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居場所と不登校 ~関西テレビ『みんなの学校』 が見つめたもの

Posted by Ikkey52 on 15.2014 テレビ   0 comments   0 trackback
 関西テレビ制作のドキュメンタリー、『みんなの学校』は、昨年度の芸術祭、今年のモンテカルロ・テレビ祭をはじめ内外で各賞を総なめにした話題作。『みんなの学校』という何ともベタなタイトルが、観終ってみれば、それが最も自然かもしれない、と思えてしまうから不思議だ。

 内容をひとことで表すなら、不登校児ゼロを達成した大阪市立東住吉大空小学校の日常観察記。ただ、そう言ってしまうと、身もふたもない。ベテランと新米が入り混じる先生たち、学校作業員、父母、地域の応援団が一体となって、木村泰子校長が掲げる「子供たち一人ひとりに居場所をつくる」という方針に従って駆け回る。校区は団地の多い下町。子供にとって居心地のいい家庭ばかりではない。大空小では特別教室を設けず、札付きの問題児であろうと、情緒に障害があろうと、普通の教室で学ばせる。評判を聞きつけて他の校区から越境を希望する子がいれば、拒まずに受け入れる。そんな学校の日常が平穏であるはずがない。

 授業中に立ち上がり奇声をあげる、校舎から逃亡する、登下校を見守ってくれる地域ボランティアの人に回し蹴りを見舞う…。それらの問題行動に向き合うのは一義的には担任の役割だが、番組では木村校長自らが子供と向き合うシーンが頻繁に出てくる。管理職の座にふんぞり返ってはいない。しばしば校長室は、児童と木村校長の真剣勝負の場と化す。木村校長はよく「鬼」になる。「怒りの鬼」ではなく「諭しの鬼」だ。根負けしてあきらめることはけしてない。子供のほうが粘りに負けて白旗を上げる。一方、女性校長は後輩教師たちには「諭し」程度で収まらない。教室の秩序を重んじたいばかり、子供をむきになって叱った若い駆け出し教諭に、木村は「手を挙げそうな勢いだった。クビだ!!」と言い放つ。いやはや、男性校長だったら確実にパワハラ。あっぱれ豪快なリーダーシップだ。しかし、そこまで自信をもって踏み込まずして地雷原さながらの現場はひっぱれない。

 大阪弁がいい。キツイ対峙もそうでなくなる。救われる。教師も子供も親も。気取らないコミュニケーションにすぐれた方言だと思う。放送は言葉の仕事だから、大阪局の取材班はそれを存分に生かしている。山口智充が務めるナレーションの演出は標準語になるはずがない。
 
 撮影を担当した大窪カメラマンによると1年365日のうち、150日間取材に通ったという。しかも別にニュース取材の本業を抱える。彼ら取材班の努力もすごいが、それを許したプロデューサーもすごい。
 もっと驚くのは、木村校長の取材班への対応。けしてお客様扱いせず、手が空いているスタッフには子供たちの見守り役を命じた。修学旅行の同行取材でもしっかり管理上の役割を振られたというから徹底している。岩波映画で出発した羽仁進の昔から、教室の子供たちの姿をどうやったらありのままに撮影できるか、ドキュメンタリストの大きな課題だった。『みんなの学校』の場合、木村校長から命じるままに、学校内での役割をスタッフが果たすことで、先生と児童にじわじわ認知され、最後には取材班のカメラが校内で透明な存在になっていったのではないか。

 番組を観た児童精神科医の姜昌勲は次のように述べる。
「木村泰子校長先生が繰り返し言っていたのは、『すべての子どもが安心できる居場所づくり』です。不登校ゼロっていうのは、だから目標じゃあなくて、居場所づくりの結果だと思うのです」。http://blog.livedoor.jp/kyoclinic/archives/4456913.html
 いいまとめだと思う。では、平穏に学びたい普通の子にとって大空小は、どんな場所か。あるいは迷惑な学校かもしれない、という疑問もわくのは当然だが、大阪の学力テストで大空小は上位だという。教室内の一人が騒ごうと動揺しないことを教わって、集中力がつくのだそうだ。なるほど、悪くない副産物もあるわけだ。

