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北朝鮮キーマンの急死と、総連トップの消えない内憂外患

Posted by Ikkey52 on 30.2015 北朝鮮   0 comments   0 trackback
 年も押し迫って、北朝鮮からキーマンの訃報が飛び込んできた。金養健・統一戦線部長の「交通事故死」だ。毎日新聞の北京電によれば、「事故原因や場所などは不明。党中央委員会と最高人民会議常任委員会は国葬を営むと発表し、金第1書記を委員長とする国家葬儀委員会を設置した」というから、少なくとも粛清ではない。

 主に対南工作を行う統一戦線部長がなぜキーマンといえるのか。金正恩は義理の叔父で国防委員会副委員長だった張成沢を粛清するにあたり、密かに信頼できる人物たちを白頭山のある両江道三池淵に集め策略を巡らせたが、金養健はその「三池淵8人組」のひとりだった。韓国当局者の分析では、「対南問題を越えて金正恩の統治活動全般を補佐する役割をしてい」た(中央日報日本語版)。
http://japanese.joins.com/article/129/203129.html?servcode=500§code=500

 金養健の死の知らせに、ひょっとしたら一息ついているかもしれない人物が日本にいる。朝鮮総連議長の許宗萬だ。許は、今年10月に行われた朝鮮労働党創建70周年式典に「平壌指導部からの指示で出席を見合わせる」とし、名代に副議長を団長とする代表団を送った。朝鮮半島ウォッチャー重村智計によれば、訪朝した総連代表団に対し、金養健は叱責口調でこう述べた。「総連議長はどうして訪朝しなかったのか。金正恩第一書記は何度も来るように伝えたのに」。代表団はこの言葉に衝撃を受け、何も言えなかった(「朝鮮半島通信 Vol.96」WiLL2016年2月号)。許のウソがばれた瞬間だ。

 許が祖国訪問を躊躇ったのはこれが初めてではない。昨年5月に日本の対北朝鮮制裁が一部緩和され、訪朝した総連幹部の再入国が許されるようになったのに、ぐずぐずと平壌入りを先延ばしにした。平壌指導部がよだれを垂らしながら待っている総連からの貢物、即ち在日商工人からの献金がいまやほとんど集まらないこともあった。秋になってしぶしぶ8年ぶりの訪朝を果たした許宗萬を待っていたのは、最高指導者の金正恩に一度もお目通りを許されないという大きすぎる屈辱だった。許の訪朝期間がたまたま金正恩の病気療養の時期と重なったためとする解説もあるが、平壌指導部が許に示した不快感のひとつではなかったか。

 北朝鮮本国で総連の指導機関だったのは、朝鮮労働党対外連絡部の後身、内閣225局だ。 昨秋からの関連情報を総合すると、日本人拉致被害者調査に墓参問題を絡めたのもこの組織だという。朝鮮労働党対外連絡部だった時代には日本人、有本恵子さん拉致にも関与したとされる。225局の長だった康寛周は許宗萬と蜜月で、総連を巡る環境の激変にも理解があったようだが、その康も病を得て昨年秋に死亡し、組織は皮肉にも康と折り合いが悪かった金養健の統一戦線部傘下に組み込まれたとみられる。

 重村の情報によると、北では数年前から許宗萬降ろしの流れになっていて、次に訪朝したら最後、病気療養の名目で2度と出国させないシナリオができているらしい。許は平壌の内通者からその情報をつかみ、金正恩の指示として金養健が総連とは別ルートで伝えた11月訪朝指令にもガンとして応じなかったという。
 内には次男のマツタケ不正輸入容疑を突破口とした京都府警や神奈川県警など合同捜査本部の徹底した突き上げがあり、外には目の上のたんこぶだった金養健は死んでも、金正恩の冷ややかな視線がある。正恩の父、正日の忠臣としてのし上がってきた総連の独裁者、許宗萬だが、その憂鬱はどこまでも深い。

”神隠し”の現在…滞る北の拉致再調査

Posted by Ikkey52 on 30.2015 北朝鮮   0 comments   0 trackback
 先行車も後続車も対向車もない漆黒の山道を取材帰りに通りかかった。それも深夜。カーラジオの雑音のなかから、不意に流れてきた朝鮮語の放送に戦慄を覚えたことがある。今や遠い記憶だが、あれは北海道北部オホーツク海側の山間部だった。どうしてそんなところで、北朝鮮発のラジオ放送がキャッチされたのか、メカニズムはよくわからない。それでも、日本に潜入した北朝鮮工作員はたいてい乱数表を持ち、本国から夜間送られてくる暗号化された指令をラジオで聴きとって解読する、といった程度の知識は持っていた。冬場は流氷に覆われるオホーツク海でも、過去に国籍不明の不審船の目撃情報があったとも頭の片隅にはあったはずだ。ともかく背筋に冷たいものが走ったのを覚えている。

