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憂鬱と官能を教えた学校 ~バークリー理論の功罪

Posted by Ikkey52 on 21.2012 音楽   0 comments   0 trackback
 モダンジャスの祖といえば、チャーリー・パーカー。ダンスのためのBGMだったビッグ・バンド・ジャズの流れを、ビ・バップというテクニカルで洗練されたジャズコンポのスタイルへと導いた革命的なジャズ理論家にして、天才サックス奏者。通称バードと呼ばれた男は、17歳でヘロイン常習者となった典型的なジャンキーだったが、一説には、原子物理学や量子論を縦横に論じ、20世紀クラシック音楽の頂点とされるロシア人作曲家ストラビンスキーの「春の祭典」を愛聴した本物のインテリだったという。原子物理学や量子論の知識のほどはわからないにしても、ビ・バップの創始者と呼ばれるのを嫌い、黒人でありながらジュークボックスでよくカントリーアンドウエスタンを聞いていたというから、音楽的な寛容度は特別に高い人間だったのはたしかなようだ。
では、ビ・バップ・ミュージックとは何か。菊地成孔、大谷能生という2人の才能あふれるジャズ・ミュージシャン兼批評家たちによると、ビ・バップは「理論的な整合性が高くて、もっともきちんとアナライズ可能な、相当高度に意識化された体系によってできている音楽」であり、構築度、言語性が高く「スポーツライク」ということになる。ヘロインまみれなのに、被分析性が高い??。菊地は「ゲームの規則を完全に顕在化させるブラック・ミュージシャンの聡明さ」に感嘆する。

 菊地成孔、大谷能生共著「憂鬱と官能を教えた学校 【バークリー・メソッド】によって俯瞰される20世紀商業音楽史 上・下」は、ピアノの鍵盤がないと読解できないように編まれている不思議な本。鍵盤図とコード記号は頻繁に出てくるが、譜面自体はほとんど出てこない。ひさびさにピアノのふたを開いたが、長いこと調律をさぼっていたので、ずいぶん音はくるっていた。

 バークリー音楽院は、ご存じのようにアメリカ・ボストンにある著名なジャズ・スクールだが、そこで講じられている理論、すなわち、調律、調性、旋律、和声、律動といったものを客観的に分析する。
 自分なりに解釈すすれば、「バッハ以来の十二等分平均律によって、それまで世界の民族音楽が持っていた音程の微妙な差異を切り捨てる西欧合理主義に、バークリー理論は乗っかっている。リズムも同様だ。音楽に西欧合理主義を持ち込めば、記号論的にあるいは数学的に解釈しやすくなるのは事実で、その『功』は認めよう。だが、21世紀的ディバイスが、本来の正調民俗音楽の世界拡散に手を貸すこれからの時代、平均律で割り切る思想の底浅さは隠しようもなく、そこに『罪』が露呈する」。チャーリー・パーカーの衣鉢を継ごうとしたからこそ、チャーリーのコード奏法に甘んじることなく、教会旋法をもとにしたモード奏法に挑んだのは帝王マイルス・デビス。すると、旧来のコード奏法(コーダル)と新しいモード奏法(モーダル)の統合を考えるあたりが「バークリー・メソッドの業績でもあり、限界でもある」と菊池らはいう。
 
 バークリーの卒業生ではない2人が語るバークリー・メソッド論は、言語学、記号論、音響工学や現代風俗などの香辛料が贅沢に加味されており、別段音楽マニアでなくても、知的興奮は十分味わえる。ただし読む側は多少、楽理をかじった経験者が似合う。
 菊地、大谷がコンビで、東大やアテネフランセなどの教壇を荒らしていたのは確かだ。この本の中身も、もとはアテネフランセ映画美学校で行った講義と生徒とのやり取りをまとめたもの。本来は語学学校のアテネフランセが、映画教育に手を染めたのは1970年代の「映画技術・美学講座」が最初。当時は専任の音楽担当講師などおらず、音が必要になったときの手伝いには、演出担当講師だった寺山修司のカオで劇団天井桟敷の座付き作曲家シーサーがアコギ一本を抱いて駆けつけてくれた。そんなことを考えると、アテネでバークリーの功罪が論じられるなど、隔世の感がある。ちなみに、サックス奏者の菊地は作家菊地秀行の弟。だからどうだというわけではないが、井上陽水とのコラボするなど懐が深く、DJはもちろん歌も踊りもやるマルチの才(http://www.youtube.com/watch?v=dKPr7T6Ene0)。

