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黒澤映画「生きものの記録」の先見性

Posted by Ikkey52 on 09.2012 原発・映画   0 comments   0 trackback
  東日本大震災のあと、YAHOO知恵袋にこんな質問が登場した。
 「黒澤明の『生きものの記録』は今回の福島第一原発の事故を暗示していたのでしょうか?」

 「生きものの記録」は、監督として脂がのりきった黒澤が[七人の侍」の大ヒットに続いて世に問うた1955年の作品。黒澤の後続世代に当たる監督大島渚は、鉄棒で殴られたような衝撃を受けたという。同年のキネマ旬報で日本映画部門第4位に入っており、駄作であるはずもないが、興行的に大失敗したためか、「巨匠」のフィルモグラフィーのなかでは地味な扱いを受けてきた。それをこの正月休みに、再観できたのは収穫だった。
 
 日本が独立を回復して間もない時代。鋳鉄工場主として成功し、妻と二男二女、二人の妾、妾腹の子三人も養う老人が、広島、長崎、第五福竜丸の悲劇に触発されて、放射能汚染に怯えるようになり、ついには全財産を処分して安全圏だと考えるブラジルへ一族郎党引き連れての移住を計画する。しかし、老人の危機感は家族の胸に響かない。核戦争や原水爆実験による死の灰の飛来を、現実に起こりうる命の危険と受け止められない身内たちにとって、いままでの暮らしを捨てよ、と迫る老人の独走こそ危険極まりない。翻意を求めても無駄と分かった身内たちは、本宅妾宅うち揃って、家庭裁判所に老人を準禁治産者にしてほしいと訴える。判断を求められた家裁側も前代未聞のケースに戸惑い、判事、調停委員ともに逡巡を重ねるが、結局身内の訴えを認め、老人は自分の意志による財産処分ができなくなる。その間にも、「放射能なんかで死にたくない」という老人の想いは弱まるどころか、ますます強固になる…。

 フクシマを体験してしまったひとりの日本人として、いまあらためて見てみると、その予言性、先見性にまず驚嘆ぜざるを得ない。残酷極まりない寓話を読まされたような気分にとらわれる。
  映画が作られた当時、発電を念頭に置いた原子力の産業利用の是非を巡って、日本国内で大きな論議が起きていた。1954年に、焼津市の漁船第五福竜丸が太平洋のビキニ環礁でアメリカの水爆実験による死の灰を浴び、乗組員23人全員が被曝、死者まで出していたからだ。同じ年、日本初の原子力研究開発費が予算化され、翌年、原子力基本法が制定されて、国の原発建設推進路線がはっきりとしてくるが、盛り上がる反核運動は、広島、長崎の被爆者感情とも化学反応しながら第一回原水爆禁止大会を実現させた。日本と原子力の関わりにとって、1950年代中葉の日々は、非常に重い選択が行われた時代であり、したがってフクシマ事故の真因を探る作業のなかで、必ず行き着く原点だといえる。

 そうした時代性を踏まえるとき、この映画の題材は、リアルな政治性を帯びており、到底、荒唐無稽などと片づけられないことがわかる。ただし、たとえ政治性を帯びようと、映画は安っぽいアジテーションに堕すことはない。そこから人間存在の考察に向かうのが黒澤の流儀。この作品では、地球全体が人質に取られてしまった核時代の恐怖を巡って、人間の想像力とは何か、が問い直されている。エンドマークが表れるまで、スクリーンには一人の勝者も映らない。フクシマ事故は、人間としてまっとうな想像力を、どこかに置き忘れてしまった者たちによって引き起こされた。そのことを、あらためて強烈に確認させられた。
 
 今でいえばキムタクと同じで、だれを演じてもミフネにしかならないと、ダイコンぶりを揶揄されていた三船敏郎が、三十代半ばの実年齢で硬骨の老人役に挑み、見事な存在感を出している。大きな精神病院のスロープで、老人の若い妾と、老人のその後を気に掛ける家裁調停委員とが足取りも重くすれ違うラストシーンも印象にのこる。ドイツ表現主義を思わせるその不安定な構図が、暗い予感を増幅するのに効果を上げていた。
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Ikkey52

Author:Ikkey52
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父方は、奈良十津川郷系+仙台伊達藩亘理系。母方は東三河豊橋系+肥前鍋島藩系+加賀藩系

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