 北朝鮮が拉致被害者らの再調査実施を約束した「ストックホルム合意」の発表から1年が経つ。この再調査は、特定失踪者を含む全ての日本人に関する包括的なもので、全面的に実施されるはずだった。日本側は、調査着手を期して、日朝両国の人的往来の規制を一部解除するなど、それなりのカードも切っている。しかし、いまだに第一回報告も届いておらず、いっこうに進展がない。

 そんななか、特定失踪者問題調査会は、北朝鮮の元幹部の証言などに基づき、海を挟んで北朝鮮と向き合う北海道南部の日本海側沿岸で調査を行った。
 「公安関係の資料によると、1950年以降、日本国内で検挙された北朝鮮工作員による事件は50件以上ある。しかし拉致に関わる事件はほとんど検挙されていない」。
 意外に思われるかもしれないが、「北海道は拉致の可能性が排除できない失踪者が81人と全国で最も多い」。(TBS『報道特集』2015年2月)

 28日の函館新聞によると、証言したのは朝鮮総連の韓光熙(ハンガンヒ)元財務副局長。韓の証言で、工作員の活動ポイントとして江差町の「椴川」という名前が出たことから、調査団は町内の椴川橋付近の砂浜を見て回り「潜入するには人目につきにくい場所が選ばれる」など一帯の地形を確認した。また、韓元幹部らの証言にはないが、不審船事案の発生や地域でも行方不明者がいることから、江差かもめ島でも調査した。 

 北海道南部の日本海沿岸は、不審船が隠れやすい物陰にあたる大きな岩が多い。
 原発のある泊村で20歳の女性が不可解な失踪をしていた弁天島。泊村に南境を接する共和町では48年前、城崎瑛子さんが姿を消した。奥尻の島影を望む瀬棚町の海岸線も非常に大きな岩場が目立ち、44年前、19歳の名取志津子さんが失踪している。瀬棚のシンボル“蝋燭岩”(ろうそくいわ)近くでは、黒い船はまるで隠れるかのように停泊していたという。  
さらに名取志津子さんが失踪する半年ほど前には、同じ日本海側、江差町の沖合に現れた黒い船を海上保安庁が撮影していた。瀬棚町と江差町、2つの上陸ポイントの中間にある乙部町では1957年に、上陸した北朝鮮工作員が逮捕される事件も起きている。(TBS『報道特集』2015年2月)
 道路が整備されたいまでも、沿線の交通量が多いとはお世辞にも言えない。早朝夜間はなおのことだ。

 いわゆる拉致被害者は1970年代から80年代に集中しているが、その以前に不可解な失踪事件はいくらでもあり、漁船まるごとの不明事案も含めて北朝鮮の関与が疑われるケースは、思っている以上に多いことに愕然とする。

朝銀破綻と北朝鮮軍装備の近代化

Posted by Ikkey52 on 27.2014 北朝鮮   0 comments   0 trackback
 8人の死者と600人を超す重軽症者を出した1994年の松本サリン事件。無実のK氏が危うく容疑者に仕立て上げられそうになったこの事件は、警察リークに一方的に寄りかかりK氏犯人説を煽ったマスコミの報道被害の恐ろしさを、あらためて世間に知らしめた。ところで、当時、報道で公にされなかったが、警察リークを含めて飛び交った虚実取り混ぜた情報の中に、「K氏が自分の生活圏から遙かに離れた関西のある朝銀信用組合に個人口座を持っている」というものが確かにあった。真犯人がオウム真理教関係者と判明したとき、一度忘れかけていたこの情報が再び思い出された。オウム真理教が北朝鮮との関係を取りざたされていたからだ。K氏の潔白は120%証明されているが、あの情報はいったい何だったか、と考えることがある。

 朝鮮総連中央本部の建物が競売にかけられた件は、謎のモンゴル企業が浮上し、そして消えてゆくなど、定期的にニュースを提供するものの、未だに司法の場で決着がついていないのはご存じの通り。そもそも、朝鮮総連中央本部の差し押さえは、組織の財布となってきた朝銀信用組合の金庫が各地で空になっていったことが原因であり、その端緒はバブル期に遡る。『戦後日本の闇を動かした「在日人脈」』から専門ライターである野村旗守の見方を紹介する。

