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過剰な自意識と上昇志向の果てで…『麻原彰晃の誕生』

Posted by Ikkey52 on 27.2019 事件   0 comments   0 trackback
 麻原彰晃以下13人のオウム真理教徒の死刑執行から1年が経つ。二度に渡る大量処刑はショッキングだったし、法務省当局は、平成の世で起きた大事件の結末を、平成のうちに着けてしまおうとしたのでは、などと憶測を呼んだ。麻原が、一連のおぞましい犯行の動機について、何も語らずに死刑台に登ったことから、「事件の解明は何ら為されていない」と訳知り顔で語る識者も相次いだ。

 高山文彦は自著の『麻原彰晃の誕生』を、「やがて盲目となる運命を背負ってこの世に生まれた赤ん坊が、どのようにして人類史上まれに見る狂気の教団をつくりあげたかをたどる伝記」と規定する。つまり、「そうなってしまうまで」の事柄に徹底的にこだわった。

 市井の人々が凶悪事件に抱く興味は、詰まるところ加害者への興味であり、ジャーナリストはその興味に応えようとしてきた。しかし昨今は、被害者周りの情報を水で薄めて記事の行数やニュースの尺を稼ぐお手軽な報道が多い。それを、個人情報の過剰な保護のせいにするのは易しいが、取材者の力量不足もあるのではないか。高山の取材は、日本社会がいまに比べれば取材という行為にずっとおおらかだった1990年代から始まってはいるが、麻原こと松本智津夫が生を受けた熊本県八代郡金剛村の通称杉山新地の成り立ちを、江戸時代まで遡って調べるなど、実に克明で調査の労を惜しんでいない。

 盲学校小学部では児童会長選挙の数か月前から級友らに菓子をばらまくという買収工作に出たが落選し、「自分には人望がない」と教師の前で泣いて驚かせている。中等部、高等部でも生徒会長選に出て落ちた。自らを客観視することなく、ただ並外れた自意識の強さの赴くままに、人の上に立とうと足掻く様を、学校仲間は冷ややかに見ていたわけだ。

 周囲に正当な評価を受けていない、という智津夫の的外れな苛立ちは、せめて腕力で上回りたい、と柔道への精進に結びつき、それが昇段となって実を結ぶまでは良かった。今度は高等部卒業後の進路選択として、当時の学力では到底合格ラインに届きそうもない難関大学の難関学部を受けると広く宣言し、教師や級友にまたもや超のつく変人ぶりを強く印象付けている。ラジオ講座を聞いた形跡はあるが、もちろん志は遂げられなかった。

 智津夫が怪しげな宗教家になって行くきっかけで大きかったのは、東京・世田谷に事務所兼住宅を構える西山祥雲との出会いではなかったか。西山は「西山経営育成ゼミナール」を開き、パチンコ店やスナック、レストランの経営者を育てる一方、自念信行会という宗教団体を主宰していた。すでに千葉県で指圧治療院を経営していた智津夫は、西山に教えを乞いたいが、経営育成ゼミナールの学費が惜しい。西山のプライベートな時間を狙って私的な訪問を繰り返した。政治家になりたいという智津夫のしつこさに根負けした西山は、「金がなくてもなれるのは、宗教家だけだよ。〈中略〉どうにもならない気の弱い人間ばっかりが宗教には集まってくるんだから、そいつらを魚釣りのように釣ればいいしゃないか」と漏らす。

 「彰晃」という名は、資産家であり宗教家であった西山祥雲が、姓名判断に詳しい人間に自分や弟子たちの名前の候補を十七、八考えてもらった際、使いきれないで余ったもののひとつだった。「今日、このときから『彰晃』と名乗らせていただきます」そう言って智津夫は西山邸を去って行った。
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サブリース契約の闇

