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女流作家が描く、貧しく、切なく、したたかな色町の戦後…芝木好子『洲崎パラダイス』

Posted by Ikkey52 on 21.2019 文芸批評   0 comments   0 trackback
 戦前の遊郭、戦後の赤線、青線といえば、永井荷風や吉行淳之介をはじめ、人間の本性に小説という形式で肉薄しようと試みる多くの男性文士たちに、格好のテーマを提供してきた。ところが、東京・深川の特飲街を舞台にした短編集『洲崎パラダイス』をものしたのは、文士は文士でも女流の芝木好子だ。

 戦前は吉原に次ぐ大遊郭があった洲崎。戦災に遭って女を抱える店は半減したが、築地、上野、浅草にも近く、木場が入り込んだ場所は男たちを吸引するのに悪い立地ではない。女たちが法外な前借に縛られ、自由を奪われていた戦前の遊郭制度は、戦後GHQの指令で廃止された。娼婦は原則として娼館の間借人になったが、食い詰めた若い女の堕ちて行く先であることに変わりはない。その特飲街は埋め立てた干潟の一角にあって、周囲を川と掘割に囲まれている。つまり堅気の街と娼婦の街は橋によって画然と隔てられていた。そのふたつの結界ともいうべき位置に小さな店を張る一杯飲み屋「千草」が6篇の共通する舞台だ。

 様々な女が出てくる。
 一度は身を落とした色町の引力に時折搦めとられそうになりながら、甲斐性無しの亭主への執着が勝って、再び結界から遠ざかっていく女。
 不幸な結婚で人生を狂わされながら、消息を絶った亭主の追跡にいつまでも没頭する姉と、結界で出会った男とのつましい暮らしをそんな姉に乱されまいと苛立つ妹。
 娼婦五年、堅気の妻二年で、蓄財したものを元手に特飲街の店を買い取ろうと意気込む立志伝中の女。
 田舎出で何も知らないまま「千草」に女中に入り、いつしか橋向こうの世界に憧れるが、勝気な娼婦の逆恨みを買い、大人への階段をまた一歩上がる少女。
 年齢から来る容色の衰えで付く客もめったにないのに、橋の内側から出ることもできず、空襲の中を幼い息子と逃げまどったトラウマに悩まされ続ける年増の娼婦……。

 男性作家が描く娼婦の街の物語は、例外なく作家自身の原体験と結びついており、その意味においては少なからず私小説の色合いを湛える。女流のなかにも父親が遊里の女衒だった宮尾登美子のような例外はあるが、芝木自身は、戦前の旧制高等女学校を出たあと、お堅いマルクス経済学者の妻に迎えられた人で、娼婦や娼婦の街との接点がまったくないという。執筆にあたってもちろん取材はしただろうが、それにしても、6編のいずれ劣らぬ凄まじい切れ味はなんだろう。

 自らも夫に出奔された「千草」のおかみがいい味を出している。色町に一夜の夢を買いに来る貧しい男たちと、彼らに媚びを売る女たちを、おかみは見下さないが、結界に流れ着いた女たちには、橋を渡るとダメになると説き続ける。高度成長期の入り口に差し掛かった昭和30年前後、地方から東京に流れ込む人口は激増したが、その多くは洲崎の街同様、戦争の傷跡をまだ引きずっていた。「女流では二人目、戦争中に芥川賞を受けた実力派」という生前の文壇の評価に、あらためて納得させられた。
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ギヤチェンジは成功したか…… 横山秀夫『ノースライト』

Posted by Ikkey52 on 13.2019 文芸批評   0 comments   0 trackback
 横山秀夫の新作、6年ぶりか。で、中身も検めず購入。あれ、待てよ。前半は記者や刑事の影すらない。そうか、これは横山のギヤチェンジ作か。失敗?いやいやどうして、堂に入っている。

