などの仕事で幅広く活躍していたUさんが、「時間が出来たら好きなテーマでドキュメンタリーを作ってみたいから、手伝ってくれるか」というので、約束するよ、と請け合った少しあとだった。スラム街の不法占拠者〈最下層民〉と地主の騒動に警察が介入したのを知って、Uさんは単独で取材を開始。居住者側に立って撮影していたUさんを警察は故意に狙ったと見られる。貧しい人の味方をすること自体、あの国では危険なことだが、何しろUさんは、三里塚の反対派農家に生まれた筋金入りの元少年行動隊員。こうと決めたら一徹だ。脾臓を吹き飛ばされ、ヘリ搬送を含む大変なオペレーションの末、Uさんは一命を取り留め、いまは仕事に復帰している。映画「メトロマニラ」の主人公オスカー一家が、ようやく雨露を凌げる陋屋を見つけた下町トンドと「スモーキーマウンテン」は指呼の距離だ。
 
 
 映画の正式邦題は「メトロマニラ 世界で最も危険な街」。日本未公開だが、WOWOWで鑑賞でき、得した気分になれた。私の記憶のなかの「フィリピン」、「マニラ」は、少しも変わっていなかった。誤解を恐れずにいうと、そのことに、大きな失望と軽い安堵を覚えた。イギリス人のショーン・エリス監督が英比合作で撮った。それにしてもサブタイトルの「世界で最も危険な街」とはひどい。安全だとはお世辞にもいえないが、メトロマニラ、つまりマニラ首都圏の名誉のために言うと、一人歩きでは100メートル先も危ないとされる南アフリカ共和国のヨハネスブルグなど、もっと物騒な都市はいくらでもあるだろう。
 
 山岳地帯バナウエの若いコメ農家オスカーは貧しく、新しいモミ種を買う金も尽きた。妻のマイと幼い子2人とともに、首都マニラに出て働こうと決め、荷を積んだジープニーに一家で便乗する。人と車とビルに埋まるマニラの街はオスカーたちにまぶしすぎる。娘はペニンシュラ・ホテルを見上げ、「ここは天国なの?」と母マイに問うほどだ。
 オスカーは、住処を早く決めたい焦りを職安で知り合った男に見透かされ、男のコネで安く入居したつもりのビルの一室が、公営住宅だったことを知らず、全財産をだまし取られる。しかし、それは生き馬の目を抜く魔都の日常のほんの序章でしかなかった。
 無一文となった一家は、最下層の人々が蝟集する下町トンドへ。妻マイは日銭稼ぎにバーのダンサーに志願するが、身体検査で妊娠を見破られ、ただでさえ辛い勤めがいっそう辛くなる。一方、軍隊経験を買われ現金輸送車のガードマンとして職を得たオスカーは、仕事仲間のリーダー格、オングと車両運行でコンビを組むことになり、特に目をかけてもらう。その恩義に報いようと自分を曲げてオングに服従するオスカーだったが、オングの好意のウラには犯罪がらみの打算が秘められていた…。

 バナウエのライス・テラス(棚田)は、どんなフィリピンの観光案内にも顔を出す世界遺産。ただし、メトロマニラからいかにも遠すぎ、私の知る限り、在留邦人の知人で行ってきたという話は聞かなかった。映画に描かれる逆光のライス・テラスが悲しいほどに美しく、「掴み」としての効果が抜群だ。のみならず、全体としてフォトジェニックな映像が挿入されるのは、撮影も自分でやる監督のショーン・エリスが、もともとファッションフォトグラファーの出身で、「VOGUE」など有名ファッション誌で活躍する一流の腕だったことと無関係ではなかろう。

 出稼ぎ社会のフィリピンでは、どんな地方出身者でもマニラに何等かの親族がいるもの。また女系社会だから、≪母系の叔母・伯母⇔甥・姪≫の関係はとりわけ強固だ。若い子連れ夫婦が寄る辺もなく放り出されているというシチュエーションは、在留経験に照らすと少し無理があると思うが、世界映画市場を意識すれば、孤独な一家だけで不安な大都会の夜を過ごすほうが感情移入しやすいかもしれない。ともあれ秀作。テーマ自体は月並みだが、厚化粧の下のマニラのアバタヅラをここまでリアリズムで描いた映画は過去に知らない。アメリカ・サンダンス映画祭ワールドシネマ部門でドラマ観客賞を受賞したのも当然という気がした。