見世物討論番組の演出論…朝生「朝日の慰安婦問題編」を例に

Posted by Ikkey52 on 29.2014 テレビ   0 comments   0 trackback
 テレビで行う討論は「見世物」になっていなければならない…。日本で初めてそう喝破したのはテレビ朝日の名物プロデューサーだった故・日下雄一と田原総一朗。そして、そのポリシーを実務で支えたのはフリー・ディレクターの吉成英夫だったのは間違いない。「朝まで生テレビ」の成功を横目に見て、他局が二匹目や三匹目のドジョウを探さなかったのはなぜか。集めてくることさえ容易でない猛獣たちを、十数人が座れる楕円のテーブルと3時間弱の時空の檻に押し込めることがそもそも並大抵ではないし、まして、そこに喜んで入ろうという猛獣使いなど田原という特異なキャラクターをおいて見当たらなかった。そういうことではなかったか。言葉を代えれば、今日まで300以上の回を重ねることができたのは、「一点もの」の番組だったからだ。

 田原の老いにつれてパワーダウンは否めない最近の「朝生」だが、朝日新聞の一連の誤報訂正と謝罪に焦点をあてた28日の「慰安婦問題とメディアの責任」は、久々に動物園らしいかまびすしさに包まれた。朝日が唐突に行った8月の慰安婦検証報道をひと月以上もニュースにせずネグってきた、と火の粉を浴びているテレビ朝日にとっても、「タブーに挑戦」を謳うこの番組で同問題を取り上げるタイミングが遅れることは、絶対に避けなければならない。

 討論をエキサイティングな「見世物」にする演出の主要部分は、実はキャスティングそのものだ。今はどうなっているのかわからないが、かつて田原は、六本木に個人サロンを持ち、面白そうな学者、文化人、政治家、ジャーナリストを招いて人脈づくりをやっていた。「朝生」のパネリストとして耐えうるか否か、値踏みをしていたわけだ。いわば猛獣の餌場だ。そこまでやっていた。生放送で本音を語れる識者など、当たり前といえば当たり前だが、とうの昔から絶滅危惧種。見つけるためには大きなエネルギーを費やしていたのを知っている。

 今回の「朝生」。パネリストの人選に苦労のあとが偲ばれる。「見世物」に仕立てるため、攻める側に理論派は多すぎるといけない。学者の論議は聞きたくない。まず攻める側を象徴して産経OBの山際澄夫を置く。感情的な発言者であり、キャラが立っていてテレビにぴったりだ。あわよくば場外乱闘気味に産経対朝日の遺恨試合も見込める。元NHKディレクターの池田信夫も雄弁だが、イデオロギーの臭いはないから山際とは違う攻め口が期待でき、事実その通りになった。特に「強制連行説」捏造の疑いがかかる元朝日の植村隆とパラレルな関係で韓国取材をしていた話は初耳だった。現代史家で、吉田証言否定の功労者でもある秦郁彦は、今度の記事取り消し問題の真打であり、いなければ始まらない。一方、守る側は現役の朝日人士だと出にくいし、また出しにくい。片言隻句を捉えられたくないから物言いが慎重になり、下手をすれば反論さえ自重するだろう。そこで、OB、OGが立てられる。卒業生は無責任だからいい。早野透、山田厚史、下村満子という顔ぶれ。早野は、名物の政治コラムの書き手だったが、朴訥な風貌、口調に似あわず、けっこう戦闘的で、論敵にジャブを放つなどしながら朝日の建前を守ったのが狙い通り。下村は、アジア女性基金のメンバーだったので、秦と同じく同席しないと画竜点睛を欠く。現役記者当時から田原サロンの主要メンバーだった山田の裏の役割は、猛獣使いである田原のアシストだったが、今回は他の猛獣たちの声が大きかったため、せいせい産経の過去に触れ山際を挑発する程度しか存在感を示せなかった。状況からして朝日のOB、OGは今回、大所高所からのジャーナリズム論は吐きにくいのを見通して、朝日センスに近い元共同通信の青木理を配してそのあたりの発言は代行させた。

