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命を賭して世に問う歴史実証主義…『反日種族主義』

Posted by Ikkey52 on 03.2020 書評・アジア情勢   0 comments   0 trackback
 書物を読んで、著者の勇気に感じ入った経験はないでもない。しかし、『反日種族主義』を著した李栄薫ソウル大名誉教授ら6人の学者の勇敢さは格別だ。あの国で、この時代で、よくぞと思った。中身は特定のイデオロギーに立脚して持論をがなり立てるようなものではない。アカデミズムが求める本来の真摯さに溢れている。歴史実証主義がベースだ。思わず居住まいを正して精読した。

 上梓後、著者たちは脅迫されたり、唾を吐きかけられたりしたようだ。殺されないだけましだという声さえある。当然、予想できたことだが、まさかあの国でベストセラーになるとは分担執筆した誰も考えていなかったという。事大主義、拝金主義、汚職政治家、情実社会、超ポピュリズム政治…、まあいろいろあるのだけれど、安易な嫌韓論に足をすくわれてはいけない。『反日種族主義』を買って読もうという国民がそんなにもいる国は、けして捨てたもんじゃない。

 日韓関係が決定的にこじれてから、韓国の反日の根源を知りたくて呉善花の『韓国を蝕む儒教の怨念――反日は永久に終わらない』を読み、大いに納得するものがあった。呉は、諸悪の根源を中国伝来の儒教の教条主義的受容に見ていた。一方、『反日種族主義』を著した李らは、死者が生者を永遠に縛り続ける土着のシャーマニズムに求めている。

 どちらが正しく、どちらが間違っているというものではないが、民族意識の醸成、国家の成立を語るうえで、フィクションを必要とするとの認識では一致している。つまり建国イデオロギーが嘘まみれであったので、自国至上主義、自民族「絶対善」の思考に陥るしかないのだ。天動説が支配する国では、ガリレオの言い分ははどこまでも異端であり、日本人が地動説で韓国に向き合っても、埒が明かないわけだ。

 徴用工、慰安婦、竹島(韓国名:独島)…、どの論点をとっても、韓国の政府、裁判所、教育行政当局の側に、『反日種族主義』からの批判に耐え得る論理があるとは到底思えない。ただ一点、『反日種族主義』の中身に違和感をもったのは李承晩の政治家としての評価だ。大統領として、日本漁船をやみくもに拿捕した李ラインの線引きや、竹島の一方的実効支配を言っているのではない。

 自分のこれまでの理解では、李承晩が独立後の南のトップに上り詰めることができたのは、連合国に対する日本の敗戦とその後の南北別の分断軍政という特殊な情況が生んだ幸運であり、彼の政治力に対する国際社会からの評価は亡命政府代表を僭称していたころから最後まで高いものではなかった。今日の韓国でも李承晩は毀誉褒貶の対象だろう。『反日種族主義』の発刊を企画したのが、そんな李承晩の名を冠した李承晩学堂(研究機関)であり、執筆者の李教授らがそこに拠っているという構図が、どうしてもわからなかった。
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国際陰謀小説の巨匠フォーサイスのツキまくり人生…『アウトサイダー』

Posted by Ikkey52 on 11.2019 書評・アジア情勢   0 comments   0 trackback
 国際謀略小説の巨匠でありながら、来歴がいまひとつわかりにくかったフォーサイスの伝記が出版されたので飛びついた。題して『アウトサイダー~陰謀の中の人生』というのだが、サブタイトルは良いにしても、果たしてこの成功者はアウトサイダーなのか。訳にあたった黒原敏行が指摘するように、むしろインサイダーと呼んだほうがふさわしい、そんな気が読後もしている。

 この伝記に出会うまで疑問だったのは、大学教育を受けた気配がないのに、なぜロイターやBBCといった名の知れたマスメディアに採用されたのか。しかも若く社歴が浅いにもかかわらず、希望者が行列する海外特派員にどうして抜擢されたのか、ということだった。

 結論を急げば、前者については、中流階級の出でありながら、支配階層の子弟が多いパブリック・スクール(ご存知の通り、英国では公立ではなく私立学校を指す)に学び、名門とされるオックスフォードやケンブリッジの大学進学資格をわずか15才で取得したが、既定ルートに乗るのを潔しとせず、小さなころの夢を叶えるため空軍を志し、19才でジェット機パイロットの資格を得、二等兵から一気に士官に昇任するという、かなり変わった経歴が、一般大卒者と伍して行くのに少しも不利ではなかったこと。
後者については、親の勧めもあり少年時代に経験したドイツ、フランスでのホームステイ体験が両国の言葉を身につけさせ、空軍時代の少し荒っぽい冒険海外旅行が危険といわれる地域に飛び込む度胸をつけさせたことだ。