タクロバン台風被害とイメルダ夫人

Posted by Ikkey52 on 12.2013 フィリピン   0 comments   0 trackback
 フィリピン中部・レイテ島の拠点都市タクロバンが猛烈な台風30号(現地名HAIYAN)に直撃された。youtubeで画像をチェックしてみたが、風の強さはまるでパニック映画のようだ。米軍の観測では最大瞬間風速105メートルに達する世界最強級だった。台風の進路にあたったエリアの7~8割の家屋が倒壊し、死者、行方不明だけで1万人という報道もある。高潮で呑まれた家々も多いと報告されており、最終的に東日本大震災を上回る被害となるのは確実だ。タクロバンにはマルコス大統領時代に日本の援助でつくられた立派な橋があって、レイテ島と北隣のサマール島とを結んでいる。レイテより開発の遅れているサマールでも当然被害が出ているに違いないが、自慢の橋や道路が大丈夫なのだろうか。

 台風襲来から5日経過するが、報道される限り、救援の主力を担う国軍と警察の動きは、まだ点から面になっていないように思えて歯がゆい。10日にアキノ大領領が現地入りし非常事態宣言を行ったが、現地から映像には、「FOOD、WATER、MEDICINE」とペンキの大書きがあった。全てが足りない。治安の悪化を示すショッピングセンターや商店の略奪シーン、銃を持ち歩く被災者の姿がネットにアップされはじめた。丸腰のボランティアは現地入りを躊躇するかもしれない。現地の実情を正しく知りたいが、今回は現地からの報道が意外なほど少ない。日本のメディアの出遅れぶりにも驚く。通信は途絶しているとはいえ、現地での記者レポートを収録したテープやデータ化されたカメラの撮影映像を、マニラに帰る空軍機のパイロットに手渡せば、面倒な手続き抜きに気軽に運んでくれる国柄のはずなのだが、治安状況でビビッているのか。

 ところで、タクロバン市長の名が気になった。ロムアルデスという。タクロバンはイメルダ・マルコス夫人、旧姓イメルダ・ロムアルデスが育った地だったため、マルコス時代は繁栄を謳歌した。そのぶん、のちには発展から取り残されたとされる。私が取材に訪れたのはラモス政権当時で、治安は良さそうだが、時代が止まったような感じがあったのを覚えている。 イメルダの若き日の美貌は、「タクロバンのバラ」と称えられたほどで、島のビューティー・クイーンからマニラの全国美人コンテストに出場を果たし、レイテ島の名家ロムアルデス家出身であったことも手伝い、大統領夫人への階段を上るきっかけを掴んだ。当然、タクロバンには熱烈なイメルダ支持者が多く、豪華なマルコス夫妻記念館まで建てられている。おわかりだろう、ロムアルデス市長は、イメルダ夫人の血筋なのだ。
 
 80歳を超えた今もフィリピン下院に議席を持つイメルダ夫人にとって、生涯で最も憎むべき敵は、自分たちを大統領夫妻の座から追い、身を寄せた先のハワイから帰国させないよう命じたコラソン・アキノ元大統領だった。その政敵コラソンの息子ベニグノ・アキノ3世が、現大統領として今回、タクロバン大災害の復旧を総指揮する。何とも皮肉な巡り合わせだが、仮に復旧作業がこれ以上もたつくようであれば、イメルダは必ず強い調子で批判の論陣を張るだろう。
 
 「アジアの病人」と呼ばれ、周辺国の躍進からひとり取り残された感のあったフィリピンだが、このところ経済成長が著しく、金融市場も活発だ。長く現地を見てきた知人にこの夏聞いた情報では、マニラ首都圏のビジネス街マカティの発展ぶりは驚異的だそうだ。一時は宿痾ともいわれたクーデター騒ぎもピタリと収まっており、若い労働力の多さは、未来への可能性を感じさせてさえいた。そうしたなかで起きた今回の大災害は、国の経済規模の小ささを考えるとき、たいへんな試練になるだろう。一方、フィリピン政界で、マルコス対アキノの遺恨試合は単に潜在化しているだけだ。復旧復興のペースが遅ければ、簡単に政治的火種になるのではないか、と懸念している。