 埼玉・所沢の小さな設計事務所に勤務する一級建築士の青瀬稔は、バブル崩壊によって都心にあった華やかな職場を追われ、気づけばインテリアデザイナーの妻とも離婚して、投げやりな心情を抱えている。月一度許されている小学生の娘との面会が生きるよすがで、食っていくために仕事をただこなす日々だ。そんな青瀬が設計し、半年ほど前に施主に引渡した長野県下の家が『平成のすまい二〇〇選』に選ばれた。珍しいことに施主から「あなたの住みたい家をつくってください」と最大級の信頼を口にされ、久々に情熱を注ぎこんだ物件だけに、青瀬も内心、代表作との自負がある。

 気になるのは、その施主、吉野一家からその後まったく連絡がないことだ。代金はすでにもらっていて不都合はないが、竣工まであれほど密に施主に会い、心を通わせたと思っていただけに、違和感は膨れ上がる。逡巡の果てに、思い切って現地入りした青瀬が目にしたのは、ひと気のない、そもそもだれも引っ越してきた気配さえない家だった。

 一家はどうして引っ越さなかったか。何かの計算違い、たとえば家庭内に不祥事でもあったのか。受注時に吉野が住んでいた東京・田端の借家はすでに引き払われている。まさか犯罪にでも巻き込まれたのでは……。青瀬はあれこれ想像をめぐらすが、どれも当を得ているとは思えない。

 もう一つ、青瀬の思念を去らないものがあった。主寝室にポツンと窓に向かって一脚置かれていた年代物の木の椅子だ。それは、他にまったく家財のなかった長野の家で、唯一の例外だ。腰かけたときのなんとも心地よい座り心地。その低い視点から窓に向かうと、立っていた時に見えていた山と雲が消え、青空だけが目に入る。吉野一家の行方と繋がる手掛かりがもしあるとすれば、それはその古い木製の椅子だけなのだと、青瀬は悟る……。

 「半落ち」が直木賞候補となりながら、北方謙三、林真理子ら訳の分からない審査委員に、ほとんど無理筋のイチャモンをつけられて落選した一件を思い出す。あとになって、直木賞選考委員会の言い分は間違いだとわかったが、とっくに別な作家が受賞しており後の祭りだった。横山の愛読者として悔しい思いをした。横山はその悔しさを「64」に込めて我々をうならせたが、「ノースライト」には、「64」ともまた違う感慨があった。主人公のヒリつくような内省は、これはもう誰が読んでも純文学の世界だ。新境地開拓は成功と見た。 

個人と組織の間を揺れ動くサツカンの素顔に肉薄……横山秀夫『深追い』

Posted by Ikkey52 on 01.2019 文芸批評   0 comments   0 trackback
「昔付き合った女の夫が死んだ。出身地の県警に勤めていれば誰もが似たような経験をする。交通違反で呼び止めた相手が昔の遊び仲間だったり、捕えた泥棒の父親が恩師だったり、首吊り死体を下ろしてみたら同僚の従兄妹だったり」。

 こう心の中でつぶやく秋葉健治は、三ッ鐘署の交通課事故係主任で、署に隣接した独身寮に住む32才。職住接近が過ぎて、同僚はみなプライバシーの無さに悩む。
 ある日の夕方、自転車で帰宅途中の会社員が大型トラックにはねられた事故に臨場し、死亡した会社員の手帳に挟まれた家族写真を検めたところ、妻とおぼしき女に見覚えがあった。小中学校時代の同級生で、別の高校に進んだが、いっとき心を通わせた旧姓綾瀬明子に違いない。

 事故現場で拾い、遺族に返しそびれていたカード型のポケベルを届けにきたことにして、死んだ会社員の通夜に出た秋葉は、ワケアリらしい明子と亡夫の関係に気づく。明子が故意に夫を死なせたのではないか、との疑いを深め、刑事でもないのに明子の過去を調べ回るあたりから、秋葉の職業人としての分別は麻痺し、結婚適齢期を迎えて焦りを感じ始めている、ごくありふれた青年の切ない感情に呑み込まれて行く…。

 上記は短編集の表題となっている『深追い』のサワリだが、99パーセント、悲劇で終わりそうな話に、見事というほかない救いの結末が意表を突く形で用意されている。短編は読者にあれこれ想像させて終わればよく、尻切れで一向構わない、という小説論がある。その通りだと思うが、横山秀夫のこの短編集に収録された7作は、余韻が長く残り、尻切れ感が薄い。上質の人間ドラマに仕上がっているということだ。

