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核武装論者の反原発論

Posted by Ikkey52 on 28.2019 原発   0 comments   0 trackback
 政治思潮としての保守とリベラルの違いが、そのまま原発の賛否の違いに当てはまるとは思わない。例えば、保守派の論客と見られている国際政治学者の藤井厳喜は、強固な反原発論者だ。

 藤井の論拠を簡単にまとめよう(http://www.gemki-fujii.com/blog/2011/000724.html)。
 第一に、日本列島は地震列島であり、この様な地理的条件下にある国土に安全な原発を造る事は、原理的に不可能である。
 第二に、フクイチ事故で再確認されたように、日本のような島国で、原発や再処理施設が地震その他の原因によって大事故を起こした場合、国家の存続すら危うくする。
 第三に、原発は日本の電力の25%、第一次エネルギー全体の10数%を担っているに過ぎない。しかも危険を伴うものであるから、費用対効果の点から、賢明な選択とは言い難い。
 第四に、日本では、天然ウランがほぼ生産されないので、原発を推進してもエネルギー自立にならない。
 第五に、国内ではすでに30トン以上のプルトニウムが生産されている。これを、エネルギー自立の立場から、発電に使おうとする動きがあるが、原発より危険だ。プルトニウムの燃料が、ウランのそれよりも格段に制御しにくい事は実証済みである。
 第六に、国内には放射性廃棄物処分の適地がない。日本列島はかなり若い、火山活動やプレート移動や地殻変動の育成物なのであり、今後もこの列島上に放射性廃棄物の安定した長期保管場所は造れない。

 こうした至極まっとうな論拠を提示したうえで藤井は、「今、確実に言えるひとつの事は、前後の真のコストさえ無視すれば、電力会社にとっては原発が桁外れに儲かるビジネスだった、という事である」という。「前後の真のコスト」が、ウラン輸入と廃棄物処理に係る費用を指すのは言を俟たない。

 一方で藤井は、原発推進と憲法9条擁護が、真の国家独立とは相いれない同じ地平にあるとも喝破する。これには少し長い説明が必要だ。
 日本で原発が推進されているのは、米英仏露中の5大核兵器保有国が、核を永久に独占する目的で作った「核拡散防止体制」に隷属する、と誓っているからだ。日本は「絶対に核武装をしない」という前提条件を受け入れた上で、原子力発電を許されているのである。言いかえれば、日本の原発推進論者とは、本人が意識するか否かに関わらず、「日本は絶対に核武装しません。その代わりに原発を許して下さい」と嘆願している哀れな存在である。
 他方、憲法9条の本質は、自らの安全を自らの手で確保する事を諦め、自らの命運を他国の手に委ねる所にある。主体性の放棄である。原発推進派の拠って立つ所も、全くこれと軌を一にする。

 では日本の取るべき道はなにか。ここからが国際問題アナリストたる藤井の真骨頂だ。
 日本人はアメリカの核の傘に守られていると思いがちだ。確かに、北朝鮮のような第二撃能力がない国家に対しては、アメリカの核の傘は存在する可能性がある。しかし、アメリカとロシア、そしてアメリカと中国の間には、「相互確証破壊」(MAD)の関係が成立してしまっているので、ロシアと中国に対しては、アメリカの日本への核の傘は存在していない。

 藤井は力説する。原発推進とは即ち核武装放棄という事であり、国防政策に於いても、またそれと不可分のエネルギー政策においても、自国の命運を他国の手に委ねるという事に他ならない。 一体全体、この主張の何処に保守主義があるというのか、と。

 アメリカとの同盟関係がこれまでのように、これからも継続する保証がどこにあるのか。「永久に使わない核兵器」を持つことによって、核保有国が示す数々の理不尽に対抗でき、自国の平和と安全が守れるのであれば、技術はあるのだから、やればいい。30トン以上のプルトニウムはすでに自国資源化している。日本が核を持てば、百害あって一利なしだった迷惑施設の原子力発電所も、電力会社の不快な虚偽宣伝や大国への卑屈な隷属とともに、すべて消えてなくなる。これもまた、ひとつの考え方としてあるのだと思う。
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空費されたデータと時間…フクイチ訴訟の判決相次ぐ

Posted by Ikkey52 on 28.2018 原発   0 comments   0 trackback
 2011年3月の福島第一原発事故から7年。事故は人災だとして東電や国の責任を追及する集団訴訟は全国で約30件を数え、判決も7件が下りた。これらの訴訟の争点のひとつは、「東電が巨大津波を予見できたかとうか」だが、国が被告になっている5件中4件で、予見可能性が認定された。月刊誌『グリーン・パワー』2018年6月号の記事「環境ウォッチ」の指摘から拾ってみる。