 軸となる二陣の対立を、より鮮明にするための脇役は、「見世物討論」のキモとなる。政界からは、自民の平沢勝栄と民主の大塚耕平が参戦。といっても高みの見物にとどめていたところに演出力が見える。討論が性別、年齢と問わない形に見えるよう若い女性も呼ばねばならない。この日は作家、吉木誉絵。彼女が良かった。祖母世代の下村満子が語る情緒的慰安婦論にがぶっと噛みついた。もっと語らせたかった。味を出すという意味では、ネット系の大御所、津田大介も座らせて正解だった。出番の少なかった津田だが、「ネットの批判がなかったら、朝日は誤りを認めていたかどうか」との一撃は起死回生だった。最後になったが脇役の重しとしてあらかじめ配されたのが、東京・中日新聞論説副主幹の長谷川幸洋。正確な表現は忘れたが、吉田証言にしろ吉田調書にしろ、「スタンスありきの報道だった」との趣旨を語っていた。「東京新聞はアカハタより左と言われた」と軽く自虐をかましたとはいえ、自社の話を棚に上げて「よく言うよ」なのだが、早野が明確な反論をしかねているのがわかって、期待値に応えたな、と見た。

ドラマ「足尾から来た女」に暴かれた、人徳者「石川三四郎」の若気の至り…

Posted by Ikkey52 on 30.2014 テレビ   0 comments   0 trackback
 尾野真千子の熱演を除けば、期待外れに終わったNHK土曜ドラマ「足尾から来た女 前篇・後篇」。明治の民権派・社会主義・女権拡張の各運動家に加え、与謝野晶子、石川啄木といった明星派歌人まで、当時の著名人総出演の感があったが、たった2回ではまとまりようがない。題材の採り方が新鮮だっただけに、大いに惜しまれる。

 19世紀後半に発生した栃木県足尾銅山の鉱毒公害事件で、強制的に廃村にされた谷中村出身の娘「新田サチ」が主人公。サチは、反公害リーダーの民権主義者、田中正造翁の激励と紹介を受けて、東京の女性社会運動家、福田英子宅に女中として住み込み、様々な経験をするなかで、郷里への思い、反公害への思いを強靭なものにして行くという物語だ。「新田サチ」に実在のモデルがいたかどうか、不勉強でわからないが、あとは実在の人物たちでドラマはすすむ。福田英子は、清の朝鮮支配に反対する民権グループに参画し、爆弾の運び屋を務めたとして懲役刑を食ったことのある「青鞜の女」だが、11歳年下の石川三四郎と愛人関係だったことも作り話ではない。それにしても、よくも石川三四郎の存在を歴史の彼方から呼び戻してくれたものだ。たぐいまれな人徳者といわれた超大物の存在をみんな忘れかけていた。

 『虚無の霊光』という神秘主義的タイトルの主著を持つ無政府主義者、石川三四郎は、幸徳、大杉らの同時代人と交錯しながら、大逆事件にも、震災後の社会主義者虐殺にも巻き込まれることなく、昭和31年まで生き抜いた異色の思想家だ。どういう思想遍歴の人物か、この人ほど端的に表現するのが難しいタイプもいない。「万朝報」反戦派から週刊平民新聞社員への転身がスタートといえばスタートだが、獄中での古事記研究から天皇家とは何かと考え、キリスト教に振れ、老子をはじめとした東洋的アナキズムに振れた。大杉に先駆けてヨーロッパに渡るが、その途上、尾張徳川家19代当主の徳川義親や皇族の北白川宮の知遇を得た。21世紀の今、反グローバリズム運動の始祖として再評価されているフランスの大物アナキスト、エリゼ・ルクリュ家の庇護をうけつつ農業に目覚め、協同組合主義に振れ、東洋史研究に振れた。太平洋戦争中は、都下千歳村で農村的共学組織を志向し、雑誌を出しては当局から発禁を受ける「いたちごっこ」に耐えた。終戦直後には、「国家は打倒された」と喜び、高らかに「無政府主義宣言」を発するとともに、「地方集団の自由連合式結合とその愛の象徴としての天皇」という独特の社会モデルを理想像とする地平に到達した。この間、一度たりとも転向したことはなく、農業には終生こだわったが、農本主義といっしょにされるのがいやで、「土民生活」という用語を使った。石川のたどり着いた独創的イデオロギーの前には、左右いずれであれ、たいていの異端思想は色あせてみえる。