Posted by Ikkey52 on 12.2019 事件   0 comments   0 trackback
 シャーロックホームズが登場するコナンドイルの傑作に『赤毛組合』がある。
 赤毛の大人だけが加入できるという組合が、欠員に伴う新組合員募集の広告をロンドンの新聞に出した。会員になれば片手間の仕事に対して厚い手当が払われるという。質屋を営む赤毛の主人がこれに応募し、大勢の志願者の中からただひとり新加入が認められた。主人は経営不振に悩んでいたのだ。片手間仕事というのは、組合事務所に定刻通り出社し、わずかの時間、事典を少し書き写すこと。指定の時間帯は、店を店員に任せても何ら支障はない。実際やってみると、週に4ポンド(日本円で約20万円)もの報酬が得られた。主人は喜び、新聞広告を見つけてくれた働き者の店員に感謝する。ところが、この店員が曲者で、主人が留守の間、質屋と背中合わせの銀行に向けて地下深くトンネルを掘り、一攫千金を狙っていたのだ。「赤毛組合」というのも、主人を店から毎日、一定時間だけ遠のけるための大きな仕掛けだった……。トンネルが完成すると、当然のように「赤毛組合」事務所も蒸発してしまう。

 甘い儲け話には裏があるというのは常識だ。アパート経営のサブリース契約が、実は悪徳商法であったことが暴かれつつある。レオパレス21の不良施工発覚はその端緒かもしれない。オレオレ詐欺がいくら警鐘を鳴らしても亡くならない世相だが、酸いも甘いも嚙み分けられそうな熟年世代、しかも当面の生活に困らず、自宅以外に広い土地を持つ人たちが、続々と騙されてきたのはどういうわけだろう。

 アパート経営で最大のリスクは、入居率の低下だ。それが30年間、あるいはサブリース業者によっては35年間も保証してくれるというのだから、からくりがあるに決まっている。どうしてそう考えないのだろう。
 建設費は事業主であるオーナーが出す。多くが多額の銀行ローンを組む。ローン返済と保証の差額が事業主の利益になる計算だが、何かと理屈をつけてサブリース業者はアパート建設から6年から10年程度で、保証の引き下げを求めてくるという。そうなると差損が出るどころか、巨額な残債を帳消しにするために大損覚悟で売却するはめになる。

 例え30年の約束が実際には10年に短縮されたとしても、そもそも空室の有無にかかわらず、どうしてサブリース業者は事業主に賃貸料分を保証することができるのか。   
 『月刊ベルダ』によると、サブリース業者の二大収入源は不動産事業と建設事業だ。同業界売上トップの大東建託の場合、16年3月期決算の売上高は1兆4116億円で、売上総利益は2544億円だが、総利益のうち実に1762億円は建設事業によるものだ(https://ironna.jp/article/6430?p=2)。契約によって、事業主がアパートを建設し、あるいは修理し、改修する場合、必ずサブリース業者の指定する業者に頼まなければならない。これが大幅に割高な代金なので、サブリース業者の手元には濡れ手に粟の利益が残る仕組みだ。

 視点をかえてみると、サブリースを業とする会社を存続させるためには、新たな事業主を発掘し、新築アパートを次々と建てさせる恒久運動が必要だ。果たしてそんなことが可能か。アパート経営の環境が整った立地は都市部でさえそう多くない。まして、人口が減少している農村部は入居者の取り合いだ。古い物件は見向きもされず、賃貸料の叩き合いになる。
 総務省は5年おきに土地統計調査を行っている。平成30年版の結果はまだまとまっていないので、『月刊ベルダ』が引用した6年前の調査でみると、全国の総住宅数6036万戸のうち、すでに820万戸が空き家になっていた。しかも、空き家の42%にあたる374万戸が賃貸用の共同住宅なのだ。それで驚いてはいけない。その374万戸中208万戸はまさにサブリース業者が建設しているタイプの部屋なのだ。

 いつかは破綻するねずみ講に似て、サブリース商法もどこかで限界を迎えるしかない。それを知りながら、何社もの大手がオーナー獲得競争に血道をあげてきた。経営者らに最早正業の意識はなかっただろう。それでも、とりあえずはここまで、大手は倍々ゲームで売り上げを伸ばし、株価まで上げてきたのだから、『赤毛組合』に例えると、主人をまんまと騙した店員が、密かに掘ったトンネルで銀行の金庫にまでたどり着いたというところか。だが、金貨を抱えて果たして逃げおおせるのか。世の中、それほど甘くない。
 
 相続税対策かなにか知らないが、欲の皮をつっぱらせるだけで、契約書さえ子細な検討を怠り、取るべきリスクも取らず、アパート長者になろうとした事業主たちに、一般庶民の同情が集まるとも思えない。しかし、あらためて考えてみると、自分たちを騙したサブリース業者とはいえ、倒産してしまえ、とも言えない。元も子もなくなるからだ。当面、サブリース業者を野放しにしていた政府の責任を問うのが関の山だろう。