(2012筆者撮影・大震災で焼失、流出した石巻のかつての住宅密集地)

 責任論を探るには、津波の高さに関する論議の推移をたどるのが判りやすい。
 02年3月、すなわち大震災の9年前、東電はフクイチに関する津波想定高を5.7メートルに引き上げた。ところが同年7月、政府の地震調査研究推進本部が「大津波を伴う地震の可能性がある」との立場から長期評価を発表、東電はこれに基づいて津波規模予想の再検討を迫られた。 
 外部委託していた再検討の結果が出たのは08年3月、すなわち大震災の3年前だった。津波の最大高は15.7メートルになるという。それまでの東電の想定の3倍だ。「津波想定最大高15.7メートル」というショッキングな数値は、同年6月の東電社内会議で報告、共有された。
 東電で津波対策を検討する部署にいた技術者が東京地裁の法廷に証人として立った。証言によると、東電内では当初、新しい数値に基づいて対策をとる新方針が確認され、他の電力会社も東電に追随する方向だった。たが、東電は翌月の会議で「会社は長期評価をとりあげない」と方針を突然ひっくり返した。戸惑う他電力に東電は技術者を走らせ方針転換を説明して回ったという。 証人は当時の気持ちを法廷で問われ、「力が抜けた」と答えた。
 「縮小版(by IATA Imagebank)
 08年の夏ごろの東電は、前年の中越地震で多くの原発が止まり、支出を惜しんでいたらしい。経費抑制の目的で低い想定高を前提に工事案を練り、09年6月ごろ国の原子力安全・保安院に提出する予定だったが、延期された。やはり「15.7メートル」は無視できなかったのだろう、当初方針通りの対策案を正式に保安院に提出したのは、震災のわずか4日前だった。3・11当日、フクイチに到達した津波の最大高は15.5メートル。もし、東電が安全を経営陣の保身の犠牲にすることなく、「15.7メートル」という数値を得た段階で、誠実に行動を起こしていたら、フクイチ施設が地震の揺れにやられることはあっても、全体のダメージはもっとずっと小さくなったと思われる。

 「誰も予想できない巨大津波が来て、仕方なかった」という言い訳は、あの日、我々がテレビに映し出される生々しい映像に言葉を失った当時なら、説得力を持ったかもしれない。しかし、民事訴訟の進展に伴って、東電や国の化けの皮は剥がれた。「対策をとるデータも、時間もたっぷりあった」と判ってしまえば、もはや責任逃れの言葉としか響かない。 
 

持論に溺れた東芝の落とし穴

Posted by Ikkey52 on 27.2017 原発   0 comments   0 trackback
 日本を代表する大メーカー東芝が巨大損失を抱えて、生きるか死ぬかの瀬戸際を彷徨っている。その原因となったのは、買収した米原発子会社ウエスチングハウス(WH社)が抱え込んだ負債だ。ではなぜ、WH社が大きな負債を抱えるに至ったのか、明確な情報になかなか出会えなかった。月刊誌グリーンパワー5月号のコラム「環境ウォッチ」が、そのからくりをわかりやすく解説しているので紹介したい。

 アメリカでは1979年のスリーマイル島原発事故が負の教訓となって、長く原発の新規発注が途絶えていた。しかし2005年、エネルギー自給率の向上を目指すブッシュ政権が新しいエネルギー政策法を制定したことで、状況は一変する。新規原発は、建設後の最初の600万キロワット分(原発約6基に相当)の発電量について、1キロワット毎時当たり、1.8セントの税控除を8年間に渡って受けられることになった。

 「アメリカで原発建設需要が弾ける!!」。東芝は色めきだった。もともと自社は沸騰水型炉に強い。一方、WH社は加圧水型炉に強みがあった。WH社を取り込むことができれば、「世界規模で原発建設市場を席捲するのも夢ではない」。東芝は、アメリカにエネルギー政策法ができた翌年、約6000億円という巨費を投じてWH社を買収した。同時期、三菱重工もWH社買収に乗り出していたが、東芝の提示額は三菱の実に倍だったという。こうして東芝傘下に入ったWH社は2008年、アメリカで4基もの原発建設を受注した。