 1980年代半ば、朝鮮総連の財政担当副議長でありながら事実上トップとしての権限を持っていた許宗萬は在日同胞から収奪した金を本国に送って金正日の歓心を買おうとたくらみ、民族共有の資産である総連や学校、直営事業体の土地建物を担保に組織員の正式合意を経ず金融機関から金を借りまくった。むろん最も貸し込んだのは、いや、貸し込まされたのは、総連の「金庫」であった全国の朝銀信用組合だった。総連の借金の総額は2000億円から3000億円に膨らんでいた。そのうち1000億円は北朝鮮本国にわたり、慈江道など山岳地帯の地下ミサイル製造工場など大型軍事プラントに使われたのではないかと野村は推測する。当時の北朝鮮の軍事装備は朝鮮戦争時代に旧ソ連から供与された旧式戦車や戦闘機があるだけ。赤化統一など夢のまた夢だった。北朝鮮が1980年代以来今日まで国家的貧窮から一度たりとも脱し得なかったにもかかわらず、今日、ゲームのように何度も日本海にミサイルを飛ばして政治的メッセージ替わりにできるナゾがこれで解ける。

 野村によれば、朝銀信用組合の金庫にあったのは、最盛期の1990年代、2兆円規模。全国38の自治体に朝銀信用組合があり、178の支店網を持っていた。大口預金者である組合員数は21万人。堅実経営ならばびくともしなかったはずだが、総連のいうがままに金を貸し付けてきたツケが回ってきたのはそれから。2001年までに16の朝銀信用組合が破綻した。

 ここで考えてみたい。これら破綻した朝銀の不良債権は整理回収機構が買い取った。つまりは私たちの税金が公的資金という名でつぎ込まれたわけだ。公的資金投入にあたって、確かに理事長を日本人にすることや、朝鮮総連と手を切ることが条件となり、朝銀側もこれを受け入れたのだが、私たちの血税が結果として、北朝鮮の軍装備近代化に使われたということもできる。何とも理不尽きわまりない。
 一方、許宗萬という権力亡者は、在日同胞に対してなんら責任をとることなく、今も総連議長の地位にしがみついている。もちろん在日の人々は血の涙を流しているはずだが、親族を人質として本国に取られている人も多く、はっきりとモノが言えない。どこまでいっても悲劇的だと思う。

張成沢処刑は、第二の「深化組事件」への号砲か

Posted by Ikkey52 on 14.2013 北朝鮮   0 comments   0 trackback
 独裁的な権力は、能力ある個人、血統のいい個人、カリスマ性ある個人から生まれるのではない。勝ち馬に乗りたいだけの茶坊主や、野心を秘めた面従腹背の輩たちが入り乱れ、忠義面(づら)の下に己の打算を隠し蝟集してくることで、はじめて成立する。実に脆いものだ。それを知ったときから独裁者の疑心暗鬼ははじまる…。

 金日成死去後の権力交代期に北朝鮮では、金正日主導で「深化組事件」と呼ばれる血の粛清が行われた。目的は父の権力を支えた旧勢力を排除して、自らの権力基盤を強化すること。政府高官を含む2万5千人が失脚させられたといわれる。北朝鮮の実質ナンバー2と目され、金正恩第一書記の後見人とまでいわれた義理の叔父、張成沢・元国防委員会副委員長の唐突な失脚、処刑の報を聞き、思い浮かべたのはこの深化組のことだった。

 金正日の深化組は、警察や公安組織をつかさどる社会安全部(現人民保安部)が担った。深化組とは「住民の経歴、思想調査を深く行う組織」という意味で、社会安全部員から8千人が駆り出され、全国に数百の深化組支部を展開した。行動名目は「朝鮮戦争以来、国内深く潜り込んだスパイを摘発すること」。もちろん、中身は純然たる権力闘争だが、個人的恨みや嫉妬の発露にもなっていた。些細な理由で狙われた者には、残酷な拷問が加えられ、失脚者たちの4割は死ぬか自殺するかした。別の説では、2万5千人中、1万人が拷問・処刑死し、残りは収容所送りになったという。

 深化組の恐怖支配によって、民心をねじ伏せた金正日は、権力基盤強化の最終目的を達したと見るやいなや、こんどは舵を逆に切って事態の鎮静化に乗り出す。神格化にむけて必要な過程と捉えたのだろう。具体的には、「深化組には行き過ぎがあったため、あらためて裁く」として、血の粛清に関与した社会安全部員約6千人を粛清した。加えて、社会安全部の名称まで人民保安部(省)に変えさせた。究極のマキャベリズムと言わずに何と言おう。

 複数の報道を総合すると、金正日から深化組の総指揮を任されていた人物こそ、今回、唐突な粛清の対象となった張成沢だった。張成沢は、日常的に義兄の金正日と酒席を共にする側近中の側近でありながら、2003年秋ごろからしばらく、中央から遠ざけられている。粛清の行き過ぎと関連している可能性もあるが、06年に奇跡的に復活を果たした。20年以上に渡って、あちこちに「地雷原」が埋まる戦場のような北朝鮮の権力中枢にあって、権謀術数の限りを尽くして自らの地位を守り、失脚さえ乗り越えて慎重に序列を高めてきた。外国のウォッチャーから「冷血な忠臣」と呼ばれ、ダーティな仕事さえ厭わなかった老獪な党官僚である。金正恩もまた権力基盤を固めるにあたって、新しい深化組を準備するだろう、と読むことはさして難しくないし、その対応も当然考えていたはずだ。なぜやすやすと消されたのか。そこが解せない。