 それにしても海外特派員の出発点が、ド・ゴール時代の物騒なパリであり、そのあとが鉄のカーテンの向こうにあったロイター通信社東ベルリン支局の一人勤務だったのは、のちにスパイ小説家となる者にとって、どれほどの僥倖だったか。特に東独体験だ。なにしろ、ル・カレの名作『寒い国から帰ってきたスパイ』の舞台としてあまりに名高い東西ベルリン間の検問所「チェックポイント・チャーリー」を日常的に行き来するのだから。

 ロイターから転じたBBCへの反発が強いのは、ビアフラ内戦に特派された際、自分の発したレポートが無視され、調べてみると、BBC本社はイギリス政府方針に逆らえないことが判ったからだ。フォーサイス青年は職を辞してフリーランスの記者となり、あらためてビアフラに入り直す。「ジャーナリストの使命はエスタブリッシュメント(権威や権力)に釈明させること」という彼の説明はシンプルで分かりやすい。ちなみに記憶の片隅にとどまっていたビアフラ内戦の構造が、今更ではあるが理解できた。

 海外特派員になるより、世界的ベストセラー作家になるほうがはるかに難しいのは、誰しも判るが、ここでもフォーサイスは強運を引き込む。尾羽打ち枯らした状態で書き上げた『ジャッカルの日』の梗概を、パーティで一度遭ったきりの著名出版社幹部に強引に読ませる。その幹部氏が面白がり、それだけでなく別に二作分のアイディアはあるか、と問われ、わずかな日数で構想をまとめた。それが『オデッサ・ファイル』であり、『戦争の犬たち』だったというから、フォーサイスという人はどこまでツキに恵まれていたのだろう。

キング・オブ・シルクのホットな過去…『自由に生きていいんだよ』

Posted by Ikkey52 on 07.2017 書評・アジア情勢   0 comments   0 trackback
 いっときのファッションでなく、また、何かからの逃避でもなく、アグレッシブに人生を追求した結果、スローライフに帰着し、実践している人は眩しい。自分など、爛熟した資本主義社会にどっぷり浸かり、あくせく人生を送ってきた俗物だが、そんな人間であっても、本物のスローライフを生きる人の息吹に触れると、清々しい感覚を覚える。

 森本喜久男は本物だ。カンボジアの果てに手作業だけによるシルク工房をつくった。「工房」といっても、人口70人の村だ。うち子供が約30人いて学校もある。東京ドーム5個分の広さの敷地には、蚕を育む桑の森がある。戦乱続きでほぼ死滅しかけていたカンボジア・シルクの伝統を森本はここで蘇らせた。内外から村を視察にくる見学者が途切れない。2016年には2000人を超えた。ラルフ・ローレンや稲盛和夫も来た。

 こう書くと、何やらエコロジーに理解ある日本の国際派実業家が、ポケットマネーでつくったカンボジア復興事業の文化版実験室のように思えるかもしれない。しかし、村は紛れもなく、カンボジアの農民たちが牛10頭とニワトリ100羽を飼う暮らしの場だ。各国の観光地によくある歴史文化村の類いとは違う。いまや、染め物の手を動かしながら、おしゃべりに興じる母親たちのまわりで、子供たちが跳ね回り、男衆は夕餉の魚を求めて川に舟を浮かべる。老人も新参者もみな役割を楽しむ。驚くべきことに、村の基礎は森本が一人で荒れ野に鍬を下ろして築いた。森本とは何者か。

 来年古希を迎える森本は、弟子を何人も抱える京友禅の親方だった。「あくせく村」の住民からすれば、成功者に違いない。しかし、森本はその立ち位置に飽き足らなかった。大御所になって、伝統工芸士に任じられて…、それでいいのかと迷いに迷った。バンコクのスラムで奉仕する女性社会活動家との偶然の出会いからタイに渡り、シルク販売で成功しかけたが、それにも飽き足らない。

 中学のころ理不尽な2度の鑑別所送りを経験した。定時制高校時代にも間尺に合わない退学処分に遭った。新卒社員として旧電電公社に採用されたが、政治の季節に遭遇し、日韓、横須賀米原潜反対、三里塚、東大といった各闘争を労働者反戦の活動家として戦い、ついには自主退社を強制されもした。その間、食うために土方、左官屋、電気工、沖仲仕など、なんでもやった。若い日の労働体験から森本は、いつのまにか、流転することを恐れなくなり、同時に、ちんまりと収まりかえる人生を自分には似合わないものだと、思いなすようになった。言葉を換えると、全く守りに汲々としていない。

 インタビュー構成、『自由に生きていいんだよ』(聞き手・高世仁)で森本は、夕方からの5時間しか電気が通じない自分たちの住処を、「貧しい村」と呼ぶ一方で、「貧しい村はちっとも貧しくない」という。シルクづくりに関わる村人には給料が出るが、金がなくても食べて行けるので、給料を取りに来ない人もいる。フランスの思想家プルードンは「財産は盗みだ」と断じたが、森本は「所有に意味はない」と語る。現代の豊かさはカネとほぼ同義に響きがちだが、財産、所有という概念は、原初の人間社会にはなかったはずだ。それにしても「社会主義」とか「宗教」とか、特定イデオロギーを微塵も媒介しないで、能力に応じて働き、必要に応じて取るコミュニティを実現させているのは驚異だ。村を率いる森本は、コンビニと100円ショップが溢れる社会に批判的だが、「インターネットは素晴らしい」とも述べ、図書を漁り、世界情勢にも目を配る。文明を拒否するだけの田園の仙人でないところが味噌か。