 キリスト教的社会主義を奉じていた若い日、田中正造翁に心酔し、何度も谷中村入りしているが、この肝心な足尾との深い関わりはドラマではあっさり切り捨てられていた。逆に、居候させてもらっている福田英子の目を盗み、石川が力づくでサチを手籠めにしようと仕掛ける場面が挿入されていた。それが妙にリアルなのは、実際に似たエピソードがあったからだ。福田英子宅に一時寄宿していた他家の十代の娘さんを石川は妊娠させている。娘さんは海外留学中の婚約者の帰朝を待つ身だった。また、福田、石川どちらのプロフィールにも記録されていないが、2人の間には一子がいたようだ。福田は晩年、縁の切れていた石川に「末子に名を継がせてほしい」と頼み、石川が快諾したという逸話が伝わっている。

 話が小さくなった。石川は、今から100年も前に、地球上から多様性豊かな人々の暮らしが失われていることに気づき、激しく警鐘を鳴らした。いま、それはグローバリズムの仕業であると明確にわかっている。2001年にイタリア・ジェノバで開かれたG8は、サミット粉砕を叫ぶ20万人の人々によって包囲されたが、彼らの共通の旗が反グローバリズムであることを、各国のマスメディアは踏み込んで論じなかった。おりしも昨年、ルクリュと石川の遺稿をもとに日本で『アナキズム地人論』が出版された。それもまた高まる反グローバリズム気運の反映だとすれば、石川たちも報われるかもしれない。

米軍は惜しみなく奪った ~「イラク人ジャーナリストが見た戦争」

Posted by Ikkey52 on 11.2013 テレビ   0 comments   0 trackback
 シリア内戦で化学兵器が使われたことをきっかけに、アメリカがシリア政府に鉄拳制裁のポーズをとった。報道を受けて誰もが思い出したのは、10年前のイラク戦争だったはずだ。大量破壊兵器を隠している、とアメリカはフセイン政権を倒したのだが、結局、大量破壊兵器は見当たらず、イラクとアルカイダが協力関係にある証拠もはっきりしなかった。戦後になって、次第に明らかになった事実は、アメリカの本当の戦争目的が、「石油利権」であり、「サウジに代わる米軍基地受け入れ国の確保」であり、「国内兵器産業の延命策」ではなかったか、と疑わせるに十分だった。9月11日現在、シリア政府が化学兵器を使用した決定的証拠はどこからも提出されていない。
 
 米軍進攻下のイラク国内で無辜の民がどれほど痛めつけられたのか、そして戦争から10年を経た現在も人々はどれほど悲惨な環境に置かれているのか、NHKのBS特集「イラク人ジャーナリストが見た戦争」が鋭く告発している。見つめ続けてきたのは、激戦地となったアンバール県出身のアリ・マシュハダーニ(44)だ。
 
 アリの立ち位置を理解する一助として、ロイターやAPといった国際通信社の仕組みを確認しておきたい。世界の果てのようなところからも、ロイター電、AP電が送られてくるのは、土地の言葉に堪能で地域の事情にも詳しいフリーランスのジャーナリストと成功報酬型の契約を結び、ロイターやAPの看板を背負わせ取材にあたらせているからだ。彼らはたいてい、小型ビデオカメラとスチールカメラの2台をぶら下げており、名刺は表に「AP通信記者」とあれば、裏には「APTN(APテレビジョンニューズ)記者」と書かれている。
 