いま思い起こす日大闘争の端緒…日大アメフト部反則アタックを巡って

Posted by Ikkey52 on 23.2018 事件   0 comments   0 trackback
 日本大学アメフト部の選手が、試合中に無防備な状態の関西学院大学の選手に後ろからタックルし、けがを負わせた問題がニュース・シーンを賑わせている。最近のマスメディアのニュース・センスや報道姿勢に、自分は疑問を抱くことが多い。この件に関しても、「たかがアマチュア・スポーツの悪質反則程度の話で、なぜここまで集中豪雨的に報じる必要があるのか」と、さっぱり理解できなかったが、報道を何気なくフォローするうち、背後に広がる闇の深さがようやくわかってきた。元凶は大学の経営体質だ。

 最初におことわりしておくが、自分は清も濁も併せて存在するのが現実世界だと思っているので、「SNS世論」が匿名をいいことに垂れ流す「きれいごと」には辟易しているし、企業不祥事の謝罪会見でお約束になってしまった経営幹部らの平身低頭ぶりもうんざりだ。そうではあるが、今度の件で、日大アメフト部、というより学校法人日本大学の取り続けている往生際の悪い、タイミングを失した対応には、やはり驚きを禁じ得ない。ひょっとしたら、世間一般の集団、団体とは全く違う行動原理に支配されているところなのではないか。しかも病根は、いまどき流行らない経営トップ(田中英壽理事長)の個人独裁らしい。100億円からの私学助成金を吞み込んで、危機管理学部まで持つ組織の在り方としてはいかにも時代錯誤だ。

 教職員組合が経営陣一新の声をあげているが、所属組織のコンプライアンスに絡んで労働組合がそこまで言うというのは、労使関係が破綻している証左だ。そこで思い出すのは日大闘争。もう半世紀も前のことになる。いわゆる70年安保に向けて全国の大学、短大、高校、ところによっては中学でも燃え盛った学園闘争のなかでも、大衆運動のモデルとなった最大の戦いだった。安田講堂の攻防戦が印象に強く残る東大全共闘の戦いとよく比較されたが、政治はもとより母校を取り巻く情況にも関心の薄かった一般学生を目覚めさせ、広範に共感を広げ、直接行動に立ち上がらせた手腕に関する限り、あの日大全共闘のそれとは比べものにならない。
日大闘争
(日大全共闘HPより)

 日大全共闘には秋田明大、田村正敏ら傑出したリーダーがいた。秋田らが敵として見据えたのは、当時の学園経営トップ古田重二良会頭だったが、この古田が典型的な独裁者。裏口入学、不明朗な経理処理、右翼や暴力団を使った学内反対派潰しなどが次々暴かれ、世間をあきれさせた。日大全共闘後段の戦いのなかでは、「日大アウシュビッツ体制」なる呼称も使われた。

 暴露的なネット情報は、眉に唾して見なければならないが、探してみたところ、いまの日大全体を牛耳っているとされる現理事長田中英壽と著名な暴力団組長とのツーショット写真が出てきた。田中日大理事長と司忍六代目_convert_20180523221340相撲部OBだという田中の堂々たる押し出しは現代極道のドンと並んでも何ら遜色がない。田中の力の源泉は体育局だという。その事務局長に法人ナンバー2の理事である内田前アメフト監督を人事担当としておき、睨みをきかせているとの解説もある。真相はいまひとつわからない。

「渋谷暴動・警官殺害容疑者逮捕」で仄見えるもの

Posted by Ikkey52 on 08.2017 事件   0 comments   0 trackback
 日本の数多い指名手配犯のなかで、最も古くから逃げていた中核派の活動家、大坂正明が、ついに広島県警に逮捕された。全国の盛り場や駅、公園、警察施設などあちこちに掲出されてきた、痩せて神経質そうな若者の白黒写真は、妙な言い方だが、風景の一部として市民の日常に溶け込んでいた。46年という月日はそれほど長いものだ。
大坂正明