 ところが好事魔多し。受注後まもなく、リーマン・ショックが世界経済を揺るがした。その後も、日本のフクイチ事故(11年)、アメリカのシェール・ガス革命と、4基の新設にとって大逆風が吹き続けた。しかも工事は遅れた。1.8セントの税優遇を得るには、2020年の運転開始というタイムリミットを守ることが条件になる。もし、税優遇がなくなれば、1基あたり確実に見込める1000億円以上の恩恵が泡と消える。

 東芝にとって想定外の不運は確かにあった。とはいえ、東芝の真の過ちは、原子力発電というものの世界的将来性を読み違えたことではなかったか。特にフクイチ事故以降、原発の安全対策費は建設コストを激しく押し上げた。原発大国フランスでさえ、2012年の運転開始を見込んだフラマンビル原発3号機が、建設費高騰のため、いまだに完成を見ていない。フランスのアレバ社と組んでフィンランドの原発建設を手掛けていたドイツ・シーメンス社は、建設費が倍になって、完成の目途が立たないので、アレバ社との提携を解消し、原発建設ビジネスそのものから撤退した。日本の原発輸出を受け入れたかに見えたベトナムも、あっさり建設計画を撤回している。

 EU諸国の大勢は、様々なエネルギー源を相対化し、競争させて発電コストを抑える方向に踏み出している。民主主義国のなかで日本のように強力な原発依存策を維持している国はむしろ例外だ。あらためて指摘するまでもないが、発電コストを比べれば、廃炉や廃棄物処理費用まで含めた原子力発電は、他のエネルギー源利用の発電に全く太刀打ちできないし、そもそもエネルギーとしてクリーンでもない。
 持論に溺れる人間は誰しも、あっけなく墓穴を掘るものだ。秀でた人材が蝟集する不沈艦のような大企業といえども、足元の砂の小さな崩れに気づく感性を欠けば、「持論に溺れる」という死角にやすやすと入ることになる。

周回遅れも甚だしい六ヶ所再処理工場のあきれた居直り

Posted by Ikkey52 on 28.2017 原発   0 comments   0 trackback
 母違いの兄を暗殺し、長距離核弾道開発に血道をあげる暴君の国を唯一の例外として、「プルトニウム離れ」はいま世界の趨勢になっている。ロシアもアメリカも古い核兵器を解体して、取り出したプルトニウムの処理に追われる。人殺しのために開発されたプルトニウムという不安定な物質に、人殺し以外の存在意義を与えるかに見えた「夢の原子炉=高速増力炉」は、結局どの国においても完成せず、日本も昨年暮れに白旗を掲げ、核燃料サイクル計画を事実上断念した。

 余ったプルトニウムの有効な処理として、ウランと混ぜてMOX燃料をつくり、軽水炉で燃やす、いわゆるプルサーマル方式が考え出されたのはずいぶん古い。1960年代にはすでにヨーロッパの西側各国に広がっていた。いまもドイツやベルギーなどでは継続されているが、抽出済みのプルトニウムを燃やしきったらプルサーマル方式は終了するという。つまり、使用済み燃料を再処理するのをもうやめたのだ。なぜか。プルサーマル方式はコストが高すぎるからだ。

 月刊誌『グリーン・パワー3月号』の「環境ウォッチ」から引用すると、原子力委員会が2011年の燃料コストで比べたところ、ウラン燃料を燃やしたあと、燃え残った使用済み燃料をそのまま廃棄する方式と、全量を再処理する方式とでは、後者のコストが約5倍にもなった。「現状のウラン価格では、プルトニウム1グラムを利用するたびに40ドルの損失が出る」計算だ。

 原子力発電でつくった電力を主要な輸出産品にしている特異な国、フランスは、たしかに今も大規模なプルサーマル方式をとっている。しかし、MOX燃料に混ぜ込む「プルトニウムの帳簿上の価値はゼロとしている」そうだ。これは、1グラム当たり40ドルの損失を、別会計に飛ばしているだけのことで、別の角度から見れば、再処理技術の維持コストと大量の余剰プルトニウム処理コストの一部だろう。

 視点を日本に移す。建設費2兆2000億円をかけた六ケ所再処理工場は、原子力規制委のチェックが済めばいつでも稼働可能な状態になっている。高速増殖炉の「もんじゅ」の廃炉決定の翌日、この再処理工場を所有する日本原燃の社長工藤健二は新聞に対して「私どもが目指すのは軽水炉サイクルだ」とコメントした。つまり、プルサーマル方式のために六ケ所再処理工場はあるというのだ。世界がプルトニウムを捨てる時代に入っているというのに、この時代錯誤な感覚はどうだろう。プルトニウムを大量に作り出し、電力コストをさらに押し上げるつもりか。話にならない。