ブルースの発見~大友博の旅とクラプトン~

Posted by Ikkey52 on 27.2012 音楽   0 comments   0 trackback
 ブルースというジャンルの音楽が「発見」されたのは1903年だという。意外に新しい。そもそも民俗音楽の起源が特定できるわけではないが、発見となれば発見者がいるはずだ。
 1903年のある日の晩、ミシシッピー州タトワイラーにあった停車場で、汽車を待っていたアラバマ州の音楽家W・C・ハンディは不思議な5音階の音楽を耳にした。振り返ると黒人の若い男がギターにナイフのようなものを走らせながら歌っていた。ハンディは、そこで書き留めたメロディをもとに「メンフィス・ブルース」や「セントルイス・ブルース」を発表、ブルースの認知につながったのだという。

 「発見」から96年後、デルタ地帯といわれるブルースの故郷を自らハンドルを握って訪ねた日本人がいる。音楽ライターの大友博だ。自分と年齢も大学もいっしょなのを知ってから、勝手に親近感を抱いている。大友に限らず、ロックやブルース系を(も)論じるライターは、「ミック・ジャガーは60歳で何を歌ったのか」の中山康樹にしろ、「ロック・ギタリスト伝説」の萩原健太にしろ、文体から誠実な印象を受けるのは、ほぼ同世代人ということからくる贔屓目からだろうか。

 ブルースの聖地ミシシッピーのデルタ地帯で大友は、ロバート・ジョンソンという男の墓を探す。百年前に生まれ、27歳の短い生涯だったローカルの黒人ミュージシャン。ところがいま、ロバートが生んだオリジナルのブルースをキース・リチャーズが愛奏し、エリック・クラプトンが熱唱する。特にクラプトンは、自分の音楽の原点はロバートだと語り、「ミー&ミスター・ジョンソン」「セッションズ・フォー・ロバート・J」という2枚のトリビュート・アルバムまで出している。
 大友の筆になる「エリック・クラプトン」は、巧みに構成された労作。06年5月に大友がロンドンのロイヤル・アルバート・ホールの楽屋裏で直接クラプトンに聞いたところ、ロバートの音楽との出会いから「かなり厳格な意味でのブルース原理主義者」となり、「ロバート・ジョンソンのことを知らない人とは会話もしたくなかったほどだった」。

 ロックやブルースの巨人たちには、幼少期の家庭に恵まれなかった人たちが多い。オールマン兄弟は父親をヒッチハイカーに殺され片親だったし、ジョン・レノンは叔母に育てられた。ジミ・ヘンドリックスは祖母、そしてエリック・クラプトンは祖母とその再婚相手の家庭で少年期を過ごした。
 「実の親と離れて、あるいは実の親の顔を知らずに成長していったという事実は、おそらくその結果として経済的な問題も抱え込むことになっただろうし、彼らの創造する音楽に少なからず影響を与えているはず」と、大友は指摘する。
 クラプトンにとっての神、ロバート・ジョンソンの生育環境はクラプトンとかなり似ている。ロバートにはエピソードがあって、旅に出て戻ってきたらそれまでとは別人のようなギター奏力を身に着けていた。「真夜中の十字路(クロス・ロード)で、ギターの腕前と引き換えに魂を売った」という伝説が生まれた。それはクラプトンがジョン・メイオールのバンドを経て、うそのように腕を上げたことと不思議に符号する、と大友はいう。そして、クラプトンがメジャーの階段を上るステップとなったバンド「クリーム」の名曲「クロス・ロード」は、実なロバート・ジョンソンが作った枯れたブルースでもあった。
  

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