 日本は2010年から、人を死亡させた罪であって法定刑の最高が死刑に当たるもの(=殺人罪)に限り、時効を廃した。ひとくちに時効と行っても、刑法上では検察の公訴権が消滅する「公訴時効」と、確定した刑の執行がストップする「刑の時効」のふたつがある。1971年に起きた渋谷暴動で警官殺害容疑に問われる大坂は、この間、ずっと逃亡を続けていたので、問題となるのは公訴時効のほうだ。当時、殺人罪の公訴時効は15年。2010年に法改正はあったが、法には不遡及の原則があるから、本来ならとっくに時効が成立している。

 ではなぜ、大坂はその後も追われ続けたのか。渋谷暴動の警官殺害事件では、大坂はじめ7人が共犯の容疑をかけられ、大坂以外の6人が1975年夏までに逮捕・起訴された。ところがその中のひとりで、一審の求刑(懲役15年)を不服として控訴していた奥深山幸男が、二審途中の1981年に精神疾患のため公判停止となり、以来そのままの状態となっている。

 つまり大坂の共犯のうち、奥深山の裁判だけがいまだに結審していない。刑事訴訟法第254条2項は、共犯者のなかにひとりでも起訴されて結審していない者がいれば、時効は停止すると規定しているので、大坂が足掛け46年逃げ続けても、彼の時効時計は奥深山の起訴時点で止まったきり、その後1秒たりも進まなかったことになる。したがって、2010年4月27日の改正法施行で殺人の公訴時効が撤廃された段階でも、大坂の時効は完成していなかったから、彼は事後犯となんら変わりない扱いを受ける理屈だ。

 それにしても大坂逮捕の報を聞いて、真っ先に勘繰りたくなったのは、反対論が勝るなかで国会審議真っ盛りの共謀罪法案との関連だ。あまりにもタイミングが良すぎないか。大坂は筋金入りの中核派革命軍メンバーで、逃亡支援も組織ぐるみで実施されていたとみられるからだ。ある情報によれば、捜査当局は大坂の生存は遅くとも数年前の段階で掴んでいたという。容疑者をできるだけ泳がせて、後ろ盾になっている組織まで一網打尽にするのは公安警察の典型的手法だが、では今度の身柄確保の決断は誰が下したか。政治絡みのジャッジの臭いがプンプンする。

 共謀罪法案に関して、ここで深入りするつもりはないが、新しい法律が、無差別テロから日本を守る必須条件とは考えたことがないし、現行法の下で国際条約に加盟できないとも思わない。政府の説明にいくら耳を傾けても説得力を感じていないのは事実だが、かといって、共謀罪法案の成立で、直ちに治安維持法下同様の息苦しい監視社会が現出するというのも、手垢がついた常套句にしか聞こえない。

 話を大坂に戻せば、「敵の手に落ちた革命軍兵士」の彼に一般的意味の反省などは期待できない。確信犯であるからだ。おそらく取調にも完全黙秘を通すだろうから、自白もまず得られまい。当時の捜査員も誰もいない。目撃者も探し出すのは難しいし、証言を得るとなればさらに厳しい。現場は群衆に踏み荒らされ、指紋も出ないし、DNA鑑定技術もそもそも鑑定試料がなければ生かせない。

 時効をなくすというのは、そういうことだ。被害者の応報感情の満足を別にすれば、半世紀近く前の事件を今裁いて、真実追求という裁判の目的を十全に遂げるのは、かなりハードルが高そうだ。共謀罪論議を意識していえば、右であれ左であれ、例え虚無的なテロリストであれ、その人の内心や思想それ自体は、けして裁けないし、裁かせてはいけない。

 1970年安保前後の日本の大衆、特に学生大衆が持っていた政治に対する関心の高さや心情の熱っぽさは、今ではちょっと想像もできないほどだった。だからこそ、当時すでに世界一の大都会だった東京の真ん中で「暴動」と呼ばれる事態が惹起したのだ。 権力と反権力が街頭でギシギシと音を立てて軋み合い、物理的衝突を繰り返し、それを遠巻きにする一見非政治的な人々にしても、必ずしも秩序維持派べったりではなかったのも確かなことだ。

 そうした空気を知らない世代が、権力による安手のプロパガンダに易々とからめとられ、大坂逮捕を共謀罪論議と単純に結びつけて受け止めるとすれば、非常に危険だ。せめて思想そのものが裁かれることのないよう公判廷の成り行きを注視したい。

