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袴田事件…問い直される証拠裁判主義

Posted by Ikkey52 on 29.2014 冤罪   0 comments   0 trackback
 袴田事件再審開始決定のニュースが全国を駆け巡った27日、東京拘置所を出る袴田巌の老いた鈍牛のような姿を映像でまぢかに見ながら、テレビの前でさまざまな思いにとらわれた人は多かったはずだ。薄っぺらな感傷や同情などひとたまりもなくはね返してしまうような、ひどく重々しい現実がそこには映り込んでいた。半世紀近く、死刑執行の呼び出しにおののき続けるという状況は、それ自体何よりも残酷な拷問であり、精神回路がまともに機能していれば、到底耐えうるものではない。だから、自己防衛として、そうした立場に立たされた者は例外なく、心を内向きに固く閉ざす。健常者から見ればそれは、精神的な疾患と呼ぶべき状態なのだ。

 再審請求は過去も現在もあちこちで行われているが、袴田事件ほど早くから広範に冤罪の疑いが指摘されてきたケースもなかったのではないか。第一審の死刑判決を合議で書いた裁判官が、それを悔やんで退官し、袴田支援に回るという異例の展開もあった。そうであったからか、第一次再審請求が退けられてしまうと、この再審の扉はもう開くことはなかろうと、自分は正直いって悲観的な気持ちになっていた。

 そもそも再審請求は三審制を取るこの国の裁判秩序の番外編であり、原審判断を覆すだけの「重大な反証」が出てこない限り、門は微動だにしない。しかも証拠という証拠は検察に押さえられたままであり、弁護団が「証拠を調べ直したいので出してほしい」と要請したところで、おいそれと出てくるものではない。弁護団が検察の知らない新証拠を独自に探し出して再審請求審の法廷で意表を突くような、ドラマもどきの展開はほぼありえない。2008年に始まった第二次再審請求で、重要な証拠の一部が開示されたのは、足利事件や布川事件の再審無罪が確定したあとの2013年であり、司法に批判的な世論の動向を気にしての軟化だった。今回、法廷が再審を認めた一番の決め手は最新のDNA鑑定だったのだが、検察の証拠開示が誠実であったなら、棄却に終わった第一次請求審の展開は大きく変わっていたかもしれない。

 刑事訴訟法317条は、「事実の認定は証拠による」と、証拠裁判主義を定める。例え真犯人であっても、証拠がなければ罪には問えない。それによって真犯人が逃げおおせようと、やむを得ないと法律は考える。恣意による裁きで、冤罪を生むよりましなのである。権力が証拠を捏造するなどということは、だからこそ大罪なのだ。袴田事件では証拠捏造の疑いが消えない。

 「自分は犯人ではないが、動機もあり、計画もし、犯行も支持する」。被告が滔々とそう言い続けた北海道庁爆破事件。人々の心証という意味では、袴田事件とは比べものにならないほど悪かったこの公安事件で、刑が確定している大森勝久死刑囚が、有罪とされた決め手らしい決め手は、事件当時普及品であった折り畳み式トラベルウォッチの小さなネジ一個だけだった。取材の渦中で「果たしてどの家にも一個はあるような時計のネジが有力な証拠になるのか」と何度も自問したのを覚えている。検察もその弱みを知っていて、あえて「状況証拠を積み重ねて」有罪を立証しようとし、確定判決はそれをまるのみした。証拠裁判主義とは何かを巡って、多くの法律家の間で論議が起きたのは当然だった。それに対して、物証の極めて多い袴田事件では、丁寧に証拠を読めばウソは容易に見破れたはずだ。ともあれ、再審開始決定にたどり着いた袴田事件。検察の抗告、再審裁判の行方は予断を許さないが、なぜもっと早く…という恨みは今後もずっとついて回るだろう。

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東電OL殺人裁判のでたらめ

Posted by Ikkey52 on 22.2011 冤罪   0 comments   0 trackback
 何十年も新聞中毒として過ごしてきた者にとって、朝刊一面の大スクープは、目覚まし効果抜群だ。福島第一原発事故に絡むマスメディアの大本営発表的報道に、日々うんざりしているうちに、そんな爽快さをすっかり忘れるところだった。7月21日の読売新聞朝刊には、「東電OL殺害 再審可能性」「遺留物から別人DNA」との見出しが躍った。こっちの心はもっと躍った。やはり、そうだったのか。夕刊以降で新聞、テレビは一斉に後追い。おりしも3・11以来、東電という固有名詞が日々のニュースの主役になっているさなかであり、その意味でも実に綺麗な抜きだった。

 東京電力の管理職である当時39歳の渡邊泰子が、渋谷区のアパートで遺体で見つかり、隣のビルに住んでいたネパール人の飲食店員が強盗殺人容疑で逮捕された。いまから14年前の事件だ。被害者が「東電エリート幹部社員」という昼の顔と、円山町界隈の「立ちん坊娼婦」という夜の顔の二つを使い分けていたため、マスコミの取材の方向性は警察捜査の本線もさることながら、単純な興味本位も手伝って被害者のプライバシーに集中した。のちに、そうしたメディアの取材の在り方が批判された。メディアの自戒に便乗する形で、公的機関を中心に個人情報秘匿の流れが強まり、実名報道主義の危機が叫ばれるなど、波紋も広げた。

 読売のスクープは、「東京高検が被害者の体内に残された精液をDNA鑑定したところ、ゴビンダ受刑者のものと一致しなかった」というもの。無期懲役の判決が確定していたゴビンダ受刑者が獄中から再審を請求していた。そもそも、ゴビンダ受刑者は、一貫して無実を訴え、一審では立証が不十分だとして無罪判決が出されている。高裁判断は逆転有罪となったが、決定的物証はなく、いわゆる状況証拠の積み重ねによる脆弱な論理構成で事実認定が行われていた。
 刑事訴訟法では、無罪判決(ゴビンダ受刑者の場合は一審)を受ければ、検察の勾留状は効力を失うと定められている。ただ、別件容疑の難民認定法違反(不法残留)で猶予刑が確定済みであったので、身柄はいったん入管施設に収容された。つまり国外退去の行政手続きに入ったことになる。それを追うように、検察側は本件で控訴、あわせて裁判所に対し職権による身柄の勾留を求めた。東京地裁と東京高裁特別五部はいずれも検察の請求を認めなかったが、結局、都合3度目の請求先である東京高裁刑事四部が認めたため、行政手続きの途上にあったゴビンダ受刑者の身柄は、入管施設から拘置所に移される形で刑事手続きのもとに戻された。難民認定法違反事件が挟まったとはいえ、無罪判決を受けた者の再勾留は、重大な人権侵害だと、批判の声が上がった。日本弁護士連合会も再審請求支援事件に指定している所以だ。ノンフィクション作家の佐野眞一も、一審無罪判決の言い渡しを受けたのに、異例の再勾留によって国外退去の行政手続きが機能しなかった点を強く批判している。

 佐野はベストセラーになった「東電OL殺人事件」を上梓するにあたって、東電本社にもしつこく取材をかけた。その過程で、被害者の所属していた部署の社員はみな、彼女の夜の顔を知っており、にもかかわらず、誰一人彼女に意見するわけでもなく、ただ見下して嘲笑していた事実を掴んだ。佐野は「これは明らかにある種のハラスメントであり、東電という会社にはもともとそういった陰湿な体質があった」と、新作の「津波と原発」を書き上げたあとになって、あらためて振り返っている。
  

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ジャーナリスト 札幌生まれ
父方は、奈良十津川郷系+仙台伊達藩亘理系。母方は東三河豊橋系+肥前鍋島藩系+加賀藩系

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