 一方で、各地の原発では、使用済み燃料が冷却プールに溢れかえっている。姑息な言い訳を並べて古い原発の寿命を延ばせば延ばすほど核のゴミが山を成す。フクイチ事故以来、日本ではほとんど原発が動いてこなかったのに、夏も冬も電力不足は起きていない。現実から目を逸らしたら何も始まらないと思う。

原発会計破綻のツケを国民に回すな

Posted by Ikkey52 on 01.2016 原発   0 comments   0 trackback
 原子力損害賠償法(原賠法)は1961年に国会で可決成立し、翌年3月に発効した。第一条に、この法律は被害者保護のためのものであることが、しっかりと明記されている。どう読んでも加害者保護とは書いていない。

 文科省のひも付き法人のひとつ、高度情報科学技術研究機構が編んだ年表によれば、1961年という年は、安価な中東原油の普及がすすんで火力発電のコストが下がり、原子力発電の経済性の目標が遠ざかるという現象が生じた、という。原賠法は、いわば逆風のなかで誕生した法律だったわけだ。当初賠償措置額とされたのは50億円。それが米スリーマイル島事故を受けて79年に100億円、旧ソ連チェルノブイリ事故を受けて89年に300億円、東海村JCO臨界事故を受けて99年に600億円と膨らんできた。

 現行の水準、1200億円に引き上げられたのは2009年。引き上げ理由はそれまでとは違い、原発の輸出をしやすくする国際賠償条約(CSC)に加入するためだった、というから、すでにして動機不純だ。結果としてこの水準でフクイチ事故を迎えることになった。フクイチの後始末では、被害者賠償と除染だけで15兆円かかると、加害者側の電事連が試算している。教えてくれたのは北海道新聞12月1日付朝刊「原発会計を問う②」の記事だった。わかりやすいので以下引用する。

 青学大名誉教授の本間照光は「国は被害者保護を優先すべきなのに、原発会計の見直しはむしろ加害者保護に向かっている」という。内閣府原子力委員会専門部会が伏魔殿だ。そこでは、業界代表たちが電力会社の責任を軽くせよと主張している。原賠法が出来た当時の原子力産業会議が、出力50万KWの原発で炉内から2%の放射性物質が外部に漏れたという想定で損害を試算したところ、3兆7千億円という数字になった。そのころの国家予算の2倍以上だ。それを原賠法はわずか50億円で誤魔化した。本間が「形だけの法律」と切り捨てる根拠だ。「事故は起きず、起きても措置額の範囲を越えない、との前提で原発が推進されてきた」。それが全く虚構だったことをフクイチ事故があきらかにした。

 「経産省は『過去分』という珍妙な論理で、過去に原発の『安い』電気を使った国民に事故に備えて積み立てておくべきだった費用を負担させようといいだし」た。にもかかわらず、「一方で(経産省は)今でも原発は安いという」。言い訳の矛盾に気づかないか。本間は「過去に原発で巨額の利益を上げた電力会社や原発メーカー、金融機関などに利益を吐き出させるべき」で、「原発会計は破綻を認めて出直せ」と率直に結論付ける。

 内閣府原子力委の専門部会にも正論を吐く委員はいるようだ。例えばメンバーの慶大特任教授、遠藤典子は「民間の電力会社が無限責任を負えると考えるほうが虚構。過酷事故が起きれば結局、負担は国民に回る。せめて措置額を5兆円とかに引き上げて、準備できない電力会社には原発からの撤退を促すべきだ」と指摘する。原発運転の許可条件に、賠償想定額と同額の供託を義務づければ、簡単な算数さえ苦手な電力会社でもさすがに手はあげられない。

 事故のツケを国民に回そうとする経産省案には、自民党からも猛烈な反発が出ていると、珍しく1日昼のテレビ・ニュースが報じていた。電力系組合議員を抱える民進党は例によって思考停止か。永田町(政治家)がほんとうに霞が関(官僚)を制御できるのか、しっかり証明してほしいものだ。
  

プロフィール

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Author:Ikkey52
ジャーナリスト 札幌生まれ
父方は、奈良十津川郷系+仙台伊達藩亘理系。母方は東三河豊橋系+肥前鍋島藩系+加賀藩系

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