カンボジア悲劇の真相

Posted by Ikkey52 on 08.2011 書評・アジア情勢   0 comments   0 trackback
 念願のアンコール・ワット観光を楽しんできた知人に土産話を聞かされたが、どうにも違和感が残って、馬渕直城の「わたしが見たポルポト」を再読した。06年の発売直後の購入だが、今回は読後の印象がずいぶん違った。たぶん、3・11を体験したせいがある。ウソは巨大なほどバレにくいことを知った私たちは、かつてなく疑い深くなった。

 著者は、東南アジアをカバーエリアとする日本人ジャーナリストの大ベテランで、特にカンボジア情勢に詳しく、多くの後輩たちから尊敬を集める存在。私もかつてUNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)の平和維持活動時、現地取材に入ったおりにお世話になった。

 馬渕さんには絶対的少数派としての顔がある。「ポルポトによる自国民の大量虐殺は虚報である」と一貫して主張し、少しもぶれないのだ。なにしろ、ポルポト派=クメール・ルージュが、アメリカに追随したロンノル政権を倒し、首都プノンペンに進駐した日、馬渕さんはすでに戦場専門のカメラマンで、新婚の現地人妻を持つプノンペン市民でもあった。世界中のジャーナリストが夢見て果たせなかったポルポト本人への取材を生涯2度行い、荼毘に付されるところにも立ち会った。ベトナムの傀儡だったヘン・サムリン政権時代には、反攻するクメール・ルージュの戦闘部隊に2か月半同行し、解放区入りも果たした。カンボジア・ウォッチャーとして、これはもう筋金が入っている。
 忘れられない光景がある。1992年の秋、カンボジアの首都プノンペンでのこと。私たちジャーナリストと立ち話を終えた明石康UNTAC特別代表(国連事務局次長)が、アロハシャツに半ズボンといういでたちの馬渕さんを見つけて、ポルポト派は今、何を考えているのか教えてほしい、と率直に頼んでいた。カンボジア4派のなかで、ポルポト派は唯一UNTACを強くけん制しており、その存在は不気味だった。「ポルポトのメッセンジャー」と、明らかにとげのある呼ばれ方をしても、馬渕さんはいっこうに意に介さなかった。

 大虐殺があったか、なかったか。カンボジアでの取材で、私が知り合った人たちのほとんどが、長い内戦中で肉親を失っていた。身寄りは誰もいない人もざらだった。そこにはプロパガンダも強いられた演技もなかった。言葉を失った。ただし、自分の肉親が強制移住先でポルポト派の少年兵に殺された人たちばかりだった、と言い切る自信はない。
 いま、ネット上での馬渕本の書評は概ね定まっている。「一方的な視点」、「客観的な裏付けがない」、「カンボジア人への思い入れが強すぎる」等々。しかし、馬渕さんの立場は、虐殺否定論というほどの極論ではない。貧農中心の社会主義建設の誤りは、ポルポト自身も、ポルポト派幹部も、馬渕さんのインタビューに対して認めているからだ。
 カンボジアの戦後史は、馬渕さんが再三指摘するように、隣接するベトナムとの確執ぬきには語れない。現に今のカンボジア政権は、ベトナムに亡命体験を持ち、ベトナムの後押しを受けるフン・センに握られている。ベトナム戦争で、ベトナムがカンボジアを便利な楯として使ったために、カンボジアがアメリカ軍から破滅的爆撃を受けた過去を知る人は多くない。また、かつてはカンボジアに露骨な傀儡政権を立てて、隣国を制圧したベトナムの拡張主義を、大方の日本人は忘れている。
 インドシナ情勢のなかで、ベトナムは圧倒的な軍事強国なのに、日本人は1960年代の反戦運動高揚以来、ベトナムを判官びいきで見てきた。そんな子供っぽい思考を、馬淵さんは本の中の挑戦的言辞で、あえてあてこすっているような気がする。
 純粋に内戦の犠牲といっていいカンボジア国民の死者はどれくらいいたのか、それとは別にポルポト派による狂気の貧農革命で国民浄化の対象となった死者はどれくらいのオーダーにのぼるのか、そして、反ポルポトで利害が一致したアメリカとベトナムが、カンボジアのイメージを貶めるために垂れ流したウソの数字に、私たちは本当に絡めとられてきたのかどうか。馬淵さんの体験的カンボジア論がピュアであるだけに、答は簡単に出てこない。


  

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Author:Ikkey52
ジャーナリスト 札幌生まれ
父方は、奈良十津川郷系+仙台伊達藩亘理系。母方は東三河豊橋系+肥前鍋島藩系+加賀藩系

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