 フリーランスとして故郷の町ラマディを中心に戦争の惨状を伝えていたアリも、ロイターやBBCと契約してIDの発行を受け、それによって米軍への取材も許される契約記者となっていたひとりだ。彼がレンズを向けた状況を見る限り、現地での非戦闘員への攻撃と殺戮は狂気の沙汰だ。アリ自身も自宅を破壊しつくされていた。米軍への反感は男たちを反政府ゲリラに追いやる。彼らは、廃物利用ながら遠隔操作する「路肩爆弾」で対抗した。やがてアリは米軍に身柄を拘束される。「アメリカに不利益な映像を流布させた」ことが理由だった。虐待で悪名轟くアブグレイブ刑務所にもぶち込まれ拷問を受けたが、仕事仲間の働きかけでどうにか釈放された。その仲間も米軍ヘリからの誤射に倒れた。
 
 イスラム諸国の政情を不安にさせているシーア派とスンニ派の対立は、イラクではフセインの強権で封圧されていたのに、フセインが除かれると、アルカイダが入ってきて両派の対立を煽った、とアリは指摘する。また、フセイン政権下では多くの教師がバース党員だったが、党員を機械的に公職から永久追放したために、教育の機会が失われている、ともいう。「アメリカが約束した自由な民主主義はこれなのか」と、瓦礫のなかで乳児を殺された女たちがアリのカメラに向かって叫ぶシーンのやりきれなさ。吹き飛ばされた兵士の足首を無造作に掴みあげる子供たちの空虚な笑い…。映像は雄弁だ。
 
 今年3月、アリはイラク戦争と戦後の現実を訴えるため日本にやってきた。大学での講演や視察先で通訳をつとめていたのは、日本赤軍リーダーだった重信房子の娘メイだった。果たすべき役割をしっかり果たしている様子だ。別な場面で高遠菜穂子もちらりと映り込んでいた。04年のイラク日本人人質事件の当事者で、「自己責任」というキーワードで激しいバッシングを受けた女性だが、なぜかNHKには好まれているようだ。今も続く卑劣な中傷に組するつもりはないが、彼女の関わりが見えてしまうと、せっかくのアリの報告に水が差されないか、と案じた人は少なくなかったかもしれない。

友ならば踏み込め  ~RKB毎日「シャッター」が欠いていたもの

Posted by Ikkey52 on 02.2013 テレビ   0 comments   0 trackback
 あれやこれやのドキュメンタリー技術論を越えて、評価に困る番組、といえるかもしれない。「シャッター ~報道カメラマン 空白の10年」。福岡のRKB毎日放送が制作したものをBS‐TBSで観た。
 
 主人公は毎日新聞を10年前解雇された元写真記者、五味宏基。解雇理由となったアンマン空港爆発事件の報道に接したときの衝撃はいまも忘れない。イラク戦争の現地取材を終えヨルダン経由で帰国しようとした五味の手荷物が、クイーンアリア国際空港の搭乗手続き中に爆発し、警備兵が1人即死、4人が重軽傷を負った。五味は、イラク戦争の地で拾ったクラスター爆弾の子爆弾を単なる金属片と勘違いし記念品として日本に持ち帰ろうとしていた。空港で爆発せずに、五味が乗り込むはずだったエジプト航空機の機内で爆発していたら、と考えただけでそら恐ろしくなる。
 
 少々右っぽい言い方をするなら、まさに「国辱もの」だった。五輪でメダルに輝いた同邦人を誇らしく思う気持ちと正反対の、恥ずかしさと情けなさを感じた人が多かったのではないか。事件の当事者としての五味個人への関心など一瞬で消えた。その間、五味は逮捕され、懲役を宣告され、国王の恩赦で救われ、帰国して会社をクビになっていた。
 