 横山秀夫作品のテレビドラマ化、映画化は、かならずチェックしているつもりだが、合格点をやれそうなものがあまりない。松本清張ドラマに外れが少ないのとは対照的だ。やはり、最大の魅力になっている内面描写を、ドラマに落とし込むことはかなり難しいのだろうか。

 それにしても三ッ鐘署シリーズ恐るべし。あなたの街の、顔見知りのおまわりさんと、彼らを煩わせる普通の人々が、ぞっとするほどリアルな顔で出てきます。この魅力に尽きるな、横山作品は。

義兄が彼女の人生を邪魔した……石井妙子『原節子の真実』

Posted by Ikkey52 on 01.2019 文芸批評   0 comments   0 trackback
 原節子が伝説の女優と呼ばれる理由は、その鮮やかすぎる引退にある。それまで煌々と輝いていた光源が、突然ブラックアウトしたようなものだ。すでに母役が回ってくる年齢ではあったが、映画会社や監督にとって、節子は相変わらずスターに違いなかった。明確な引退宣言はしていない。結果として1963年の東宝時代劇が最後の出演となった。一番驚いたのはファンだ。引退後は所在さえ明かさず、ぷっつり公の席にも出なくなった。

 家業の没落で学業を続けられなくなり、14才で働きに出たのが映画の世界だった。昭和初期、すでに国民的人気を集めていた俳優は何人もいたが、一方で女優はある種の賤業と受け止められていた。節子自身もそう感じており、同僚や業界関係者とけして群れず、撮影の合間にはひたすら本ばかり読んでいた。映画会社の看板ではあったので、マスメディアに問われるまま、角の立たない答で済ましたことは数知れないが、心の奥で女優という商売を最後まで嫌がっていた。

 結婚したことはない。固い信条に基づくものではなく結果的にだ。映画界に入ってしばらくは、自分が稼がなければ大家族が干上がってしまうという義務感に縛られていた。やがて、結婚を夢見る相手が現れるが、適齢期に戦争が挟まっていてタイミングが合わなかった。相手は別の女性と平凡な家庭を築き、節子は残された。1920年生まれの女性にとっては、ありふれた不幸だったのかもしれない。作者の石井妙子はよくそのあたりを取材しており、やはり独身を通した小津安二郎監督と恋愛関係を一蹴している。

 戦争といえば、節子は戦前、日独友好のシンボルとして両国合作映画の主演に選ばれ、ドイツ政府の招きで現地入りし、親善ムード醸成の人寄せパンダ役を担わされている。これまた節子にとっては痛みを伴う仕事だった。日本が敗戦し、国内社会の価値観が一変すると、ナチス・ドイツのお抱え女優だった経験は、明らかなマイナスイメージになり、節子のその後の女優人生に暗い影を落とした。

節子のドイツ行きに保護者として同行したのが、節子の義兄(姉の夫)で映画監督の熊谷久虎だ。この熊谷こそ節子を映画界に引き入れ、実家を出たあとの節子を弟子として自宅に引き取り、陰のマネージャー、プロデューサーとして、ずっと節子の人生の選択に大きな影響を与え続けた張本人だった。石井作品の白眉は、熊谷という人物の再発見であり、熊谷の独断に満ちた意見に、周囲に流されることのない節子がどうしていつも従順だったのか、その謎から終始目を逸らさなかったところだろう。
 
 お断りするのを忘れたが、当方、必ずしも原節子の良き観客のひとりではない。確かに人並外れた美貌の持ち主だが、代表的な小津作品においても、バタ臭い雰囲気は畳の部屋に似つかわしくないと感じる。黒澤のほうが、節子という素材をうまく料理している。
 この作品は期せずして、石井版日本映画史にもなっている。学ぶところが多々あった。「戦後が終わったとき、原節子の時代も終わった」という締めにしみじみ納得。。

