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先崎彰容『バッシング論』……タイトルと中味の落差に異議あり!

Posted by Ikkey52 on 01.2019 文芸批評   0 comments   0 trackback
 昨今テレビニュースで、企業幹部や役所の責任者らが、居並ぶ報道陣を前に深々と頭を下げ、謝罪している図に出くわさない日はない。カメラの見つめる先には、お白洲がわりの簡易机がならび、そこに雁首を揃えた面々がとつとつと、ときには滔々と、反省の弁を連ねる。

 企業や役所の謝罪と反省は、バッシングの気配を受けて行われる。危機管理の一環だ。大叩きされる懸念もないのに、坊主懺悔する馬鹿はいない。やがて質疑応答の時間になり、記者の質問が飛ぶのだが、中身は質問というより糾弾だ。おいおい、いつからマスコミは検察官になった?。……こんな日本に誰がした。

 ところで、バッシングとはいったい何だろう。どんなメカニズムで発生するのか。そんな疑問を抱いているところに、先崎彰容の『バッシング論』と出会った。タイトルに魅かれて飛びついたが、率直にいえば、想像していた中味と余りにも違い過ぎた。

 明治以来の代表的知識人の発言を通して、先崎が考察の対象にしているのは、不寛容な現代日本の空気であって、バッシングという事象の解明でもなんでもない。共同体としての価値基準の喪失が問題だと、先崎は考えた。それを先崎はオリジナルな言葉として「辞書的基底が失われた状態」と呼ぶのだが、ある事象を別の言い方に呼び換えたところで何だというのだ。

 語られる範囲はめっぽう広い。財務官僚トップのテレ朝女性記者へのセクハラに始まって、国立大学法人の組織見直し、三島由紀夫と橋川文三の間で交わされた日本浪漫派論争、西郷隆盛論、生前退位の呼び水となった平成天皇の「おことば」、『新潮45』廃刊騒動、フクシマとオキナワなど。

 結局、今の日本社会をぎくしゃくさせている戦犯は、「美しさ」と「マジメさ」への過信だと、先崎は述べる。坂口安吾を引いて、人間の弱さを自覚することだというのだが、政治的左右、思想的左右、もっと直截に言えば進歩主義と保守主義の二項対立を持ち出してきて、どちらもだめだ、といった記述の仕方にはどうにもついて行けなかった。この手の文章は、相対主義と呼ばれ蔑まれるのが、自分の知る限り通り相場だ。

 「共産主義とトロツキスト」が対立する概念だという、かなり乱暴な表現もある。共産主義はイデオロギーの呼び名であり、トロツキストはトロツキーの革命路線を支持する人々の呼称だ。先崎がいう「トロツキスト」が「トロツキズム」の誤植であったとしても、そもそもトロツキズムは共産主義の考え方のひとつではないか。ひょっとして先生、まさかとは思うが、学生時代は民青活動家で鳴らしたとか?。そうであれば納得がいく。

 ふた昔も前の大学の先生のように、偉ぶった文体も好きになれなかった。「筆者自身、三十代で『若手知識人』として論壇に出させてもらった」のだそうだ。こちとら極め付きの浅学菲才の身、そうとは知らず、お見逸れしました、と言うしかあるまい。

 ご本人は哲学者を認じており、それはそれで結構だが、現代日本の「バッシング」を語るにあたって、例えば女子高生のスマホの中身を問題にするような通俗的視点が求められるのではないか。

村上春樹の東京奇譚集……「ハナレイ・ベイ」にノックアウト!

Posted by Ikkey52 on 01.2019 文芸批評   0 comments   0 trackback
 自分は村上春樹の熱心な読者ではないが、何が難しいかといって、村上作品の書評ほど難しいものはない。あの小説のあのくだりが胸にズンと来たとか、時代の現実とファンタジーとの入り組み方が絶妙だとか言ったところで、村上文学を対象化したことには全くならないと思ってきた。では『東京奇譚集』の不思議な読後感はどう表現すればいいのか。

 この短編集の読者像を思い浮かべてみる。男もいるし、女もいる。職業、年齢は千差万別。若い読者といっても、すでに青春期を遣り過ごそうとしている年代だろうから、社会的には立派な大人だ。しかし、大人であることに少しも驕っていないし、時には戸惑いさえ抱くことがある。

 人生というものをまじめに考えたことがある人たちだ。人生は挫折と計算違いに満ちているとの達観がどこかにあり、それでも精いっぱいセンスよく生きていきたいと考えている人たちだ。スノビズムの谷に転落しないよう注意しながら教養主義の稜線を渡りたがっている人たちだ。 

 『東京奇譚集』を構成する5つの作品は、ある種の寓話として提出されている。ただし、イソップ童話と違って、子供向けに平易な書き直しができない構造になっているから、寓意も単純には引き出せない。和音に例えると、テンションが積み上がった複雑な響きだ。それを単純化してしまうと虎の子のジャージーなフィーリングが吹き飛んでしまう。