 世界の動きに竿差して存在し続ける北朝鮮という異様な国家の実像が知りたいと、もう長いこと資料と向き合い、関連情報に耳をそばだて、現地取材も試みた。朝鮮労働党や軍内部の権力闘争は建国以来のもので、失脚や粛清の情報が流れても驚かないが、著名な高官の失脚と処刑がこれほどあからさまな形で公式メディアを通して伝えられたのは、過去に記憶がない。いずれにしろ、未曽有の事態が起きているのは確かだ。



途絶えた航跡…万景峰92号のこもごも

Posted by Ikkey52 on 25.2013 北朝鮮   0 comments   0 trackback
 国交のない日本と北朝鮮を結ぶ海の動脈だった貨客船、万景峰92号が、対北全船舶入港禁止のあおりで日本の港から姿を消してから、この秋ですでに7年が経つ。「92」というのは浸水年を示し、1992年に金日成主席80才を祝って在日の経済人士らの寄付で建造されたとされる。この万景峰92号に乗船できたのは貴重な体験だった。
 定員350人とされている船は、5-6階建てのビルに相当するほどの高さがあった。喫水線近くの倉庫部分はかなり広いスペースがあり、船に詳しくない自分はそれだけでも驚いたが、船の全長を考えれば、目にできた倉庫部分も一部に過ぎず、奥にはさらに船室がありそうだ。迷い込んだふりをして奥に進みかけたところ、乗組員に見咎められ追い返されたが、万景峰92号が北朝鮮工作員の「動くアジト」としての機能を持ち、輸出規制品の密輸や多額資金の受け渡し現場に使われてきたことについては多くの証言がある。
 食堂、客室などは一般的なつくりに見えたが、船内設備のかなりの部分は日本製と見られる。実際、トイレのパイプや、救命ボートをつるすロープなどに、日本のメーカーの名があるのを確認した。

 万景峰92号は未明のうちに目的地である元山の港外に達して投錨し、夜明けを待つ。デッキに上がってみると、親戚訪問とみられる年配者が何人も陸を見つめていて、なかには涙を流している人もいた。心中を察した。日本人拉致はもちろん大罪だが、帰国事業という名で在日家族を半強制的に離散させたやり方も卑劣極まりない。ふと気づくと、元山の方向には林立する高層ビル群が見え、しかも不夜城のように明かりをともしているではないか。我が目を疑った。そのわずか数年前、北朝鮮全土を覆った深刻な食糧難のため、日本海側の拠点都市である元山でさえ、市内のあちこちに行き倒れた餓死者の遺体が放置されていた、との情報を持っていたからだ。

 入国審査は、厳めしい建物の中ではなく、船が接岸した埠頭の露天で行われた。取得していったビザは、パスポートにホチキス留めされた小さな紙片だった。「北」を出る際に紙片ごと取り上げられてしまうので、パスポートには日本国の出入国スタンプが増えるだけで、日本と国交のない国に滞在した痕跡は直接残らない。埠頭は閑散としており、94年に同船の客が目撃したという出迎えの親族や乞食の子どもの姿はなかった。

 巨大な金日成銅像が建つ元山の埠頭広場を散策する時間は与えられず、バスに乗せられた。ピョンヤンまでの高速道路が不通になったアクシデントのせいで、バスは田舎道を辿るのだが、元山の街を出る峠近くで、例の高層ビル群を真横から観察できるポイントに遭遇してしまった。これは「北」側が悔やんでも悔やみきれない計算違いだったはずだ。なぜなら、高層ビルに見えたのは、実は単なるコンクリートの壁で、その壁にいくつも穿たれた窓大の穴の一つひとつに裸電球がぶら下がっているだけ、という事実がバレてしまったからだ。とっさに、「張子の虎」という言葉が浮かんだが、いわゆる案内員と呼ばれる監視者たちに恥をかかせても仕方がない。ただ吹き出しそうになるのを我慢するだけだった。

 あとさきになったが、万景峰92号の食事は、美味とはいえないにしても、飽きが来ないように工夫された心づくしのもので、接客スタッフたちも懸命にサービスに努めていた。外国行き貨客船の乗組員に選ばれること自体、エリートの証しだろう。船内で乗客は歌唱指導を受けさせられたが、熱心に励んだお蔭で、いまだに北朝鮮の国民歌謡の何曲かが耳に蘇ることがある。

  

プロフィール

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Author:Ikkey52
ジャーナリスト 札幌生まれ
父方は、奈良十津川郷系+仙台伊達藩亘理系。母方は東三河豊橋系+肥前鍋島藩系+加賀藩系

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