遠藤誉「毛沢東」……人類史上最大の殺人者は「正直」だった

Posted by Ikkey52 on 01.2019 文芸批評   0 comments   0 trackback
過去を振り返ってみると、わが日本人も自国史の恣意的な解釈を何度も許してきた。ほとんどマンガの皇国史観をありがたく戴いていた戦中の恥ずかしい国民体験もある。一方、昭和20年の敗戦以降GHQに押し付けられてきたいわゆる戦後史観の厚化粧が剥がれ、歴史の再構築がはじまったのもそう古いことではない。

 だからといって、歴史的真実はひとつしかないのだから、近隣諸国のあきれた史実歪曲を黙ってみているのは辛い。例えば、大日本帝国と合邦していた南北朝鮮があたかも抗日戦争で勝利し独立を勝ち取ったかのような言説であり、日中戦争で日本が敗北を認めた相手が、共産党独裁下の中華人民共和国だったといった言説だ。各建国記念日を見れば、それらの言説の欺瞞は子供でも分かるのに、なんとも残念だ。

 事象の呼び名ひとつをとっても誤解のタネになりがちだ。「日中戦争」と呼ぶから、日本対中国という単純な構図に見えてしまう。そうではなく、日本の中国侵略の背後には、それ以上に長い中国内戦が隠れており、したがってステージの上には、日本軍(汪兆銘政権)、蒋介石国民党軍、そして毛沢東共産党軍の三者がいた、というのが本書の見立てだ。

 しかも三つ巴の闘いの最中にあった当時の中国共産党は基本的にコミンテルンの傀儡そのものであり、非エリート党員の毛沢東がのし上がるのにはモスクワの影響力も削ぐ必要があった。毛にとっては四つ巴だ。党内闘争を勝ち抜き、最終的に内戦の勝者となるためには、権謀術数の限りを尽くすしか、手がなかったのだが、天才的策略家の彼はそれをやってのける。

 結論からいえば、日中戦争終結まで、毛に率いられた中国共産党は自軍を日本軍との戦いに注ぎ込んでいるように大宣伝しながら、実はアリバイ的にしか関わらず、体力を温存した。国民党内に多数のスパイを放ち、掴んだ情報は日本側に売り渡し、国民党の疲弊を助けた。ついには、日本側に極秘停戦提案さえ持ち掛けている。しかも、画策通り内戦の勝者になると、かつて穢れ仕事をさせた部下をことごとく粛清した。史実の語り部たちの抹殺で、以降、毛の後継者たちは歴史を自由に脚色できるようになった。

 著者の遠藤誉は、旧満州からの引き揚げ経験を持つ女性物理学者。中国語は現地仕込みで、本職は科学者だから一次資料に徹底してこだわる。兵士の立ち振る舞いを通して、国民党軍と八路軍(中共軍)の違いまで知る人だから、歴史の虚偽を見破る分析は深く緻密だ。感情に全く流されていない。

 遠藤によれば、毛が殺した中国人民は少なく見積もっても7000万人。しかもこれは、新中国になってからだけの数字だ。当然、「人類史上最大の殺人者」、「極悪人」と断ずる書物も出るわけだが、遠藤は「それを悪と見るか否かは、書き手側の主観の問題だ」とする。戦後、訪ねて行った日本人に盛んに日本軍への感謝を口にした毛沢東。遠藤はそれを皮肉でなく、正直な吐露と捉える。しかし、不都合な歴史を隠蔽するための神話づくりに中国執行部が今もなお邁進している姿は罪作りだ、ときっぱりと断罪している。

 中国本土で武装解除された日本軍の将兵に、報復心でなく東洋的徳を持って報いた蒋介石の人間力は語り草だが、帝王学と権謀術数があって、人民愛、同朋意識に欠けていた毛沢東が新しい中国皇帝となり、死後も貶められない秘密が語られている。論旨あくまで明快で、目が覚める一冊
  

プロフィール

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Author:Ikkey52
ジャーナリスト 札幌生まれ
父方は、奈良十津川郷系+仙台伊達藩亘理系。母方は東三河豊橋系+肥前鍋島藩系+加賀藩系

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