このブログ公開後……やはりというか、なんというか、アキノ大統領は、州政府を能無しと批判、これに対してロムアルデス市長が激しく反論したとの報道があった。

離婚できない国の結婚事情

Posted by Ikkey52 on 10.2012 フィリピン   0 comments   0 trackback
 フィリピン・ベースで仕事をしていたころ、マニラの仕事場には、様々な人間が出入りしていた。もちろん、仕事関係がほとんどだったが、なかには人生相談めいた話を持ち込んでくる御仁もいた。フィリピンの結婚と離婚の話をしたい。

 仮にA君としておこう。5歳年上の子持ちのフィリピン人、B女と結婚したい、と相談に来た日を思い出している。東京の会社をやめ、国際報道写真家を夢見て、彼は東南アジアに飛び出した。初陣の取材行で撮った写真の数枚が、ビギナーズ・ラックでたまたま日本の雑誌に売れた。勘違いの始まりだ。国際報道のイロハも知らず、身分の保証もないまま、インパクトのある写真を求めて、安全とは言えない地帯をほっつき歩くのは、無鉄砲が過ぎる。取材の相談に乗ってほしいと、人を介して私の仕事場に訪ねてきたのだが、そもそも相談の中身からして要領を得ず怪しげだ。不埒な男には見えないが、あまりの甘ちゃんぶりに腹が立ち、適当にあしらった。
 
 A君は悪びれた様子もなく二度三度と、顔を見せた。所持金が尽きかけているらしく、宿泊先はどんどんチープになっていった。A君の実家は鹿児島のS町駅前で書店を営んでいるという。A君の色白な線の細い顔に、桜島を背にしたS町の田園風景がダブった。悪いことは言わない。いったん日本に帰って立て直したら、と忠告した。いつしか自分もA君に多少の情が移っていたのだろう。だから、強く言った。A君は耳を貸さず、またやってきた。知遇を得たフィリピン軍人の家に居候し始めたというので、彼のたくましい一面を見たように思ったが、すでに、その軍人の妹にあたるB女と恋仲になっていたわけだ。子持ちの女性と結婚?ダメだ、絶対に成立しない。「フィリピンには離婚に関する法律がないんだ」と説明する私に、こんどはA君が目を剥いた。

 離婚不可という国家が、世界で3か国あるといわれてきた。マルタ、バチカン、フィリピンだが、マルタは去年国民投票をやり離婚法をつくった。バチカンは、国民の多くが法王庁の男性職員で、イタリアとの二重国籍者が多いから逃げ道はある。フィリピンにも、訴訟手続きで離婚できる余地はあるから、完全に離婚不可ではない。問題は、フィリピンの法が結婚を、性と生殖の健康という観点からとらえている点。精神疾患や、性的不能、あるいは性病は、離婚原因となるが、性格の不一致や、愛が冷めたことは、理由にならないのだ。また、訴訟手続きには、金と時間がたっぷりかかる。庶民には手が届かない。

 離婚がほとんど難しいという現実のもとで、再婚はしばしば重婚に陥りやすい。フィリピンの婚姻手続きが面倒なのは、重婚防止の狙いがある。立会人の署名のある書類を役場に持ち込んでも、すぐには受理されない。結婚を希望するカップルの名は、しばらくの間、役場の官報に公開される。所定の日数の公開を経て、異議申し立てがないとなって、やっと婚姻が認められる。

 結局、A君とB女は結婚した。れっきとした旅行代理店に勤務するB女の最初の結婚は、内縁関係のままで未入籍だったからだという。ただし、役場にかわって教会が戸籍を勝手に作るフィリピンで、「内縁関係」というのが腑に落ちなかった。婚姻関係書類の翻訳証明を日本領事館で取るのにA君が苦労していたのは事実で、及ばすながら力も貸したが、別名でのパスポート取得が金次第で簡単に叶う国でもある。ともあれ、やがて帰国して東京に落ち着いたA君から礼状が届いた。自分もカミさんも元気、子供が生まれた、とのことで、賀状も何年か交換したが、その後音信が途絶えた。いま、彼の名前を検索エンジンに放り込んでもヒットはない。A君にとって国際報道写真家はまだ見果てぬ夢なのだろうか。