 五味を取材対象に選んだのは毎日の同期入社組で、今はテレビマンに転身したRKB毎日放送・テレビ制作部長の神戸金史。馘首後の数年間、五味は贖罪の意味からカメラを封印し、家計を支える妻の勤務地であるタンザニア、エジプトで子育てと主夫業に励むが、やがて再びカメラを手にする。そこは重要な転機だが、「時間が経った」という説明だけでは身もふたもない。もう一度カメラを手に取ろうとした五味の内面が語られない以上、ドラマといえるドラマはないに等しい。あえてプロデューサー目線でいうと、これではまとめようがなく、したがって放送のメドも立たない。番組のプロデューサーとディレクターを神戸が兼ねていることは、社内の逆風の強さを物語る。
 
 番組の導入部で五味は、福岡のホスピスに通いつめ末期がん患者とその家族から信頼されたヒューマンなカメラマンとして登場する。問題のイラク取材でも弱者の立場に立った数々の写真をものにし、新聞協会賞の候補にも取りざたされるほどだった、と紹介される。いい人、子供にやさしい目を注ぐ人、弱者にも分け隔てなく接する人…。制作者である神戸が提出するこうした視点は、まるで今にも潰れそうな廃屋をかろうじて支えるつっかえ棒のように、何度も差し挟まれる。自らも事件の責任の一端があると感じ、五味の苦悩に寄り添おうとする上司だった元写真部デスク。事件の後処理に直接携わり、今や「毎日」の主筆に上り詰めたかつての外信部長。そして写真記者として五味が手掛けた仕事ぶりの客観的評価者として立ち現れる大谷昭宏と津田大介…。どれも、神戸の視点の補強材料として使われる。同様に、五味の贖罪意識がもっぱら事件被害者個人に向けられる形でくどいほど語られる。
 
 おかしい。何かおかしい。五味が贖罪意識を引きずるヨルダンでの事件で、金属片をまるで戦利品よろしく日本に持ち帰ろうとしたとき、いささかの英雄気取りもなかったか。評価される仕事をやり終えた全国紙の特派員として、おごり、気の緩みはなかったか。神戸が制作者として、どうしても五味に聞かなければならないのは、最低限、その一点だ。それが聞けないのなら、神戸はジャーナリストというより単なる五味のお友達にすぎない。辛辣な質問者の役割を、誰か別のメディア・ウォッチャーに託す方法もあったが、それもやっていない。本来、その問いと答こそが番組の背骨になるはずだろう。
 さらにいえば、マスメディア全体の信頼を失わせたことへの反省の言葉が聞けなかったのはなぜか。東日本大震災と福島第一原発事故で拡散したマスメディア不信を、遠景として提示するだけでは、制作技術上のアリバイと見られても仕方がない。
 
 罪は犯したが、それを十分に悔いている人間に、再起のチャンスが与えられるのは当然だ。それはそれとして、制作者の神戸が素朴に信じるように、「写真」はウソをつかないのだろうか。というのも、人のあら捜しが得意なある週刊誌が、五味が自分の下半身を業務用大型コピー機のガラス面に押し付けて複写するかのような、悪ふざけ写真を掲載しているからだ。今でいう「馬鹿バイトの不適切写真」に類するもので、事実ならば五味の人格を疑わせるのに十分だ。番組構成上の制約はわかるが、「写真」とは何かを考える意味で、五味の釈明が聞きたかった。  
 
 TBSはRKB毎日のローカル番組をBSで全国放送するにあたって、内容を不安視した。自分がプロデューサーでも本編があの内容では、不安でたまらなかったはずだ。そのため、オリジナルな内容に、あえて制作・放送サイドのエクスキューズ(大谷、神戸インタビュー)を長々付加して流さざるを得なかったのだろう。天下のTBS報道局の弥縫策は果たして成功したのか。さて、視聴者の評価はどうだろう。
  

プロフィール

Ikkey52

Author:Ikkey52
ジャーナリスト 札幌生まれ
父方は、奈良十津川郷系+仙台伊達藩亘理系。母方は東三河豊橋系+肥前鍋島藩系+加賀藩系

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