 個人的好みを言えば、最初に村上本人の身に起きた不思議な体験から説き起こす「偶然の旅人」、ハワイ・カウワイ島のビーチを舞台に、そこで息子をサメに殺された母親の身辺を綴る「ハナレイ・ベイ」の二作が心に沁みた。なかでも「ハナレイ・ベイ」が持つ柔らかなのに危うい感触は、ちょっと説明する言葉が見つからない。

伝説の銀座マダムを手玉に取ったヒモの正体……石井妙子『おそめ』

Posted by Ikkey52 on 01.2019 文芸批評   0 comments   0 trackback
 取材には取材者の姿勢が問われる。取材態度のことだけではない。文字通り、服装や立ち振る舞いを含めてのことだ。石井妙子という取材者はおそらく被取材者の前でいつも凛とした姿勢を崩さない人なのだろう。『おそめ』を通読してそんな気が強くした。

 この評伝の主人公、「おそめ」こと上羽秀は、取材相手として厄介なタイプではなかろう。いや、むしろ逆に取材しやすい人かもしれない。なにしろ打算というものがない。虚栄もなかった。昭和三十年代に飛行機を日常の足に使うことで、東京銀座と京都木屋町の二か所で超一流バー「おそめ」の経営を両立させた伝説のママだったのにも関わらず、だ。いわゆるやり手女性経営者のイメージとはまるで違う。

 祇園で芸妓修行に入り、一時東京の新橋でも働いた。贔屓の客にもっと楽しんでもらいたいと、独立して京都で小さな店を構え、おそめはママと呼ばれる立場になる。天使のように天真爛漫なママがいる店だと客筋の文人墨客らが名のある人に紹介する。紹介者がまた新しい客を呼んで店は大繁盛した。無鉄砲に銀座にも店を出したらこれも流行る。川端康成、 里見弴、 川口松太郎、小津安二郎、 大佛次郎、川島雄三、 鶴田浩二、青山二郎、白洲次郎正子夫妻、 美空ひばりらが「おそめ」で遊んだ。

 小賢しさとは無縁の秀は心の赴くままに激動の時代を生きてきて、騙されたことも数知れない。それも定めと呑み込んできた。だから石井に対して、驚くほど率直に語ってくれる。やがて石井自身、生まれ故郷の京都で悠々自適の老境を送る秀の話し相手となることに、ある種の心地よささえ感じはじめるのが筆遣いから窺える。それでも石井は、秀といえど他人には語りづらい部分を持っていることに気づく。

 人を心地よく酔わせ、楽しませることにかけては天賦の才に恵まれた上羽秀という女性。その再発見だけでもテーマ設定が図抜けているが、この作品の白眉は、評伝の主本人以外から石井が聴きだした上羽家の家族史、バー「おそめ」の経営史の驚くような断片だ。

 自分にとって最もインパクトがあったのは、やくざ映画全盛期の東映プロデューサーにして、女優藤純子(現・富司)の父、女優寺島しのぶにとっては祖父にあたる俊藤浩滋が、なんと秀のヒモであったこと。仕事もせず秀の金で食い、籍も入れなかった。この作品に出合わなかったら、"緋牡丹のお竜"こと女侠客、矢野竜子に扮して一世を風靡した藤を、名のある映画人の令嬢あがりだとずっと信じ込んでいただろう。

 俊藤の素性は神戸のヤサグレ。当時の東映は、安藤昇という本物の元暴力団組長をスターとして抱えていた会社。関西ヤクザと関りの深い遊び人を、プロデューサーとして取り立てるくらい朝飯前だったのだろう。その俊藤、秀の心根の優しさに付け入って、別居中の妻や子(藤ら)の経済的面倒まで見させている。図々しいにもほどがある。そんな海千山千の男に惚れて惚れて惚れぬいてしまった秀の純情がなんともいじらしいが、例によって秀は、自分より早く逝った俊藤を慕いこそすれ、恨み言は一切口にしていない。
 
 秀と俊藤との関係を単なるゴシップに過ぎないと考えたのなら、作者の石井もここまで深掘りしなかっただろう。同じ女性として石井がどう受け止めたのか、男性読者にはもうひとつの読みどころかもしれない。

プロパガンダには白と黒がある…『はすみとしこの世界 ~そうだ難民しよう!』

Posted by Ikkey52 on 29.2019 文芸批評   0 comments   0 trackback
 「弱い者いじめ」と「レイシズム」には絶対加担したくない、と大抵の人は思っている。逆にいえば、弱い者いじめする奴と決めつけられ、レイシスト呼ばわりされるほど、現代日本で屈辱的なことはない。だから、間違ってもそんな批判を受けないよう、賛否両論が渦巻く問題で意見を求められた場合、私たちは本音を吐露するのについ臆病になる。

 しかし考えてみれば、自由な意見表明は人権を尊重する国の基礎だ。大事な問題をとことん突き詰めないでいて、暮らしやすい社会になるはずがない。
例えば、国籍に関わる権利と義務の問題があった。在特会はヘイトスピーチを繰り広げたことで、左派からはもちろんのこと、保守派からも鬼っ子扱いされたが、彼らが提起した在日韓国・朝鮮人の「特権」なるものが、実際にあったのかなかったのか、つまり、本題についてはさっぱり議論が深まらなかった。