新鋭巡視船、フィリピンへ

Posted by Ikkey52 on 05.2012 フィリピン   0 comments   0 trackback
 新聞によると、日本政府は、日本のシーレーンの安全確保に向けて、政府開発援助(ODA)を活用し、フィリピン政府に巡視船を供与する方向になった。防弾ガラスを装着した巡視船はこれまで武器にあたるとされ、武器輸出3原則に抵触したが、これが緩和されたことから、実現の運びとなった。新造船が渡されるのだろうか。いっときから考えれば夢のような話だ。
 
 移住先、駐在先の国に対して日本人は、その国が嫌いか、好きか、必ず二つに分かれるという話を聞いた。最初に言っておくが、自分はフィリピンという混沌を絵にかいたような国が嫌いではない。フィリピンで暮らしていたころ、アジア最大のアメリカ海軍基地「スービック」に、退役を前にした海上自衛隊の護衛艦が寄港し、船上パーティーに招かれたことがある。海上自衛隊の退役予定艦船が東南アジア各国を親善寄港するのは慣習化されていた。第二次世界大戦で日本に占領されたり、主権を冒されたりした東南アジアの国々は、戦後日本の軍備に対しても、当然ながら強い警戒心を抱き続けてきた。そういう疑惑のまなざしに対して、「日本は専守防衛に徹しています。役目を終えた護衛艦は他国に売却したりせず、スクラップにします」という証しを立てることが、各国行脚の真の目的なのだと聞いていた。なんともいじましいイメージアップの努力が戦後、自分たちの知らないところで営々と続けられていたのだ。
 
 護衛艦の甲板には、万国旗が飾られ鮨やてんぷらの屋台が出て賑わっていた。アルコールが回ったフィリピン海軍の高官が話しかけてきて、しみじみこぼす。「どうしてもスクラップにするのか。フィリピンの海軍にはこんな立派な船は一隻もない。何とか譲ってくれるように知り合いの自衛官に頼んでくれないか」。外交辞令ぬき。本音と聞いた。
 
 ベトナム戦争終結後、東南アジアの軍事バランスを乱す最大の要素は、中国の領土拡張主義と軍事力の増強だった。インドネシアも周辺国からは軍事大国視されていたことは、あまり知られていなかったのかもしれない。
 そんななかで、フィリピン軍の装備はお粗末そのものだった。空ではゼロ戦さながらのプロペラ機が博物館入りせずに戦力としてカウントされていたし、海の主力は驚くなかれ、木造の哨戒艇だった。とにかく金がない。日本の護衛艦は退役するといっても念入りに手入れされたもので、フィリピン側からすれば垂涎の的だったのも肯ける。さすがにいまは、海軍の装備も多少改善され、フリゲート艦も一隻保有しているようだが、それでも7000もの島からなる多島海洋国家の防衛を考えればお寒い限りだ。
 
 フィリピン周辺海域は海賊が多いことで有名だ。特にミンダナオとボルネオの間のスールー海は海賊が制海権を握っているといってもいい。それもそのはず、そこには米西戦争で消えたスールー王国というイスラム系海賊国家があった。もっとも、「消えた」こと自体、条約の翻訳ミスで解釈が分かれたそうだ。とはいえ、「国民」は代々家業の海賊に精を出し、暮らしをたててきた。ソマリアなんぞの新参海賊とはちょっと違う。
 
 海賊を取り締まれないのは、海上治安維持のための機関が機能してこなかったからだ。最近は、フィリピン沿岸警備隊職員が海上保安庁に学ぶ機会も多いらしい。新鋭巡視船も届くようだし、大いに訓練し、海の治安維持に貢献してほしい。スールー海が安全な海になれば観光資源としても有望なはずだ。
  

プロフィール

Ikkey52

Author:Ikkey52
ジャーナリスト 札幌生まれ
父方は、奈良十津川郷系+仙台伊達藩亘理系。母方は東三河豊橋系+肥前鍋島藩系+加賀藩系

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