コールド・ケース~札幌男児誘拐とDNA鑑定

Posted by Ikkey52 on 06.2017 事件   0 comments   0 trackback
 1987年の冬の夜、雪深い北海道・新十津川町で、一軒の米農家から火が出た。火元の主婦が隣家に駆け込んで通報した。あたりは北海道でも屈指の米どころで、広大な田んぼの中に農家の住宅がぽつぽつと点在する。隣家といってもかなりの距離があった。幼い娘の手を引きながら、歩きにくい雪の夜道をたどって、主婦が助けを求めるまで、かなりの時間があったとみていい。

 結局、農家は全焼、焼跡から主人が焼死体で見つかった。片足が不自由な人で、周囲は逃げ遅れたのだろうと気の毒がった。ただ、不審を抱く者もいた。隣家に駆け込んだとき、深夜にもかかわらず、主婦は毛皮のコート姿で預金通帳などを持ち出していた。娘も外出着だった。のちに、焼死した主人に2億円近い生命保険が掛けられていたこともわかる。

 主婦は火災の前年に自営農の主人のもとに嫁いできたばかり。水商売出身で多額の借金があり子連れの再婚。主人は初婚だった。結婚相手にはじめから不信感を抱いていた主人の親戚たちは、悪い予感が的中したと思ったようだが、保険金は出火原因不明を理由に支払われなかった。翌年の夏、主人の弟が燃え残った納屋を整理していて、ポリ袋入りの骨片のようなものを見つけ通報した。これを警察は人間の子供の火葬骨と断定する。誰の骨なのか、結びつきそうな未解決事件がひとつだけあった。

 火事の3年前、札幌市豊平区で小学4年の男児が行方不明になっていた。父親は会社社長で某代議士の地元事務所長を兼ねており、家構えも立派だった。冬休みの午前中、男児はたまたま自宅にかかってきた電話を取ったことで誘い出され外に出た。自宅から100mしか離れていない賃貸アパートに男児が入っていったという目撃情報があり、警察が2階に住む女性に尋ねると、「ワタナベさんの家ではないか」と男児が訪ねて来たが、間違いだというとすぐ出て行ったと説明した。実はその女性こそ、新十津川火災で生き残った主婦その人だった。

 警察は俄然色めきだったが、主婦は任意の調べに「3年前の男児の件は以前の説明通り」、納屋の骨についても「知らない」の一点張り。火災原因についても供述はとれず、捜査は壁に当たってしまった。当時の刑訴法で事件容疑の時効が最も長かったのは殺人の15年。その時効さえ迫った1998年11月、捜査本部は賭けに出る。DNA鑑定で新十津川の火葬骨を札幌の行方不明男児のものと判定し、その一点だけを頼りに主婦を殺人容疑のみで逮捕した。

 そもそも、男児行方不明の最後の目撃者が、その男児の火葬骨のある遠い農家に嫁ぐという恐ろしい偶然があるだろうか。心証は限りなく真っ黒だ。傍証もあったが、調べに主婦は完全黙秘を貫き、死因、動機、殺意の三点セットで決定的証拠のない異例の起訴となった。裁判所も甘くない。DNA鑑定は認められたが、検察は有罪を勝ち取れず、二審まで争ったものの上告断念に追い込まれた。

 日本で、DNA鑑定を犯罪捜査に利用する本格研究は、1986年に警視庁科学捜査研究所で緒に就いたとされる。納屋で火葬骨が見つかった88年の段階では、まだ司法に捜査手法として完全に信用されるところまでいっていなかった。もし、その時点で主婦と行方不明男児の骨が確実な線として結ばれていたなら、捜査には別の展開があったのではないか。

 バブル期を経た都市部の変貌は著しい。男児が行方不明となってから、主婦逮捕に至る15年近い時の流れの中で、男児が足取りを絶った賃貸アパートはとうに取り壊され、あたりの風景は一変した。現在では当時をしのぶよすがさえ見当たらない。
  

プロフィール

Ikkey52

Author:Ikkey52
ジャーナリスト 札幌生まれ
父方は、奈良十津川郷系+仙台伊達藩亘理系。母方は東三河豊橋系+肥前鍋島藩系+加賀藩系

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