 海外に目を転ずると、中米ホンジュラスの人々が多数難民化しながらアメリカ合衆国を目指し、メキシコになだれ込んだ件があった。不法移民の流入を嫌うトランプ大統領の一連の政策とコントラストを描いたが、さて、冷静に考えてみれば、自ら難民だと主張する人々を無制限に受け容れることは、例え世界一豊かだとされるアメリカにも到底できない。ドイツなどEU諸国のなかには難民受け入れの結果として、費用負担の増大や治安の悪化に悩むところが少なくない。イギリス国民の半数がEU離脱を支持するのは、難民ならぬ移民が自国民の雇用機会を奪っている現実があるからだ。

 世の中、綺麗事だけで渡って行けるなら、こんな楽なことはない。ホワイトプロパガンダ漫画家を名乗るはすみとしこは、イラストという表現手段を武器にして、誰かが言い出しそうなのに、誰も言ってくれないのであれば自分が言おうと決意した。
「綺麗事」の真相を伝えようと考えた。なぜなら、「人は理論より感情を優先させる」ので、「いくら真実を述べる者が理路整然と熱弁しても、民衆は能動的に理解しようとせず、感情に訴えかける簡単なキャッチコピーに耳を傾けて」しまうからだ。感情に訴えるなら、絵は最良最適のプロパガンダツールになりうる。

『はすみとしこの世界 ~そうだ難民しよう!』のあとがきを読んで、西部邁を思い出した。世間一般で言う「ポピュリズム」は、実は「ポピュラリズム」のことではないかと断じ、「人気取り政治システム」としての昨今の民主主義を疑った人だ。
 はすみの主張全てに賛成とは言い難いが、ひとりで戦う勇気ある女性表現者を、ネットの暴力で出版界から締め出そうとする勢力が、この国には存在する。実に卑怯だと思う。

太陽と月…大著『江戸川乱歩と横溝正史』の二重構造

Posted by Ikkey52 on 23.2019 文芸批評   0 comments   0 trackback
 御多分に漏れず、マンガ文化にどっぷり染まって育った世代だが、小学校のかび臭い図書室の佇まいを今でも忘れないのは、ポプラ社が少年少女向けに出していた江戸川乱歩全集(文字と挿絵のみ)のおかげかもしれない。町場の小書店でも乱歩作品のジュニア版を置かないところは珍しかったのではないか。

 一方、映画版、テレビ版が面白いと、その原作小説まで読まずにいられないという癖は、日本に初めて本格的なメディアミックス戦略を持ち込んだ角川書店グループの横溝正史シリーズに嵌って以来だったような気がする。映画の一コマを文庫本の表紙や帯にあしらうスタイルは斬新だった。 

 江戸川乱歩と横溝正史はほぼ同時代人で、ともに日本の探偵小説界のパイオニアだ。その程度の知識はあったが、二人の大家がどんな関係であったのかについては、恥ずかしながらこれまで全く考えたことがなかった。なぜ考えなかったのか。

 中川右介の大著を読了して理解できたのは、この二人が作家と編集者という二足の草鞋を履き、ふたつの役割の間を頻繁に行き来したこと。そして、図ったわけではないが、一方が編集者として腕を振るっている間は、もう一方が作家として小説を量産するという補完的関係が長く続いたこと。その結果、二人が火花を散らして並走するライバル作家であった時期は、ごくごく短いということだ。だから同じジャンルで活躍した同時代作家という印象が極めて薄いのだ。中川はそんな二人を太陽と月に例える。

 些細な軋轢はあったにせよ、互いに終生尊敬し合っていたことは間違いない。ともに内外の探偵小説を論じさせたら止まらない。訳書も多い。あの戦争のさなかにどちらも英語圏の国の探偵小説を読みまくっていたというのは驚きだ。分からず屋の権力による表現への干渉をともに小馬鹿にしていた証左だ。

 本筋から外れるが、作家になるまでの歩みの違いが面白い。特に乱歩は呆れるほど職を転々と換える。安定した職場であれ、恩義ある人の紹介先であれ、お構いなしだ。家族はたまったものではなかったろう。それでいて駆け出しの作家としてまとまった金を掴むと、浪費することなく、下宿屋を買って妻に経営させるなど、堅実なところもある。育った家庭環境が複雑だった横溝は、探偵小説家になる夢を持ち続けながら、薬剤師の資格を取り、家業の薬局を継ぐ。堅実なようだが、作品が認められると後先も考えず店を譲り、上京するような決然とした一面も持つ。

 最後になったが、ぜひ書いておかねばならないことがある。著者の中川は表向き乱歩と横溝の交流史という体裁を取りながら、その一方で近代日本の版元の興亡史を語っている。その試みは成功していた。出版社というのは倒れては興き、興ては倒れる宿命にあるのだが、志高い出版人の歩みもあれこれ出てきて興味深い。
  

プロフィール

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Author:Ikkey52
ジャーナリスト 札幌生まれ
父方は、奈良十津川郷系+仙台伊達藩亘理系。母方は東三河豊橋系+肥前鍋島藩系+加賀藩系

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